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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)74

第5章 運命の夏(11)

2(承前)

「これから、櫻沢邸へ配達に出かけるんですか?」
「ああ。毎週土曜日の午後七時に来い。一分でも遅れるな、といわれてるんだ。あの爺さん、やたらと時間にうるさくてさ。相当な変わり者だよ。毎日のスケジュールを分刻みで立てて、その予定が少しでも狂ったらカンカンなんだ。そんなわけで、急がなくちゃならない」
 荒瀬は身体の前に段ボール箱を積み上げると、頼りない足取りで店の外へと出ていった。多少迷いはしたが、私も荒瀬のあとについていくことを決めた。
「あの……」
 まさか、追いかけられると思わなかったのだろう。私が声をかけると、荒瀬は「うわっ」と叫び、一番上に積んだ段ボール箱を落としそうになった。私は反射的に背伸びをして、荷物を支えてやる。
「なに? どうしてついてくんの?」
「もうちょっと、荒瀬さんと話がしたいなあと思って」
 本当は、櫻澤に関する情報を少しでも収集したいと思ったのだが、ここは荒瀬のファンを装ったほうがなにかと得になりそうだ。
「《ヨーロピアン》のギタリストとしゃべったって、友達に自慢できるじゃないですか。だから、もう少しだけ」
「残念だなあ。つき合ってやりたいけど、俺、今から配達なんだよ」
「櫻澤邸に荷物を運ぶのは、いつも荒瀬さんのお仕事なんですか?」
「ああ。ここで働き始めてから、ずっと俺がやってる。七面倒くせえ仕事は全部俺に押しつけてくるんだから、まったくやんなっちまうよ」
「そのお爺さんって、そんなにも嫌われてるんですか?」
「とことん偏屈な男だからな。早くくたばらないものかと、毎日そればかり願ってるさ」
 荒瀬は店の裏に停めてあった軽トラックの荷台に、段ボール箱を投げ入れた。去年の冬、私たちに砂埃を浴びせた車と同じものだ。
「荷物はこれだけ?」
「そ。一人暮らしだから」
「中身はなんですか?」
「ほとんどが食料だよ。あとは生活用品が少し入ってるくらいかな」
 バンドのファンといいながら、それとはまったく関係ないことばかり質問しているが、荒瀬は面倒くさがらずに答えてくれた。
「これを一人で食べちゃうんですか?」
「ああ。化け物みたいによく食う爺さんだ」
 彼は、荷台に置かれた荷物を手のひらで乱暴に叩きながらいう。
「軽く十人分は超えてると思うぜ。これだけの食料を一週間でぺろりとたいらげちまうんだから、あの爺さん、まだまだ長生きするだろうな」
「十人分を一週間で?」
 私は頓狂な声をあげた。とても信じられない。櫻澤はどちらかといえば痩せ気味で、とても大食漢には見えなかった。あの身体のどこに、これだけの食料が入っていくのだろう?
「それだけじゃねえぞ。プリンとかアイスクリームとか、ガキっぽい食いもんもかなり入ってるから、笑っちまうよ。あの爺さんがプリンを食べてる姿なんて、絶対想像できないからな」
 そこまでしゃべり、彼は突然表情を歪めた。
「どうかしました?」
「いや……ちょっと先週のことを思い出しちまったもんだからさ。俺、先週、櫻澤に顔をひっかかれたんだぜ。プリンの味がおかしい。おまえはわしを殺す気か? って、いきなり襲いかかってきてさ。あんときはマジで生きた心地がしなかったなあ」
 まるで猛獣だ。しかし櫻澤なら、それくらいのことはやりそうな気がする。
「はあ、もういやんなっちまうよ」
 荒瀬は苦々しい顔つきで、憂鬱そうなため息を吐き出した。
「櫻澤邸への配達を代わってやるという奴が現れたら、俺、そいつに毎日、フルコースディナーをご馳走してやってもいいくらいだ」
「大袈裟ですね」
「大袈裟じゃねえよ。あんたは美神湖の名物男がどれほどの変人か知らないから、そんなことがいえるんだ。あの変人ぶりは半端じゃないぜ。とにかく口を開けば、嫌みばかりなんだからな。偏屈ってヤツとはレベルが違う。あれは病気だ。自分しか愛せない病気だな。五年前の春から、その病気にもさらに磨きがかかって……そういえば注文する食いもんの量が増えたのも、その頃からだったかな」

つづく

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