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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)141
最終章 カム・バック(14)
4(承前)
「なるほど。荒瀬君も川嶋君も、櫻澤氏を殺した犯人ではないことは理解したよ」
日向が口を開く。
「でも、だとしたら、誰が彼を殺したんだろう?」
「荒瀬さんが櫻澤邸から持ち帰ったベリーマンベアを見て、私、ようやくすべてを理解しました」
私は静かにいった。
「え? 櫻澤氏を殺した犯人を、いい当てることができるというのかい?」
日向が、頓狂な声をあげる。
「それだけじゃなく、あとふたつの事件の真相も──」
「あとふたつ?」
彼は眉をひそめた。
「ひとつは先生の事件のことをいってるんだろうけど、もうひとつはなんだい?」
「去年の冬に美神湖で起きた事件ですよ。櫻澤の孫が湖で溺れ死んだことに、あいつは今も責任を感じ続けています」
そういって、競泳プールを指差す。亮太は五位に落ちようとしていた。早く、彼を助けてあげなくてはならない。
「真相といったって、去年の冬に美神湖で起こったのは単なる事故ですよ。確かに、三つの事件には共通点が多いですけど、ひとつは事故、ひとつは自殺、ひとつは殺人事件で、状況はどれもバラバラです。いや、頭の固い上層部連中は、櫻澤さんの死も事故で処理しようとしていますから、ひとつは自殺、残りのふたつは事故、ということになりますが」
刑事がいった。
「ひとつは事故、ひとつは自殺、ひとつは殺人事件? ひとつは自殺、残りのふたつは事故? いいえ、どちらも間違っています。事実はこうだったんです。ひとつは事故、残りのふたつは殺人事件──」
「ああ。君のいいたいことはわかるよ」
日向が口をはさむ。
「黒井先生の死は自殺なんかじゃない、他殺だ。そして、櫻澤も殺された──そういいたいんだろう?」
「違います」
私は、首を横に振った。
「最初の殺人事件は去年の冬、美神湖で起こったんです」
短い沈黙が流れる。誰もが私の言葉に驚き、あるいは呆れているようだった。
「あれが殺人事件? 九歳の子供が湖に落ちて死んだ──ただそれだけの事故じゃないですか」
水口刑事が、乾いた笑い声をあげる。
「違うんです。翼君は死んでなんかいません」
「死んでない?」
「死んだのは翼君ではなく、別の子供だったんです」
私はベンチに座り直し、先を続けた。
「ちょっとだけ昔話をさせてください。湖での惨劇が起こる前日、私と亮太は櫻澤邸の鉄門越しに、一人の子供を見かけました。その子供は、テディベアを大事そうに抱えていました。今、刑事さんが抱えている──そのぬいぐるみとまったく同じものを」
「……え?」
「あれはベリーマンベアだよ、と亮太が教えてくれました。先ほど、ベリーマンベアについて私が説明したことは、すべてそのときの受け売りです。ベリーマンベアを抱きしめた子供は、私を見て『ママ』といいました。櫻澤はその子供を抱きかかえると、『似てるけど、あの人はママじゃないよ』──彼にそういい聞かせていたんです」
「翼君の母親は、櫻澤晴佳さんですよね? 変だな。あなたとは似ても似つかない容姿でしたけど」
やはり、警察もそこまで捜査を進めていたらしい。
「どちらかというと、晴佳さんが働いているスナックのママ──岡田菜穂子さんに似ているような気がしますが」
「そうなんです。私と晴佳さんは、確かに名前は同じですけど、姿かたちはまったく似ていません」
それこそが、私の心の中にずっと引っかかっていた矛盾だった。
つづく