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馴染みある街を歩いて地域を再定義してみよう

読者の皆様が普段歩く街並みの中に、どれだけの『物語』が隠れているか考えたことはあるだろうか?
いつも何気なく通り過ぎる道にも、じっくり観察してみると新しい発見がある。デザインされたマンホールの蓋、街角の看板のフォント、そして庭先に飾られた観葉植物や季節ごとの装飾品……。これらはすべて、その地域の個性や文化を映し出している。

また、路地裏に描かれた非公式なグラフィティやシャッターアートも、見方を変えれば『都市の声』として捉えらるのではないだろうか。公式に作られたものと、非公式に現れたもの。それらが交じり合う空間が、我々の日常を彩り、地域を再定義するヒントを与えてくれる。
本記事では、公式と非公式、偶然性、そして個人の自己表現が織りなす路上の風景に注目する。何気ない道や装飾を観察することで、その地域が持つ隠れた魅力や新しい価値を発見していこう。

 

〇芸術祭の企画を通して横須賀を歩いてみた

『Sense Island』の企画の一つとして、この路上観察という分野が盛り込まれたそれがあったのだ。『SIDE CORE 谷戸スカイウォーカー』だ。

子供の頃に見慣れた風景を大人になって見た時、全く異なるものに見えるという経験は誰にでもあると思います。このツアーはSIDE COREのメンバーがかつて横須賀に暮らしていた視点から、歴史や風土に対する知識や視点を得て、改めて風景をなぞり直すという内容です。

企画概要より

「改めて風景をなぞり直す」
まさに路上観察の企画ともいえる。
この企画を体験して、筆者は改めて横須賀(の一部)を観察し、横須賀という都市の風景をなぞり直し、再発見しつつそこに広がる光景の意味を問うことにした。

通った道は、汐入駅から汐入小学校丘脇の道を上がりながら緑が丘をかすめ丘へ上がっていき、そこから上町へ抜け平坂から横須賀中央駅まで出るというコースである。筆者もコースの半分は頻繁に通る道だ。しかし、人の視点を含めながら改めてみると違う視点が見えてきたから興味深いものである。

 

○公式と非公式が交差する路上アート

まずは写真を見てほしい。これは、スタート地点である汐入駅を出てすぐのところにある高架下で見られたタグである。
タグとは、見ての通りに路上の壁や電柱なんかによく描いてある記号のような印である。一見、ただのいたずら書きのようであるが、これにも意味がある。

汐入駅すぐ近くの高架下脇でタグを観察
こちらも、電柱に刻まれたタグ

他にも、街中を歩いていれば壁やシャッターに描かれたスプレーアートを目にすることが多々あるだろう。特に都心部に出ればいくらでも目につくはずだ。
それらは『グラフィティ』と呼ばれ、1970年代のアメリカで発展したストリートカルチャーの一環として広まった。
グラフィティは、単なる装飾ではなく、アーティストが都市空間に自己表現を刻むための手段であり、しばしば社会や権威に対する批評性や挑発性を含んでいる。
しかし、日本においては、その多くが違法とされるため、芸術性よりも迷惑行為として扱われることが少なくない。日本の例で言えば、ある程度の年齢が行った人なら暴走族の落書きを思い出す人の方が多いのではないだろうか? または、観光地に刻まれた誰とも知れないカップルの名前など。そのイメージの方が先行して、日本で見られるそれに対してどうしてもアートと呼ばれるのに違和感を覚える人もいるだろう。その気持ちはわからないでもない。
グラフィティもまた、暴走族の落書きと同じく違法性ゆえに公共空間の秩序を乱す行為として批判される一方で、現代においては独自の美術的価値を持つ作品も現れるようになってる。昔と違い、路上に描かれる作品の質と評価はドンドンと変化されているのだ。
高度なスプレー技術や色彩感覚、緻密なデザインは、現代アートとして評価されるものも多く、海外ではギャラリーや美術館に展示されることもある。
一方で、まだまだ日本では公共空間を大切にする文化が根強いため、違法性が特に強調されがちだ。この文化的背景が、グラフィティが正当な評価を受ける機会を制限していると言えるだろう。

グラフィティの評価には、「公式」と「非公式」の違いが複雑に絡んでいる。行政が認可した壁に描かれる公式なストリートアートは、合法である一方で、自由な表現や挑発性が失われるリスクがある。それに対し、非公式なグラフィティは違法であるがゆえにそのエネルギーやメッセージ性が際立つ。
この評価の難しさは、「都市空間に何を許容するか」という問いと密接に関係してくるのではなかろうか。公式のアートは街を美しく整える一方で、非公式なアートは都市の多様性や批評性を保つ役割を果たしているはずだから。

