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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)70

第5章 運命の夏(7)

2(承前)

「あと二週間だね」
 練習のあと、私は亮太と二人きりでハンバーガーショップへ立ち寄った。亮太はうつむいたまま、黙ってコーラを飲み続けている。
「……ごめんなさい。先輩を助けられませんでした」
 長い沈黙のあとで、ようやく彼は口を開いた。
「なんのこと?」
「スタート直前に、幹成が囁いたんです。ここは湖だ。四百メートル先で、椎名先輩が溺れている。そう思って泳いでみろ、って」
 私は愕然とした。だから亮太はふくらはぎに痙攣を起こしたあとも、まだ泳ぎ続けようとしたのだろうか。
「まったくあいつったら、ろくなこと考えないんだから」
 ハンバーガーにかぶりつき、私はいった。
「心配しないで。私は亮太が助けに来る前に、自力で岸辺にたどり着きました」
「そうですよね。考えてみれば、先輩が溺れるはずなんてありませんから」
「そういうこと」
 烏龍茶をすすり、ハンバーガーの欠片を胃へ流し込む。
「だけど、あんなにも必死で助けようとしてくれてどうもありがとう」
「…………」
 亮太はなにも答えず、再びコーラに口をつけた。
「さあて、なにをお願いしようかなあ」
「え?」
「賭けの代償。幹成に頼まれたんだ。あんたになにをお願いするかは、私に一任するって。どうしようかなあ」
「大体、予想はつきますよ。インターハイに出場しろっていうんでしょ?」
 亮太の浮かない表情に、私は言葉を失った。
「俺だって、みんなの期待には応えたい。そう思って頑張ってきました。でも、やっぱり無理みたいです。あと二週間しかないのに、俺の脚、全然いうことを聞いてくれないし」
「弱音を吐くなんて、あんたらしくないなあ」
「でも……」
 苦渋に満ちた表情を浮かべる亮太。仲間といるときに見せる笑顔が、無理矢理作られたものであることはわかっていたが、それでも心が痛くなる。
「あと二週間で、一体なにができます?」
「焦らないで。亮太はものすごく頑張ってるじゃない。持久力も筋力もアップしてるよ。ふくらはぎの痙攣さえ克服すれば、タイムはすぐに縮まる。私が保証するって」
「だけど、痙攣が起こったらすべて水の泡です。肝心の試合でリタイアなんてしたら、みんなの笑いものだ」
 亮太の声は震えていた。やはり、相当なプレッシャーがのしかかってきているのだろう。
「最初の頃は笑い飛ばしていましたけど、後輩たちが噂するとおり、もしかしたら翼君の亡霊は本当に存在するのかもしれませんね」
「亮太……」
「だって、そうでしょ? 去年の出来事は完全に吹っきったはずなのに──それでもまだクランプは続いてるんですよ。医者に診てもらっても、異状なんてどこにもないといわれました。だったらあとはもう、オカルトじみた力が作用しているとしか考えられないじゃないですか」
「しっかりしてよ、亮太。亡霊なんて存在するはずがないんだから」
 私は、彼の肩を揺すった。
「亮太は吹っきったつもりでいるのかもしれないけど、きっとまだ心の奥深いところに、翼君に対して申し訳ないと思う気持ちが残ってるんだよ。それがクランプになって現れるんじゃないの?」
 間髪を入れず、さらに続ける。なんとしても、彼を納得させなくてはならない。
「もちろん、亮太は全然悪くない。翼君に負い目を感じる必要なんて、なにひとつないんだよ。だけど櫻澤からの執拗な嫌がらせの影響で、無理矢理罪の意識を植えつけられているのだとしたら悔しくない? それじゃあ、櫻澤の思うつぼじゃない」
「…………」
「櫻澤の怨念なんかに負けないでよ」
「櫻澤……」
 その呟きは、まるで地獄の底から聞こえてくるような禍々しさを備えていた。ぞくりと背中に冷たいものを感じる。
「あいつのせいで……あいつのせいで……」
 亮太の身体が、ぶるぶると小刻みに震え始めた。

つづく

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