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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)73

第5章 運命の夏(10)

2(承前)

 さて、これからどうしよう?
 櫻澤邸へ押しかけることも考えたが、行き当たりばったりで動いたところで、追い返されるのは目に見えている。
 山を下り、美神駅へ立ち寄ることにした。馬鹿でかい外車の三台隣にバイクを停め、時刻表を確認する。ここも大勢の人であふれかえっていた。
 最終電車の発車時刻までには、まだかなりの余裕があった。これなら亮太が、うっかりして家に戻れなくなることもないだろう。
 時刻表の横に山積みにされた《美神湖ガイドマップ》を手に取り、駅を出る。途端、ぐうっとお腹が情けない悲鳴をあげた。あんなにもハンバーガーを詰め込んだというのに、私の胃は早くも新たな食料を求めている。我ながら、なんとも呆れた食欲だった。
 道路をはさんだ向こう側に、大きなスーパーマーケットが見えたので、駅の駐車場にバイクを停めたまま、その店へと走る。
 夕方ということもあり、店内は夕食の材料を求める大勢の客でにぎわっていた。
 サンドイッチでも食べようかと広い店内を歩き回っていると、大きな段ボール箱を三つ抱えた男が、こちらへ向かってよろよろと歩いてくる姿が見えた。箱を抱えているので顔は見えないが、彼の着ているオレンジのジャンパーには《フレッシュマート美神》とプリントされている。どうやら、この店の従業員らしい。
 男は前が見えないのか、今にも陳列棚にぶつかりそうだ。
「危ないですよ」
 彼に近づき、崩れ落ちる寸前の段ボール箱を両手で支えてやった。
「ああ、どうもすみません」
 頭を下げる男の顔をみて、私は「あっ」と声を漏らした。右頬にできた十文字の傷には覚えがある。去年の冬、私たちに砂埃を浴びせていった乱暴なトラックの運転手だ。彼が櫻澤と激しくいい争っていた姿を思い出す。
「なに? 俺の顔に、なんかついてる?」
 いつまでも私が凝視したままなので、男は怪訝そうに眉をひそめた。
「いえ……すみません。昔、見かけたことがあったものですから」
 そう答え、慌てて視線をそらせる。
「え? もしかして、ライヴを見にきてくれたことがあんの?」
 段ボール箱を通路の真ん中へ投げ出すと、彼は嬉しそうにいった。強面だが、笑うと結構可愛らしい表情になる。
「そうそう──七月に、またライヴがあるんだ。これ、チラシ。友達を誘って、見に来てくれよな」
 仕事中も持ち歩いているのか、ジャンパーのポケットから、《SUMMER GIGS》と記された紙切れを取り出すと、無理矢理私に押しつけてきた。
「は、はあ……」
 戸惑いながら、チラシに視線を落とす。どうやら、地元のアマチュアバンドが一堂に会するお祭りが、七月下旬に美神湖畔で行なわれるらしい。
「俺に連絡をくれれば、チケットも格安で手に入るからさ。どうぞよろしく」
 今度は、名刺を差し出された。自分でプリントしたものらしく、インクが少しかすれている。名刺には荒瀬駿一と記されていた。肩書きはない。
「ライヴを見に来たことがあるなら、もう知ってると思うけど、俺、《ユーラシアン》ってバンドで、ギターをやってるんだ。応援しといて損はないぜ。近いうちに、必ずメジャーデビューしてやるからさ」
 言葉づかいや態度から察するに、このスーパーの正社員ではないのだろう。ミュージシャンを目指して、フリーターを続けているといったところか。
「おっと、やべえ」
 腕時計に目をやると、彼──荒瀬は、慌てた様子で段ボール箱を抱え直し始めた。
「じゃあ、またそのうちな。お姉ちゃんみたいな美人とあっさり別れるのはもったいないけど、うるさくわめき散らす爺さんのところへ、これから配達に出かけなくちゃならないもんで」
「それってもしかして、櫻澤さんですか?」
 私の言葉に、荒瀬は大きく目を見開いた
「そうだけど……あんた、よく知ってるな。まあ、でも、このあたりで口うるさい爺さんといったら、あいつくらいしか思いつかないか」
 苦笑混じりに答える。

つづく

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