「日本語の今」を考える 「日本語が乱れている」と最近違和感を募らせてきたが、海外生活が長いために自分の日本語も危ういと返って指摘されるのではと恐れていた。 この度、脚本家の内舘牧子さんがこのテーマに触れた記事が掲載された。 内館さんは ―昨今のイヤな言い方を考えると、傾向が見えてくる。重要なこととして、「自分はへりくだること」「まずは他者を尊ぶこと」「他者にあわせること」があるように思う。周囲が「そうしなさい」と言っているわけではない。だがそうしないと自分だけ浮いたり、
文芸春秋 2023年10月号 東 浩紀 問題作「オッペンハイマー」を見て来た ―「原爆の父」を描いたハリウッド大作はなぜ日本公開“未定”なのか 『日本の国の不思議さはこの種のテーマによく現れる気がする。 この映画は原爆の開発過程を詳しく描く一方で、被爆国の日本の現状や被爆者の悲惨さは台詞で言及されるのみとのこと。これに対し日本の言い分は問題意識に欠けるという批判はあり得るかもしれない』と東氏は言う。 『この映画の監督は鬼才のクリストファー・ノーラン。彼はオッペンハイマーを
小野龍光、突然ネット上で脚光を浴びた名前。 17Liveの元CEO、ジモティなど数々を企業したIT業界の中心だった人が 2022年年10月にインドで出家して仏門に入り「小野龍光」という僧侶になる。 ReHackというYouTubeの動画に目が止まった。 この二人の会話の何に惹かれたかを述べたいと思う。 (ReHackのMCの元テレビ東京のプロデューサーはこの二人の会話を全く理解していなかったので、ここでは言及しない。) 成功を極めた実力者が「すべてを捨て仏門に入る」と
それは1970年5月のこと。大学を卒業して母校の英語の教師になるはずのわたしに「英語のブラッシュアップでもしたら?」と母親が友人のイギリス人宣教師に勝手に話しを進め、いつの間にか渡英が決まっていた。 イギリスってどこ? それは青天の霹靂! 最も安いチケットだと聞かされ生まれて初めて飛行機に乗り込んだ。香港で乗り換えバンコックまで。今から考えると多分安いのはバンコックからアムステルダムまでのチャーター便だったのではないかと思う。羽田から香港乗り換えバンコクで一泊。そして南回りで
明治41年(1908年)の今日、3月20日生まれの父が生きていれば115歳になる。若いときに自分の将来を見限らなければならない病になり、その病に立ち向かい必死でいきようとした熱意を国策で摘み取られ、そればかりか強制的に療養所に隔離され、他の人を扇動したということで危険分子とみなされ罪人扱いとなり療養所内の重官房と呼ばれる部屋に50日にわたり監禁された過去を持つ父はその後、94歳でこの世を去るまでそうした過去に蓋をして沈黙した。幼い私と姉兄を施設に預けざるを得なかった両親の胸中
75歳になり、子どものいない私はそろそろ終活?と思わないでもない。 自分の人生をこの段におよんで振り返ってみたいと思う気持ちが強いのは、人様とは少し異なった環境で育ち歩んだ人生だから?言葉に尽くせない慈愛に満ちた人生を振り返り,この満たされた人生は私だけのものではないと年を重ねるごとに実感している。 私には明確な3冊のアルバムがある。 生まれてから最初の結婚までの独身版 旅立ち① 結婚して当地ドイツに住むようになった自分版 旅立ち② ドイツで立ち上げたNPOと2度目の結婚。教
敗戦国という歴史を担いながら、ドイツ同様世界経済を牽引する大国になった日本において、政治・経済は勿論のこと教育面でも、過去少なからぬドイツ通を育ててきた。しかしこのドイツに長年住み、ドイツと日本の架け橋を夢見て仕事をしてきたわたしは、いまだにドイツがどんな国なのか一言で表現できないまま、日々の暮らしを驚きをもっておくっている。いやむしろ日々の暮らしと闘っているというべきだろう。 ドイツの公立中等教育機関であるギムナジウム(日本の小学校5年生から高校3年生まで9年間の一貫教育機