横須賀市依頼で出来上がったグラフィック

公式のストリートアートは、行政や地域がアートを通じて観光資源を作り、地域活性化を目指すもので、その統一感や美観が評価される。しかし、公式であるがゆえにメッセージが制限されることもあり、アート本来の自由な自己表現とは一線を画す。
一方で、非公式なグラフィティは、その場所に意図せず現れることで、人々に新しい視点や都市の『裏側』を示す。
しかし、その違法性は、公共空間のルールを守るべきという視点からすると、受け入れられにくいのも事実だ。
このように、公式と非公式のバランスをどのように取るべきかは、地域や文化の価値観によって大きく異なるだろう。どちらも一方的に排除するのではなく、共存する方法を模索することが重要に違いない。

グラフィティをはじめとする路上アートは、公式と非公式が交じり合うことで、地域に多層的な意味を持たせる存在だ。公式なデザインが秩序や美観を提供する一方で、非公式なアートは自由な発想や都市空間の再解釈を促す。この両者が共存する空間こそが、地域の個性や多様性を映し出す重要な要素と言えるだろう。

野比海岸に並ぶ#ジハングン
糸島の#ジハングンと同じ会社が企画している
これも#ジハングン


○庭先や玄関先が語る地域の物語

横須賀の入り組んだ住宅街を通るだけでも
ワクワクしてくる

読者の方々で、街を歩いていると個人宅の庭先や玄関先に飾られた植物やオブジェが目に留まることはないだろうか?

以前、面白い話を聞いたことがある。庭先のガーデニングやホームセンターで買ってきたであろうガーデンオーナメント、それらは単なる装飾ではなく、その家の住人が外に向けて発信する自己表現と捉えられると。
特に、観葉植物や花壇、季節ごとの装飾品は、住人の趣味や価値観を映し出し、家の個性を際立たせてるように見える。家の主人の性格が、庭先に滲み出ているのだ。
また、これらはプライベート空間の延長でありながら、通行人からも見られるパブリック性を持つ、特別な役割を果たしているとも言えるだろう。

庭や玄関先は個人の所有物でありながら、歩道や道路に面しているため、自然と通行人の視界に入る。このように、プライベートとパブリックが交わる場所では、住人の個性が地域の一部として他者に共有される瞬間が生まれる。
特に、日本の住宅街では、整えられた植木や季節の花が地域の美観を高める重要な役割を果たすのではないだろうか。一方で、ユニークなオブジェやホームセンターで買ったデコレーションが、住人の個性を強調し、通行人に驚きや楽しさを提供することもある。
これらの装飾は、時に意図せずとも地域の顔として機能することもある。

季節感を反映した装飾は、地域全体に統一感や温かみを与える要素ともなりうる。例えば、少し前までの時期にはよく見かけたのではないだろうか。最近はややおとなしくなってきたが、一時期は競うように飾り立てられたあれだ。クリスマスの電飾である。クリスマスシーズンには華やかなイルミネーションが住宅街を彩り、通行人の目を楽しませた。
今では、クリスマス関係なくこの時期になれば、個人宅だけではなくあらゆる駅前やショッピング施設などで透き通るような電飾を纏い街が着飾っている。
また、お正月には門松やしめ飾り、春には花見に合わせた植栽が、地域に季節の移ろいを感じさせる。これらは単なる個人宅の装飾にとどまらず、住民同士や地域全体の文化を共有する手段として機能しているとは言えまいか。
装飾を通じて『見せる』ことが、地域に新しい物語を付加していると捉えられる。

街路樹も電飾で着飾る
(横浜 みなとみらい)

個人宅の装飾を観察することで、地域の多様性や住民の個性を再発見することができる。
家ごとに異なる庭木の剪定スタイルや植栽の種類を見ると、その家の美意識やライフスタイルが垣間見える。また、ユニークなオブジェや工夫されたイルミネーションは、歩行者に「この家の住人はどんな人なんだろう?」という好奇心を抱かせることがあります。
こうした観察を通じて、普段通り過ぎるだけの住宅街にも、新しい視点や物語が広がる可能性を秘めている。
個人宅の装飾は、単なる家ごとの個性だけでなく、地域全体の景観や雰囲気にも影響を与えている。例えば、庭木が多い住宅街は『緑豊かな地域』としての印象を与え、季節ごとの装飾が積極的に行われるエリアは『活気のある地域』として認識されるだろう。
一方で、過度に派手な装飾や、調和を欠くスタイルが集まると、地域全体の景観が乱れるリスクもある。このように、個人の装飾が地域に与える影響は、意外と大きいとも言える。

個人宅の装飾は、プライベート空間の延長でありながら、地域全体の物語に寄与する重要な役割を果たしている。それは通行人に楽しさを提供し、地域のアイデンティティを形作る要素でもある。
路上観察をする際、こうした装飾に目を向けることで、その地域が持つ多様性や個性を再発見することができるだろう。

