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地方住人にとって、芸術祭は他人事として捉えてませんか?
今年ももう12月に入ったが、日本全国では様々な芸術祭が行われていた。それは調べてみると驚く。北海道から沖縄まで、本当にいたるところで行われ、日本全土が表現の場であるかのような錯覚にも陥る。それほどに、都市部だけでなく地方全体で俯瞰しても芸術祭は当たり前の存在にないる。
横須賀住人にとっても、この11月~12月の季節はすっかりとアート色に包まれるようになった。
そう、毎年恒例になりつつある『Sense Island』 である。
筆者が猿島での鑑賞は今回が2回目。去年のトークショーを加えるならば3回目の参加である。
とはいえ、今回の記事では猿島の展示に関してにはあまり触れない。
展示の様子よりも、むしろ件の通りに日本全国に散らばった芸術祭、この地域に根差そうとするアートイベントの行方について考えてみたい。
こうして参加して感じるのが、この芸術祭は地域住民にとってはどれほどの意味がもたらされているのだろうか?
〇芸術祭を地方で開く意義・意味とは?
読者の方々、とくにアートにそれほど興味を抱いていなかった人は一度「芸術祭」「日本の芸術祭」などのキーワードで検索をかけてほしい。北海道から沖縄まで、本当にいたるところで開かれているのが分かるだろう。東京や横浜・大阪などの都市部はもちろん、新潟や岡山、沖縄などの地方でも当然のように開かれている。そこからしても、都市に芸術祭はつきものだというのがうかがえるのではないだろうか。件の通りに、筆者が住む横須賀ですら存在する。
地方で芸術祭をするということは、関係者人口を呼び起こすのに非常に効果があるだろう。 実際、横須賀のSense Islandでも参加者の多く(半分を大きく超える)が横須賀市街から来ていると関係者から聞いたこともある。こうしてそのエリアの外から人が来ることにより、エリア外の人にもその土地自体を知ってもらえるきっかけになる。筆者も去年は芸術祭とは違うが、演劇祭目的で兵庫の豊岡を訪れて但馬エリアの魅力を少しとはいえ知ることができた。そうやって、イベントをきっかけに訪れる機会を見つけ、また実際に訪れることによりその土地を知ることになる。もし演劇祭がなければ、筆者が豊岡という地に訪れていたかは怪しい。
知らなかった地域を知ることにより、なおかつ他の行事ごとなどにより通う回数を増やすことにより、その土地を知り馴染むきっかけを与えることがこの種の大きな目的になるだろう。
行政サイドとしては、そうしたことによりあわよくば移住者が増えることを期待しているのではないだろうか? 個人的には、今後は人口が大幅に減っていく中で(特に若者が)、人口増を期待することはあまり意味をなさないと思えるが。
ただ、そこで観光業が本格的に活性化されるとなれば、それに付随する産業も活性化され、あわよくば雇用も増えるというものである。
それを期待するならば、まずはこの手の企画や進行を任せている企業を地元に立てることを望まなければならないが。東京など都心部に本社があるコンサル会社やイベント会社に頼っているようでは、本当の意味での活性化は望めないのではないか。
また、効果的なことを考えるならば地元の文化的発展も期待できるのではないだろうか?
アートが日常的になることにより、芸術的感性を育む機会が増えるだろう。ただでさえとっつきにくいイメージがあるアートに対しての理解が促進される。むしろ、この手の活動がない限りは、人々はアートに対する関心が薄く、自ら足を向けることなどない人が大多数だろう。そのきっかけ作りを与える意味でも、芸術祭が地方で開かれる意味はある。
と書いてみたものの、期待することは願望であり、それがうまい具合に実現することはあまり望めないのではないだろうか?
そもそも、それらの効果をなぜアートが担わなければならないのだろうか? 絵画や彫刻などの創作物から、インスタレーションなどの空間そのものの表現がなぜに地域活性への貢献を果たせなければならないのだろうか?
