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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)137
最終章 カム・バック(10)
3(承前)
亮太の推測は当たっていた。
昨夜、彼と電話で交わした会話を思い出す。
『もちろん、証拠があるわけじゃありません。だけど、そう考えると辻褄が合いませんか? 先輩は事件の前日、櫻澤の車に乗り込む亜弥の姿を見かけたんですよね? もしもそのあと、二人の間になんらかのトラブルがあったとしたら──』
亮太のいうとおりだった。亜弥は、櫻澤の毒牙にかかってしまったのだ。
荒瀬の告白は続く。
「あの日、美神駅へ向かう列車の中で、偶然櫻澤を見かけた亜弥は、チャンスだと思って彼に話しかけたらしい。言葉巧みに櫻澤に取り入って、栗山亮太への嫌がらせをやめてもらうよう頼み込むつもりだったと話してくれた。亜弥は、どんな人とでも容易にうち解けられる特技を持っている。櫻澤の心を開くことだって、彼女の手にかかれば全然難しくなかったんだろう。だけど、それが仇になっちまったんだ。純粋で他人を疑うことを知らない亜弥は、櫻澤の心にひそんだ悪意にまったく気づかなかった……」
恋人の家まで送ってやるから車に乗れ、といわれたらしい。普段の亜弥なら、たぶんそんな誘いにはのらなかっただろう。しかしそのとき、彼女は足を捻挫していた。歩くことさえ億劫だったため、つい櫻澤の言葉を信じて車に乗り込んでしまったのかもしれない。
「亜弥を乗せた車は、俺の家じゃなく櫻澤邸へと向かった」
荒瀬の表情が、苦痛に歪んだ。
櫻澤邸でどのようなひどい目に遭ったのか、それは荒瀬も知らないという。彼女は一室に閉じこめられたが、窓を破り、隙を見て逃げ出した。真夜中の山道を、裸足でひたすら歩いたという。どれほど心細かったことか。
「翌日、俺は午後二時半に亜弥を駅まで送ると、三時半までスーパーで働き、それから櫻澤邸へ配達に向かった。思いきり櫻澤をぶん殴って、それから警察へ突き出してやるつもりだった。でも……それはできなかった。櫻澤は死んでいた。頭から血を流して、玄関先に倒れていたんだ」
私の見た光景とまったく同じだ。変わり果てた櫻澤の姿が脳裏によみがえり、気分が悪くなる。
「櫻澤の横には、小さなクマのぬいぐるみが転がっていた。俺はそれを見て、亜弥の仕業に違いないと確信したんだ。あの日、ゲーセンで手に入れたクマのぬいぐるみを亜弥にプレゼントして……亜弥はそれを大事そうに抱えていたからな」
昨夜の亮太の推理は完璧だった。荒瀬が私の留守番電話に残した『もしかして、俺が拾ったクマのぬいぐるみのことを……』のひとことから、彼はそこまでいい当てていたのだ。
「俺は運んできた荷物を玄関脇に下ろすと、ぬいぐるみを拾い上げ、空の段ボール箱に入れてトラックに戻った。そして――」
「ちょっと待てよ」
幹成が、攻撃的に口を開く。
「川嶋がどうやって櫻澤を殺したっていうんだよ? レイクサイドロードの釣り客は、川嶋の姿なんて見てないんだろう? 午後二時半に美神駅にいた彼女が、どうしてそれから二時間足らずの間に櫻澤を殺せるんだ?」
「二時間あれば充分だ。おそらく、亜弥は三時三十五分発のゴンドラに乗って山頂駅まで行き、そこで櫻澤と待ち合わせをしたんだろう。亜弥が櫻澤を呼び出すことは簡単だ。『もう一度会いたくなった』とでもいえば、櫻澤は喜んで迎えに来ただろうからな」
《わんぱく村》の奥へは、観光客もほとんど足を踏み入れない。亜弥はそこで、櫻澤と待ち合わせたのだろう。櫻澤の車がやって来たのは、午後三時五十分頃。亜弥は助手席に乗り込み、櫻澤邸へと向かった。釣り客の話だと、櫻澤の車が戻ってきたのは四時過ぎだったようだ。
「俺が遺体を発見したのは四時半過ぎだから、亜弥には約三十分の時間があったわけだ。その間に櫻澤を……」
「帰りはどうしたんでしょう?」
私は日向に尋ねた。
「亜弥ちゃんは、美神駅を五時二十二分に出発する列車に乗り込んでいます。その列車に間に合うためには、五時五分発のゴンドラに乗り込まなくちゃなりません。でも、五時五分発のゴンドラに亜弥ちゃんの姿はありませんでした。そのゴンドラには亮太が乗り込んでいたんですから、亜弥ちゃんがいればすぐにわかったはずです」
つづく