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なぜ、彼らは穴を掘り続けるのか?

 その洞窟は横浜市の外れ、駅で言えば東海道線の戸塚駅と大船駅の間にある定泉寺と言う小さな寺の奥にある。
 洞窟の名を「田谷の洞窟」という。
 この洞窟はメディアにも取り上げられないので、境内には人はまばらにしかいない。
 本堂の横にある受付所で拝観料を払い、長い棒にロウソクをつけて、それをもって岩の間に入る。
 洞窟の中に入ると、生温い空気が闇に充満している。
 岩に手を触れる。表面には電球に照らされたのみが打たれた跡がひとあと、ひとあと残っている。
 この洞窟は人工洞窟で、修行僧によって鎌倉時代から江戸時代にかけて掘られたという。
 入口の小ささから比べて、洞窟は途方もなく広く、道は長い。
 道は途中で交わり、周り、下り、登る、とても複雑な作りをしている。
 この複雑さからいって、設計図をもって作り上げたのではなく、多くの人々が掘っていくうちに一つの形に作り上げられたように思える。
 しかも、ただ穴が掘られただけではない。
 洞窟の壁面には石仏や曼荼羅などがびっしりと掘られている。途中で円形の部屋になっているような場所があって、上部には十二支が部屋を囲むように掘られている。見上げると、ちょうど、天井の中心部には二匹のコウモリが刻まれている。
 現在は洞窟内には電球が通っているが、掘られた当時は、乏しい明かりの中で、これだけ精緻な絵を刻むのは相当な労力が必要だと思う。
 修行僧は、毎日、毎日何を思って、岩に向かって刻み付けていたのだろうか。
 それも一人ではない。六百年にもわたってだ。彼らは自分の代で完成しないかもしれず、ほとんど誰もが知られないこの洞窟をつくることにどのような意義を見出していたのだろう。
 修行僧たちは無心で、その仕事を進めることに集中をしてたのではないかと思う。
 完成については考えなかったのではないか。行為の中に目的がある。過程こそ喜びであり修行である。
 そうやって六百年も人々はリレーを行ってきた。過去の積み上げてきた人たちだけが、今の人たちに対する励ましになったと思う。死者による励ましが今を生きる人々を照らす。
 保坂和志が考える小説的な態度もこの洞窟を掘った修行僧の態度と同じだ。結果や目的はいらない。その過程にこそ意味がある。未来はないかもしれないが、今やるべきことがある。それが幸福なのだ。



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