また、現代における勢いのあるアーティストを地方にまで呼んでハイクオリティなパフォーマンスをさせる意味はどこにあるのだろうか。その答えをしっかりと半ば歴史となって地方に根付いた文脈に沿わさなくては意味がないのではないだろうか?
ハイクオリティなアーティストが行政が期待する効果を担う意義はあるのだろうか?
〇誰のための芸術祭なのか?
会社にも横須賀の住民は何人かいるので、この手の話(芸術祭含むアート関連)を振ってみるのだが、まず間違いなく興味なさそうな反応を示す。しかも、そもそもそれらの企画が展開していることを知らない、知っていてもやっていることだけを認知していて関心は向かない、というのが現実だ。おそらくは、多くの地方住民がそういう感覚なのではないだろうか?
筆者のように、積極的にイベント情報をあさり興味がわけば実際に足を向けて参加してみる人の方が圧倒的に少ないのだろう。
今回も、猿島で行われたイベントではなく、横須賀市街地で行われたイベントに3回ほど参加してみたが、そこにいた人たちが横須賀市街から来ている人ばかりだった事実からしてその状況がうかがえる、
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参加した3つの内2つは、どちらも横須賀市街地を歩き回り、そこで見つけられる何気ない風景を当たり前に見過ごすわけでなく、あえて違う視点・価値観を持ち出して見つめなおし価値を再発見しようとする試みだ。
それは、ある種の路上観察でもあれば、そこで暮らす(暮らしてきた)人たちの日常や歴史を読み解く行為でもある。風景や日常を観察することにより、改めてその土地や住人の意味を読み解こうとする試みであり、その土地の再定義をしようとする試みでもある。再定義することにより、今後につなげられる新たな価値を見つけ、都市の新たな姿を模索できるようになるのではないだろうか? もしくは、変わらないそのままの風景でも、新たな意味づけをすることにより来訪者に違った風景を見せることができるようになるのではないだろうか。
そこに長年住んできた地元の人間として参加してみるのは非常に面白い行為であった。本当に何気なく歩いていた土地が違って見えてくるようになるし、すぐ隣のメインロードは普段から頻繁に歩いていたのに、わき道に逸れた細い道がどこに続いているかもしれず、実際に進んでみると驚く光景が近所に広がっていたことを知った。40年以上住んでいたのに、知らない要素がまだまだそこにあったのだ。これは非常に新鮮な感覚でもあったし、地元住人だからこそ面白がれた要素がたくさんあった。
地元あるあると思えるのだが、意外と同じ市内でも訪れることのないエリアというのは散見される。下手をすれば同じ町内でもそうであるし、その通らなかった道に歴史的価値が隠れているかもしれない。
筆者でいえば、最近知った地元知識としては安藤広重が浦賀道を訪れ風景を絵にしていた事実だ。
また、下記の写真を見てほしい。これは、街歩き企画の一環で案内された風景の一部だ。写真近くは何度も通っている場所なのだが、こういった何気ないところに何気ないデザインが施されていることにはまったく気が付かなかった。
こういう小さい視点で街を見つめなおすのも面白い。
なんてことのない場所がたちまちに意味づけされるから不思議であるし、こういう指摘をきっかけに街の見方が変わってしまう。
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だが、そこに参加した地元住民は少ない。
地元住民だからこそ楽しめる・発見できる要素が豊富に秘められた企画だというのに、そこに地元住民の姿が少ないのが現実だ。
件の通りで、そもそも地元住民にこの手の企画が進行していること自体が人口に膾炙していないのだろう。非常に惜しい事実であし、地元住民としては企画者ではないにもかかわらずどこか忸怩たる思いもにじみ出る。地元民だからこそ楽しめるし、その意味を実感できる企画だからこそもっと多くの人間が参加してほしいのだが、響きはしていないのが現状だ。
では、誰が楽しんでいるかといえば、アートセンスが既に高まっている人、特に東京を中心とした都心部に住む人たちだろう。おそらく、平均的に学力も高いかもしれない。見ていて気が付くのは、大体女性か年配の男性である。女性だけなら、年齢層はばらばらだ。つまり、若い男性の参加者は比較的少ない。
実際、来ていた人に話を聞いたら、多摩美大の学生3人組であった。他にも自身がアーティストだという人もいた。美大生やアーティストとまでいかなくても、何かしらアートに関心が強く積極的に情報を収集している人たちなのだろう。
そこで、改めて思うのが「芸術祭は誰のために行われているのだろう?」である。
参加アーティストのため? アート感度が高い人たちのため? 外国人を含めた観光客のため? 地元住民のため? 地域社会のこれからを作り出すため?