まとまらない言葉を生きる(柏書房) 第4話「負の感情」の処理方法 子供がいない外国暮らしの私がはじめて知る「保活」という言葉。いつの日からか「就活」「婚活」「終活」と新語が行き交うことに新鮮な驚きを覚えていた。何一つ関わることがないこうした活動の中で後期高齢者となった今では「終活」がリアルなテーマとなってきたぐらいか。 そもそも何故「活動」しなければならないのか。 私が暮らすドイツではそれに比べ、「あるがまま」「なせるまま」でだれもこんなことでアレコレ悩まないし、動かない。
ご近所のミーちゃんが正式に家族になりました! 毎日毎日、首を長くしてお迎えを待ち、待ちくたびれてお出かけしてしまいう。その間ミーちゃんを迎えにきては空振りするフランクジュニア家。そんなミーちゃんを実家までお届けするワタシ。 一日のほとんどを我が家で過ごすミーちゃんが唯一実家にもどるのは夕ご飯の時。それも15分もするとすぐ戻ってきてしまう。そうした毎日にタカシ氏は「いい加減うちでひきとろうよ」と言っていたが、「そんな大切な話はミーちゃんを家族として引き取ったフランク家と息子夫
ーある画家との出会いで学んだことー ヨーロッパでどこが一番好き?と聞かれれば「フィレンツェ!」と即答するほどこの街が大好きな私だが、苦い想い出がある。 それは何気なくこの町を訪ねたときのこと。町の中央に位置するポンテオ・ベッキオという橋の一角で、この橋を書き続けている日本人の画家に出会った。歳の頃50代後半。ひたすら何かを追い求めながら描き続けている姿に、かつての自分が重さなった。答えがみつからないまま苦しんでいたイギリスでの3年間。そんな私をたくさんの人が手をさしのべてく
ことばは言語!? それなら悲しい 自分を支える手段でありながら その手段に振り回される自分 ことばが杖となり ことばがマイクとなり ことばが衣装になる だから悲しいとおもった このときわたしは杖とならない マイクとならない 衣装にならない ことばをたくさん話した このことばを聴いてくれる ほんとうを信じて
YouTubeにふと現れた名前「ひろゆき」と「成田悠輔」。 さまざまな分野から著名な人物を招待してのトーク。 状況がわからないまま彼らの動画をほぼフォローして見た。 アナログ世界で生まれ、現役時代を終えた後期高齢者の私、 まずYouTubeというプラットフォームが今の若者たちの生活に浸透しており、ほぼ未知の世界がいわゆるSNSの世界なので今更とは思うが、 若い世代でかなりの範囲で彼らの存在が知られておいるらしいことにまずは驚いた。 二人の知識が広く深いことは視聴してわかるが、
ほんとうははかりしれない力 そ教える人がいた それは神と名乗るのだと 自分のあまりにも小ささに 自分のあまりにも弱さに 自分のあまりにも悲しさに それは本当だと思えた 自分の無力を力に 自分のみにくさを美しさに 変えてくれるかもしれない そんな気持ちから信じられた
いつの日か 本当(真実)を探しもとめるようになった 書物の中に 友人の中に 愛する人に 人を愛そうとする自分に 探せばさがすほど ほんとうはみえなくなった 「見えなくて良い!」とささやくほんとうが もしかしてあるようなきがした
ほんとうのそばで育まれたわたし 本当は厳しかった 本当はウソをゆるしてくれた 同時に嘘のない世界があることを そしてその世界こそが本当の平和をもたらすことを ほんとうは教えようとしている だからほんとうは寛容であった ほんとうに安らぐ日を見守ってくれた
ほんとう(現実)はこわかった だから嘘(虚実)から始まった ウソは優しかった ウソは寛容だった だがウソはもろい その分わたしはつよくなった ー若き頃、こうして走り始めたー