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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)80

第5章 運命の夏(17)

3(承前)

 わかった。
 笑って荒瀬に手を振り返したものの、私の心は巨大な不安に包まれていく。
 鬼の形相。憎悪に満ちた禍々しい視線。荒瀬と同じ表情を浮かべたもう一人の人物は、亮太だった。亮太に匹敵する激しい憎悪を、荒瀬も抱いているというのだろうか。
 私はどうしても、櫻澤に会わなければならなかった。荒瀬と亜弥の奇妙な態度が、櫻澤に対する興味を異常に駆り立てていく。
 しかし、どうすれば櫻澤と面会できるだろう?
 ジーパンのポケットに入れたままだった《美神湖観光マップ》を引っ張り出す。美神湖畔の東側一帯は、櫻澤の私有地だ。湖沿いの砂利道に立ちはだかる鉄門は、とても高く頑丈そうに見えた。去年の冬、その門をどうやって乗り越えようかとあれこれ思案したことを思い出す。左手には険しい崖がそびえ、右手は湖なので、門を通り越える以外のルートは考えられない。
 いや、待て。
 マップを食い入るように眺める。あのときとは状況が少し違う。今は夏だ。湖を泳いで櫻澤邸へ侵入することは、不可能ではないかもしれない。
「やってやろうじゃない」
 地図を握りつぶし、全身に力をこめる。こうなったら、意地でも櫻澤に会ってやるつもりだった。
 駅の待合室に座り込み、櫻澤に会うための作戦を練る。なにしろ相手は、このあたり一帯で噂になるほどの偏屈爺いだ。ひと筋縄ではいかないだろう。
 湖に飛び込んで、櫻澤邸へ忍び込むまではいい。問題はそのあとだ。どうすれば、櫻澤は私と会ってくれるだろうか。
 狙い目は午後四時半。荒瀬が荷物を届けにやって来る時間だ。櫻澤は屋敷の外へ姿を見せるはず。そのときを見計らって、強引に話しかければ――。
 いや、荒瀬と顔を合わせるのはまずい。彼がとばっちりを受ける可能性も考えられる。荒瀬に迷惑はかけられなかった。
 彼が櫻澤邸を去ったあとで、ドアをノックすることにしよう。櫻澤は、荒瀬がなにか用件をいい忘れたのだと早合点して、すんなりドアを開けてくれるかもしれない。
 私は時計を見た。いつの間にか、午後三時半を回っている。急がなくてはならない。
 バイクにまたがり、まずはスポーツ店を探した。具体的な計画はこうだ。スポーツ店で水着を購入する。決して安い買い物ではないが、夏はこれからが本番なのでそれほどためらいはなかった。買い物のあとは、バイクを飛ばして美神湖へ。バイクは荒瀬に見つからないよう、どこかへ隠しておくことにしよう。
 櫻澤邸の鉄門前で水着に着替え、湖に飛び込む。荒瀬が到着して鉄門が開いたときにこっそり忍び込むことも考えたが、あそこにはたくさんの防犯カメラが仕掛けられているから、ひょっとしたら櫻澤にばれてしまうかもしれない。やはり、湖からの侵入が確実だ。
 湖を泳いで、敷地内へ侵入する。マップを見ると、湖に面した部分は大きな庭になっているようだ。どこかに隠れて、四時半になるのを待つことにしよう。
 午後四時半。荒瀬の来訪に伴い、櫻澤が屋敷から姿を現す。荷物を受け取って荒瀬と別れたところで、櫻澤の前に立ちはだかる。あとは出たとこ勝負だ。
 あまりにも杜撰で、計画などと呼べるシロモノではないが、しかしこれ以上の良策も思いつかなかった。

つづく

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