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緊急事態下における文化の必要性についての一考察

4月8日である。
致死性の新型コロナウィルスの感染爆発が起きる前に前代未聞の緊急事態宣言が、立法府の長たる内閣総理大臣から布告されたのである。これはのっぴきならない。
「不要不急の外出は控えるよう」とのお達しである。
「ただし生活必需品の買い物はオッケー」との仰せである。

私はさっそく買い物に出掛けた。
トイレットペーパーを買い求める人々のぎゅうぎゅうの行列を横目に、私は日々の生活に欠かせない生活必需品を優先度の高いものから淡々と購入していった。

日々の生活に欠かせない古着。

優先度の高いDVD。

中でも人が生きていく上で必要緊急だったのが研ナオコのベストアルバムであることに異論は無いであろう。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00005FQ35/ref=cm_sw_r_apa_i_Nn4KEb0NVXT97

いつになく強い危機感の中で買い物を終え、厳粛な面持ちで耳を傾けていたのだが、収録曲の中でも最も緊急性が高いと感じたのが「Tokyo見返り美人」であった。

http://j-lyric.net/artist/a00077e/l005782.html

いわゆる「のっぴきならない女性」歌謡である。この手の曲は歌い手のイメージによる部分が大きく、周到なキャラ付けの上に成り立っている。
当人にとって迷惑なほど周到にイメージを形作られた中森明菜に該当曲が多い。
①「飾りじゃないのよ涙は」
②「愛撫」
③「難破船」
等があげられるが、この分類の楽曲で最も代表的な楽曲はやはり山口百恵の
④「プレイバック Part2」であろう。
これらの歌詞の特徴は、
・イメージが鮮烈なほど
・よく考えると内容が他愛ないほど
趣深いと言えよう。
①は「私は泣いたことがない」
という、生まれ落ちた瞬間から自らの使命を悟っていた仏陀レベルのスケールのデカさは大変頼もしい。
②は小室哲哉が提供した隠れた佳作。「あなたの手の時計を外して海に投げて沈めた」という、どんな経緯があったか知らんが問答無用の鬼畜の所業が大変心強い。
③に至っては、その距離感は哲学的ですらあり「たかが恋」などとは決して言わさぬ、生存意義でありアイデンティティーでありレゾンダートルであり、懸想の余り解脱してしまった死霊の呟きである。さあ、あなたも折れた翼を広げたまま加藤登紀子さんの恋愛観に打ちのめされよう。

前置きが長くなった。「バカにしないで」と凄まれる前に真っ赤なポルシェで本筋へ戻ろう。
「Tokyo見返り美人」は④と同じく作詞:阿木耀子、作曲:宇崎竜童の「日本歌謡界の若貴兄弟」とも言えるゴールデンコンビによる鉄壁の布陣である。
その歌詞の含意の深度が異常に深いにも関わらず、「そこは雨 こぬか雨 歩道が濡れてる」とか「ビルの谷間の蛍さ 尻尾チカチカ光らせ 今は赤 次は青 信号が変わる」といった一見身も蓋もない文字列が強烈なヴィジュアルを思い起こさせる。
「港区あたりじゃ顔さ」という風呂敷を広げたかと思えば、赤坂や六本木という犯罪の巣窟を避けて「白金か西麻布どっちみち女さ」と丁寧に折り畳む。
街の風景を織り混ぜつつも、ジゴロに合わせて自意識を惨めに押し込めていく主人公の自嘲に収斂していく作品世界の精緻な構築に嘆息せざるを得ない。
そもそもタイトルからして主人公の八方破れの開き直りなのだ。そのものズバリではなく「なーんてね。」という覚めきった皮肉である。

なお、港繋がりで思い出したが阿木&宇崎コンビには「港祭り」というのっぴきならない楽曲がある。
歌うは元安藤組組長、安藤昇。
内容は神奈川県横浜市鶴見区生麦の「蛇も蚊も祭り」で悪質なナンパから女性を助けたやくざ者が逆ギレしたチンピラに短刀(ドス)で刺殺される様子を、息も絶え絶えの断末魔まで主観でお伝えするというもの。
何といっても秀逸なのは舞台の選定である。日本史上屈指のやっちまった感を誇るガチの刃傷沙汰「生麦事件」の故地である。
つまり「Tokyo見返り美人」の真逆のベクトルである。歌い手、内容、舞台と全てが有無を言わさずのっぴきならない方向へと収斂していく。

「会長によれば、気になる「蛇も蚊も」の起源は、口伝えによる伝承でしか残っていないそうだ。しかし、かつて疫病が流行したときにこのお祭りを行ったところ、無病息災を得られたのは確かであるとのこと。これを機に同祭は生麦地区に定着していったという。」
https://hamarepo.com/story.php?story_id=1117
とのことなので、こちらこそ現在聞くべき歌なのかもしれない。

まあ、最後には死ぬんだけど。

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