もちろん、ステークホルダー(関係者)の一番手である地元行政側としては芸術祭を通して関係者人口を増やし、そこで消費することによりお金を落としてもらい、あわよくば移住に関心を寄せてもらおうと考えているに違いない。
しかし、物事はそう簡単に動くものではない。
しかも、これだけ日本のいたるところで芸術祭どころか、映画祭やら演劇祭やらあらゆる催し物が開かれているのだ。アニメやドラマの聖地巡礼も含めてしまえば、まさに飽和状態。どこまで行政側の期待に芸術祭が応えられるのだろうか。むしろ、それらの勝手な期待に応える必要があるのか疑問にも思えてくる。芸術祭はそこ以外にもずっと多くの意味をはらんでいるに違いないのだから。
〇いかにして地域住民を巻き込めるのか?
筆者は、この度偶然にもその疑問に対する答えへ切り込める意見を聞くことができた。
Sense Islandにも関わっている文化人類学者中村寛さんに質問をぶつけることができたのだ。
筆者の疑問の起点は、「芸術祭で盛り上がる地域の中、地元の人間が置いて行かれていないだろうか? もしくは、ついていけていないのではないだろうか?」「そもそも、関心を持たれていないのではないだろうか?」という点だ。
これに対しての答えが、
「いかにして、地元住民を関係者として巻き込めるかどうか」
だった。
つまり、地元住民に何かしらの形で芸術祭に関わってもらえるかどうか、ということだ。これは、別に作品作りに関わるレベルでなくてもいい。場所を貸す、荷物を運ぶ、などの末端の関わりでもいいという。ボランティアが一番わかりやすいかもしれない。
そうやって関わることにより、自分もその芸術祭の一部だということを意識してもらう。それにより、地元芸術祭への関心を惹起させるというわけだ。
アーティストのパフォーマンスは完全に理解できなくても、興味という部分では上手い具合に誘えるだろう。そうやって、街歩きのイベントなどに誘えれば面白くもなるのではないだろうか。
これらの手法で成功している事例が、新潟の越後妻有で行われている『大地の芸術祭』だという。
筆者は、残念ながらこの芸術祭には参加したことがないのだが、調べてみれば多くの地元住人を当事者として関わらさせる試みが展開してるようだ。これは見習っていいだろう。
こうして、地元住民の多くを当事者として仕立て上げることにより、より地元住民のアートへの感度が高まる効果も期待できるのではないだろうか? 少なくとも、関心の高まりは芸術祭への不信感や猜疑心を払拭することはできるだろう。
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中村さんと薬王寺さん
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○まずは当事者になってみよう
地方で開催される芸術祭には、地域の文化や自然、課題を反映し、その地ならではの意味を持たせることが求められます。単にアートを観光資源として活用するだけでなく、住民が主体的に参加し、地域の再発見や活性化につながるものが理想です。
これらの意味、意義が芸術祭に秘めていることが地元住民の意識に浸透し、理解が進めば、ますます芸術祭を地方で開く意味が深まるのではないでしょうか?
もし読者の方々で、地元の芸術祭に疑問を持っている人がいるならば、一旦何かしらの形で関わってみてはいかがでしょう。
当事者になることにより見えてくる世界があるはずです。
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ドライドック内でも
パフォーマンスは行われた
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観音崎には戦没者慰霊碑があるが、
それに準えたのだろうか。
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