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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)142

最終章 カム・バック(15)

4(承前)

 命題1 櫻澤翼の母親は私に似ている。
 命題2 櫻澤晴佳と私は似ていない。
 命題3 櫻澤翼の母親は櫻澤晴佳である。

 これらの命題が、同時に成立することはない。つまり、三つのうちのいずれかが間違っていることになる。だけど、命題2と3は疑いようのない事実だ。となると、誤った命題は1ということにならないか。櫻澤翼の母親は私に似ていない──すなわち、あの夜私を「ママ」と呼んだ男の子は、翼ではなかったことになる。
「じゃあ、君と栗山君が見かけた男の子は、一体誰だったんだ?」
「あの日、櫻澤邸にはもう一人子供がいたんですよ。私たちが出会った男の子は翼君じゃなかった。本当はユタカ君だったんです」
「……ユタカ?」
「黒井夢魔と岡田菜穂子さん──さっき刑事さんが私に似ているといったスナックのママです──との間にできた子供。それがユタカ君です」
 私はひと息ついて、再び説明を続けた。
「もちろん、黒井さんの家族はユタカ君の存在を知りません。彼は菜穂子さんの籍に入れられ、彼女に育てられていましたからね。五年前、突然行方不明になってしまうまでは」
 ここからは私の想像でしかない。だが、おそらく大筋は間違っていないはずだ。
 五年前の春、公園で遊んでいたユタカをさらった犯人は、おそらく黒井夢魔だったのだろう。黒井はそれ以前から、菜穂子の目を盗んで、たびたびユタカに会っていたに違いない。
 黒井は心臓病を患い、近々入院することが決まっていた。そうなったら、ユタカと会うことができなくなってしまう。だから、誘拐などという大それた犯罪を企んだのだ。
「なぜ、それほどまでユタカ君にこだわったんです?」
 刑事が尋ねる。
「いくら自分の子供とはいえ、誘拐するなんて異常ですよね? どうしても手に入れたいなら、親権を主張すればよかったのでは?」
「それはできなかったんでしょう。浮気がばれ、奥さんに離婚でもいい渡されたら、身の破滅です。財産はすべて、奥さんが管理していたんですからね」
「だけど、彼がそこまでユタカ君に執着した理由はなんです? 血の繋がった子供だったから? だとしたら、翼君にも同様の愛情を注いでいたことになりますが」
「いいえ。黒井が執着したのは、ユタカ君だけだったと思います」
「なぜ?」
「それは、ユタカ君が特殊な才能を持っていたからです」
 十四年前に『蝙蝠傘』を出版して以降、黒井夢魔は八年間もの長期にわたって執筆活動を休止している。一時期は才能が枯れたかとも噂されたが、六年前に突然、これまでの作風とは大きく異なる『ホワイトルーム』を出版し、それが大ベストセラーとなった。その後は遺作となった『さよならゴースト』まで、三ヵ月に一冊のペースで、新刊を出し続けている。
「晴佳さんが話してくれました。ユタカ君にはいつも驚かされてばかりだったって。普段はろくにしゃべることもないのに、ときどき堰を切ったみたいに、突拍子もない空想話を始めたんだとか。地球人に化けて生活をする宇宙人の話。幽霊の存在を物理的に証明しようする科学者の話。これらはすべて、黒井夢魔の作品に登場します。晴佳さんからその話を聞いて、私は最初、黒井さんが自分のアイデアをユタカ君に話していたのだとばかり思っていました。だけどもし、二人の関係が逆転していたのだとしたら? つまり、ユタカ君の思いついたアイデアを、黒井が小説にしていたのだとしたら──すべてのパズルのピースがぴったり当てはまると思いませんか?」
 黒井の作風が、六年前から突然変わった理由。彼が、誘拐を企ててまでユタカ君を欲した理由。すべてに説明がつくではないか。

つづく

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