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映画『PERFECT DAYS』〜主人公・平山の幸せとは⁉︎(ネタバレ)

ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司さん主演の『PERFECT DAYS』を観ました。どうしても書いておきたくてnoteを開きました。ネタバレです。

主人公の平山は東京下町の「押上」にある、歩くと床が軋む古アパートで一人暮らしをしている。まだ薄暗い朝、二階で寝ていた彼は近所のおばちゃんが箒で外を掃除するシャッ、シャッという音で目覚め、せんべい布団を畳むと一階におりていって歯を磨き、髭を小さなハサミでちょちょっと整える。

二階にもどって苗木たちに霧吹きで水をやり、背中に「The Tokyo Toilet」と書かれた作業着に着替えて一階におり、扉を開けると決まって空を見上げて微笑む。

扉に鍵をかけずに外に出て、自動販売機で缶コーヒーを買って、駐車場のワンボックスカーに乗り込み、カセットテープで好きな曲を聴きながら、仕事場である渋谷区の公衆トイレに向かう。途中決まって、スカイツリーを見上げる。仕事場につくとトイレの外壁から便器に至るまで丁寧に清掃し、また次のトイレに向かう。清掃中に用をたしに人が入ってくるとスッと外に出て、壁の前に立って待ちながら空を見上げる。

こうして何件もトイレ清掃をして仕事を終えると、その足で近所の公園に行きベンチに座ってフイルムカメラを上に向けて「木漏れ日」を撮影する。車で家に戻る途中にまたスカイツリーを見上げる。

家に帰ると作業着を脱ぎ、自転車にのって近所の銭湯「電気湯」に向かう。体を入念に洗い、風呂に入ると鼻の下まで顔をうずめてブクブクと口から泡を出す。風呂から出るとテレビで相撲を見て、再び自転車に乗り、浅草地下街の飲み屋にいく。椅子に座ると大将が決まって「おかえり!」と声をかけてくる。

帰るころには空はすっかり暗くなっていて、自転車で家に戻る途中に見えるスカイツリーはライトアップされている。自宅に戻ると布団を敷き、文庫本を取り出して仰向けになって読みはじめる。眠くなってくると天井の蛍光灯を消して、手元のスタンドライトをつけ、今度はうつ伏せになって読みはじめる。読みたい気持ちに睡魔が勝ちはじめ、文庫を閉じずに床に置き、メガネをはずして、スタンド電気を消し、眠りにつく。

休日はゆっくり起きて本の続きをチラッと眺めてから、作業着をバッグに詰めて自転車でコインランドリーに向かう。木漏れ日を撮影したフィルムをカメラ屋に現像にだしつつ前回の現像分をもらい、古本屋で本をさがし、スナックにいって一杯のみながらママの演歌に目をつむって聞き惚れる。

いつもの箒の音。
いつもの苗木たち。
いつもの缶コーヒー。
いつもの音楽。
いつものスカイツリー。
いつもの公衆トイレ。
いつもの木漏れ日。
いつもの銭湯。
いつもの飲み屋。
いつものカメラ屋。
いつものコインランドリー。
いつものスナック。
いつもの道。
いつもの人たち。
いつもの時間。
いつもの毎日。

この世界はつながっているようで、
つながってない

表層的に捉えれば彼は不幸せな人。お金がなく、古アパートに住んで、家族もいなくて、公衆トイレの清掃員をしている初老の男だ。

ある日、公衆トイレで泣いている子供を見つけ手を引いて外に出してあげると、それを見つけた母親が駆け寄ってきて、子供の手を消毒し、お礼もなしに立ち去っていく。その母親にとって平山は「汚い存在」でしかない。

にもかかわらず、平山は不幸じゃない。

彼はおそらく裕福な家の生まれ。父親が経営する会社の後継者だったかもしれない。しかし、父親となんらかの確執があり、苦しみ、決裂し、妹にあとを任せて家をでたのだろう。

父親と決裂し、母親への思いを横に置き、長い間妹にも姪にも会わず、独り身で、ほとんど声を発しない生活をしている。過去の悲しみを身に纏っていることも伝わってくる。彼はこう言う。

「この世界は、
ほんとはたくさんの世界がある。
つながっているように見えても、
つながっていない世界がある」

でも、今の平山の朝起きてから夜眠るまでのルーティンには、彼の「いつもの幸せ」がぎっしり詰まってる。平山自らがどんなときに「幸せを感じるのか」を探して、追い求めて、確立した「自由へのルーティン」のように感じる。

