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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)78

第5章 運命の夏(15)

3(承前)

 亜弥の突然の変化に戸惑った私は、助けを求めて荒瀬を見上げた。だが驚いたことに、荒瀬の様子までもがおかしい。なにかにとり憑かれたような表情で、じっと亜弥の顔を見つめている。
「ごめん。私、なんか悪いこと……」
「なんでもない。あんたは気にしなくていいよ」
 荒瀬は激しくかぶりを振った。その気迫に押され、私はそれ以上なにもいえなくなってしまった。
「……あたし、帰るね」
 亜弥が、蚊の泣くようなか細い声を漏らす。そんな彼女を見るのは初めてのことだった。荒瀬は亜弥になにか大切な言葉を告げたかったのか、真剣な表情で口を開きかけたが、結局感情と共にそれを飲み込んでしまったらしい。
「ああ、そのほうがいいな」
 わずかな間を置いて、そう答えた。
「今、二時半だ。もうすぐ上りの列車が入ってくるから、ちょうどいいんじゃないか? 俺も、そろそろ仕事に出かけなきゃなんないしな」
 警報機がけたたましく鳴り始め、まるで荒瀬の話を聞いていたかのように、タイミングよく列車が入ってきた。
「じゃあ、また」
 亜弥はそれだけいうと、私にぺこりと頭を下げ、駅の改札口へと向かった。
「どういうことです?」
 駅舎の中に亜弥の姿が消えるのを見届けて、私は尋ねる。
「え? なにが?」
 荒瀬は鼻の頭をこすって、とぼけた笑みを見せた。
「ああ、俺と亜弥との関係か? さっき、亜弥が話してなかったっけ? 彼女は俺の熱狂的ファンで──」
「そんなことを訊いてるんじゃありません」
 私は、荒瀬の言葉をさえぎった。
「亜弥ちゃんと櫻澤の間に、なにがあったんです?」
「べつに、なんにも。あんたには関係のないことだと思うけど」
 荒瀬はぶっきらぼうに答えると、私に背を向けて一人勝手に歩き始めた。
「ちょっと待ってください」
 彼を追いかける。
「悪い。俺、このあと、櫻澤邸に荷物を届けなくちゃならないんだ。午後四時半きっかりにな」
 私に背を向けたまま、荒瀬は答えた。
「どうして? 配達は昨日のうちに終わらせたはずじゃ──」
「留守だったんだよ。インタホンを押しても、返答がなかったんだ」
 ああ。私は頷いた。返答がないのは当たり前だ。その頃、櫻澤は亜弥と共に美神駅へ降り立ち、ベンツに乗り込むところだったのだから。
「今朝、電話をしてみたら、詫びのひとつもなしで、『じゃあ、今日の四時半に運んでくれ』だとさ。しかも、『絶対に遅れることのないように』ときやがった。ふん。あいつは一体、何様のつもりなんだか」
 憤りながら振り返った荒瀬の顔を見て、私は激しい戦慄を覚えた。憎悪に充ち満ちた恐ろしい表情。まるで鬼だ。平常心を失い、無情な殺戮を繰り返す邪鬼のようだ。つい最近、同じ表情を見せた人物がもう一人いたような気がする。あれは誰だったろう?
「櫻澤……あいつは……」
 荒瀬はそこまで口にして、ようやく平静を取り戻したらしい。大きく息を吸い込んだあとで私に見せた表情は、いつもと同じ穏やかなものだった。
「ごめん。俺、仕事があるから」
「待って」
 荒瀬を呼び止める。
「私も、櫻澤の家へ連れてってもらえませんか?」
「あんたを櫻澤邸へ? どうして?」
「詳しいいきさつは訊かないでもらえるとありがたいんですけど。いけませんか? 私、どうしても櫻澤と話がしたいんです」
「無理、無理。そんなことができるもんか。馬鹿野郎と怒鳴られて、俺まで追い返されるのがオチだ。カツオブシなみに頭の固い爺いなんだからさ。常識の通じる奴じゃない。この前だって妙ないちゃもんをつけられて、頬を思いきりひっかかれたんだぜ」

つづく


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