キリスト神話の方法(4)イエスとカラバス

■つぎはぎのイエス
 福音書のイエスは実在の人物をモデルにして描かれているのではなく、さまざまな文学作品(ホメロスの作品)の断片のつぎはぎだ、という指摘があります。しかもそのようにして出来上がった福音書的イエス像は、パウロ書簡(ローマ書やコリント上下書など)に何らの影響も与えていない、というのです。ここではその説を前提に、福音書のイエス像を少し分析してみたいと思います。

■疑似王イエス
 新約聖書の福音書には、イエスという男がローマ政府によって処刑されるときに、王の格好をさせられた、という話を載せています。以下にその箇所を引用します。

兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。(マルコによる福音書15:16-20、新共同訳)

■フィロンのカラバス
 イエスのこの物語の元となるような話が、フィロンの『フラックスへの反論』(秦剛平訳、京都大学学術出版会)に載っています。こちらも引用します。

ここにカラバスと呼ばれる頭のおかしな男がおりました。(中略)人びとはこの哀れな男をはやし立ててギュムナシウムの中へ追い込み、誰でもが見えるようにと高い所に立たせると、その頭の上につば広にしたビュブロスでつくった冠を王冠の代わりに置き、身体の他の部分を、クラミュスの代わりにカマイストロートスで包み、他方道端に捨てられていた土地に自生する一本のパピルスに気づいた者が、短い王笏の代わりにそれを与えたのです。そして劇場の道化芝居のように、彼が王であるしるしを受けて王に扮すると、護衛兵に扮した若者たちが、肩に杖をのせて、男の両側に槍持ちとして立ちました。ついで他の者たちが近づくと、ある者は敬礼するふりをし、ある者は裁定をくだすふりをし、またある者は国家の諸問題に関して男に相談するふりをしました。ついで、男の周囲に立っていた群衆の中から、男を「マリン」と呼びかけるわざとらしい大きな声があがりましたが、それはシリア人の間では「主君」を指して使われる呼称であると言われております。彼らはアグリッパさまの生まれがシリアであることや、彼が王として支配するシリアの大きな領地を所有していることを知っていたのです。(『フラックスへの反論』6. 36-39)

 カラバスという男も、マルコ書のイエスのように、王の格好をさせられてからかわれています。マルコ福音書ではイエスは葦で頭をたたかれていますが、マタイ福音書のイエスはカラバスのように葦(パピルス)の王笏を持たされています。

それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。(マタイによる福音書27:27-30、新共同訳)

■結論
 マタイ書はマルコ書を元にして書かれたと言われていますが、両者とも、フィロンの『フラックスへの反論』そのものか、フィロンが典拠としたカラバス資料を参照したのではないでしょうか。福音書のイエスの処刑の物語は、史実ではなく、文学的な構築物、すなわち虚構なのです。

2021/01/14
作:Bangio

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