〇『SIDE CORE 谷戸スカイウォーカー』で見えてきた横須賀の路上光景

では、ここで実際に横須賀を歩いて見えてきた風景を写真を掲載しながら確認してみよう。

崖に刻まれた植物の模様
説明によると、このような干支のマークが市内に点在するらしい


木製の電線が現役で残っていた
レンガ造りの家 かつては天文台として使われていたらしい
個人宅でこれほど入り組んだ階段を上がらないといけないのは横須賀でもあまりないのでは?
ゴミ捨て場に設置された監視カメラ??
線はつながっていない
横須賀市民にはなじみのある中央水族館の店内
入り組んで迷路のような店内に熱帯魚が泳いでいる
児童図書館 40年近くぶりに入った

これらの画像は、横須賀を実際に歩いてみて見えてきた光景である。何気ない日常の中をこのように『観察』することにより、その土地の面白さを浮きだたせようとする試みだ。
何度か通っていた道でも、改めて観察してみると気が付くことも多いのではないだろうか? 今回のツアーでも、筆者が通ったことのある道やすぐ傍まで来ていたが通ることのなかった道を通ることにより複数の新たな視点を観察することができた。観察することができたということは、まさに日常を素通りしていたとも言い換えられるだろう。
例えば、上記の崖に刻まれた植物の模様や干支の記号だ。すぐそばを通っていたはずなのに、今回のツアーで指摘されるまで気が付くことがなかった。そして、指摘されることにより意識が向くようになったのである。
急で入り組んだ階段だって、横須賀ならではの地形を象徴する存在でもあり、こうして観察することによりその地域性を改めて確認できる。
こういった街の細部に視点をフォーカスすることにより、街の景観をアップデートする試みが路上観察である。
また、馴染みのあるお店や施設を改めて観察すると、その土地の歴史や特色が再発見できたりする。
横須賀では、元軍港都市だったからこそできた施設の痕跡を今でも確認でき、まさに地域性を感じ取ることができる。土地の人が天文台と呼ぶレンガ造りの海軍施設跡もまた、横須賀ならではの光景とも呼べる。

路上観察は、普段見過ごしてしまうような小さな風景や、何気ない日常の中に潜む地域の特性を発見する行為だ。横須賀の階段や街中で見かけるマークのように、何気ない風景をじっくり観察してみると、そこにはその地域の個性や文化、そして住む人々の生活の痕跡が現れている。次回街を歩くときは、ぜひ足元や周囲の何気ない風景にも目を向けてみてほしい。そこには、思いがけない魅力が隠れているかもしれない。

〇地域を再定義する新しい視点

地域という言葉は、地理的な場所や行政区分として語られることが多いが、本当にそれだけでその地域を語り尽くせるのだろうか? そこに暮らす人々がどのようにその場所を感じ、どのように表現しているか。それらを観察することで、私たちは地域の新しい姿を見つけることがでる。そして、それこそが『地域の再定義』といえるのではないだろうか。

公式な場で描かれたストリートアート、非公式で違法性をはらむグラフィティ、そして個人宅の庭先や玄関先に見られる装飾、その地域独特の歴史から派生した建造物――これらすべてが、その地域に流れる多様な声を代弁しています。これらは表面的には一見バラバラに見えるかもしれませんが、実は地域の『多層的な物語』を紡いでいる。その多層性を理解し、評価する視点こそが、地域を再定義する鍵だ。

もちろん、課題もある。非公式なグラフィティには違法性がつきまとい、公式なアートには管理されすぎているという批判が伴う。さらに、地域の美観を守りたいという行政や住民の意識と、自由な表現を求めるアーティストの意図が衝突することもある。しかし、このような多様性や緊張感こそが、地域を生き生きとさせるエネルギーの源なのかもしれない。

『公式』と『非公式』という二分法を超えて、地域全体をひとつのキャンバスとして見ることができれば、きっと新しい価値観が生まれるだろう。例えば、公式な場でのアートは技術の高さや観光資源としての可能性を評価し、非公式な表現にはその主張や地域への想いを感じ取る。個人宅や地域の商店などの装飾には、その住民の生活の一部や個性を尊重する。こうして、地域のあらゆる表現が交じり合うことで、私たちはその地域をもっと深く理解できるのではないだろうか。

最終的に、地域を再定義するとは、ただ新しい意味を付け加えることではない。それは、今まで見過ごされていた価値や声を拾い上げ、それらを織り交ぜて『動的な地域像』をつくりあげることだ。私たち一人ひとりがそのプロセスに参加し、地域を観察し、語り合い、表現することで、地域そのものが生きたキャンバスとして変化していく。そうした未来の地域像は、きっとより豊かで、個性的で、多様なものとなるはずだ。

この新しい視点が、地域をより深く知り、愛するための一歩になることを願っている。そして、それがやがてその地域への誇りとなり、持続可能な未来への道を拓いていくと信じている。


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クロフネ3世
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