それまでの不自由な自分から、自由な自分になるために、何を捨てるか決めたのだろう。その結果たどり着いたのがたくさんの「いつもの◯◯」がある幸せな暮らし。彼はそれを努力して勝ち取ったように思う。

「同じ」だからこそわかる「ちがい」

平山は、起きてから寝るまで同じルーティンを繰り返す。でも、だからこそ「変化」に気づいているように見えた。

毎朝水をやる苗木は少しずつ成長していくし、公園で見上げる木漏れ日は表情が変わるし、飲み屋で座る椅子の場所は混雑具合で変わるし、銭湯だって日によって温度がちがうはずだ。

朝家を出るときに空を見上げると晴れの日もあれば、雨の日もある。たとえ雨であっても、彼はニコッと笑みを浮かべる。毎日見上げる「神」のような存在のスカイツリーは、日によってライトの色を変えている。

ある日、路地を自転車で走っていると、1人の老人が「空き地」を見ている。その老人は「ここになんの建物が立ってたのか、思い出せないなあ」と呟く。毎日歩いているはずの通りからいきなりビルがなくなっても、人はどんな建物だったか思い出せないものだ。

平山は同じ「繰り返し」を「丁寧」にするからこそ、そこにある変化に気づき、楽しむことができる。

平山のパーフェクトデイズ

彼には、自分が意図せぬ変化もやってくる。

柄本佑演じる若い同僚にとつぜん車を貸してくれと頼まれたり、カセットテープを売ろうと店に連れていかれたり、仕事を押し付けられたり。しばらくぶりに姪が訪ねてきて泊めてくれと言ってきたり、行きつけのスナックにいったらママが知らない男と抱き合っていたり。

ルーティンを崩された平山は動揺し、不安になる。でも、その度に思いもよらない幸せを見つけたりもする。公共トイレの隅に二つ折りになっている紙を見つけ、「⚪︎×」が縦横斜めに3つ揃ったら勝ち、というゲームをどこの誰かもわからない人と交互に繰り返しながら喜びを感じたりもする。

自らが好きなコト、ヒト、モノを毎日のルーティンに組み込む幸せ。

ルーティンだからこそ「変化」に気づく幸せ。

予期せずルーティンを崩されたことで、新たな発見をする幸せ。

これらが重なり合って、平山の「パーフェクトデイズ」は築かれていく。同じことの繰り返しと、そこに確かにある変化。

スナックのママが男と抱き合っていたことに動揺した平山は、缶ビールを3本買って隅田川を眺めている。そこに三浦友和演じるその男がやってきて、自分は別れた夫でガンにおかされ余命が少ないことを吐露する。男はふと、

「影は、重なり合うと濃くなるんですかね...⁉︎ 結局なにもわからないまま、(人生が)おわっちゃうなあ」

と呟く。平山は「じゃあ、やってみましょう」と橋の下の灯りに自分とその男の影を重ね合わせてみる。男は重ねても濃さはとくに変わらないと言うが、平山は強い口調でこう言う。

「濃くなってますよ!変わらないなんて、そんなバカなことはないですよ!」

幸せってなんだろう。
グッドライフってなんだろう。

変わらない毎日を「退屈」と捉える人もいるし、そこに変化と喜びを見いだす人もいる。平山は明らかに後者だ。

「今度は今度、今は今♪」

とはいえ、彼も生身の人間であり、ときには激しく動揺したり不安になったり怒ったりもする。たぶん、大きな後悔も抱えている。

それでも、一瞬一瞬を自らの意思で考え、動いて、築きあげた彼の「生活ぶり」を見ていると、たしかに

「こんなふうに生きていけたなら」

と思えてくる。それは、彼の葛藤と覚悟が想像できるからだし、それによってたどり着いたこの生活こそが「本当の自由」なのかもしれない。

終幕では、車を運転する平山の表情にカメラが寄る。このときの彼の表情だけでも、この映画を観る価値がある。

あの気持ち、わかるな。
すごくわかるな。

同じ気持ちになることが僕にもある。でも、まだ言葉にできない。あの気持ち、わかるな。

ひとつだけ確かなことは、どの世界で、何を大切にして生きていくかは、自分の心で決めるのだということ。






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