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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)72
第5章 運命の夏(9)
2(承前)
時速八十キロ以上を保ちながら、国道を北上する。三十分ほどで、大学前を通過した。スピードを緩めることなく、さらに北へと向かう。
一時間近く走り続けた頃だろうか、不意に亮太が声をかけてきた。
「先輩、もうすぐ美神町ですよね?」
「うん、そうだけど……」
私は言葉を濁す。亮太がなぜ北へ走ろうと答えたのか、もっと早くに気がつくべきだった。
「うちの別荘に寄ってくれませんか?」
背中から、亮太の鼓動が伝わってくる。彼がなにかを企んでいることは間違いない。
前方の信号が黄色から赤に変わったので、ブレーキをかける。軽いGを感じながら、バイクは急停止した。
「行って、どうするの?」
後ろを振り返って、尋ねる。
「ケリをつけたいんですよ、自分自身の心に」
ヘルメットの上からでは表情を読み取ることなどできなかったが、亮太の声は比較的落ち着いていた。
「……わかった」
信号が青に変わったので、まっすぐな一本道を再び走り始める。しばらくすると、左側に美神駅が見えた。駅を越えるとすぐに《美神湖 この先左折 あと二キロ》と表示された看板が現れる。私はその指示どおりに、愛車を進めた。
左へ曲がって数分走ると、《四輪車通行禁止》と記された砂利道に差しかかる。去年の冬、悲鳴をあげながら一時間以上かけて登った山道だ。
亮太の別荘までは、山道の入り口からわずか数分で到着してしまった。去年のあの苦労はなんだったのかと、首をひねりたくなる。
そろそろ陽の暮れ始める時刻だったが、美神湖畔では、大勢の客が群がって釣りを楽しんでいた。遊泳場付近には、丸裸に近い格好で元気よく走り回っている子供たちがいる。リュックをかついだ親子連れが、山のほうから降りてくる姿も見えた。
「夏場はずいぶんとにぎわってるんだね」
冬の寂しさからは到底想像できない光景だった。去年、尊い命を無情にも奪い取っていった美神湖が、今は優しく皆を包み込んでいる。その二面性に、私はしばらくの間、呆然と立ち尽くすしかなかった。
驚いたのはそれだけじゃない。なんと、美神駅と湖を繋ぐゴンドラが開通している。ゴンドラの完成が観光客を増やしたことは、誰の目にも明らかだった。
「椎名先輩……」
亮太がぼそりと呟く。
「悪いですけど、先に帰ってもらえませんかか?」
「え?」
どうして? と訊こうとして、私はその言葉を呑み込んだ。
「そっか。自分自身の心にケリをつけるんだったね」
「ええ」
「私がいたら、都合が悪い?」
「そういうわけじゃありませんけど……すみません」
「わかった、いいよ。だったら、あとで迎えに来てあげる」
「いえ、電車もありますから」
亮太は私と目を合わせようとせず、湖の方向ばかりをじっと眺めている。胸騒ぎを感じないわけではなかったが、ここは彼を信じることにした。
「じゃあ、帰るね」
「わがままばかりいってすみません」
亮太が頭を下げる。
「それで亮太が立ち直ってくれるなら、全然かまわないって」
私はヘルメットをかぶり、バイクにまたがった。
「またね」
亮太に別れを告げ、美神湖をあとにする。
「先輩!」
亮太の大声に、後ろを振り返った。彼は頭上高くに両手を上げ、子供みたいに元気よく手を振っている。
大丈夫。亮太はきっと立ち直ることができる。
私は、自分にそういい聞かせた。
つづく