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子宮の詩が聴こえない1-③

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■| 第1章 詩人の勧誘
③「たびマガジン編集部」


自宅から電車を一度乗り換えて40分程。それほど通勤は苦にしていない。
誠二の勤め先は「現実研究出版」。ファッションやスポーツなどを中心に幅広いジャンルの雑誌を出している。

「きょうも顔色よくないですねー」
出社して挨拶もなく馴れ馴れしく話しかけるのは、隣の席に座る入社2年後輩の新井ワタルだ。

誠二が属しているのは月刊誌「たびマガジン」編集部。
20人弱の編集部員の中で、最も取材力に長け、仕事を共にすることが多い30歳のワタルは、誠二にとっては頼りになる相棒といえる。

家庭の状況を聞いてもらうことも多くなった。
「もう疲れたよ。いつまで続くんだろう」
お互いにプライベートのことは詮索しないので、やや控えめにぼかしつつ、ではあるが。

ワタルは明るい性格で、すぐに冗談めかして言う。
「誠二さんを見てると、結婚したくねえな……」
「まあ焦ることはないよ。ちょっと長いこと同棲してみるとか」
「前にも言っていましたね……」
「いや、同棲でも分からないか。子どもができて変わるかもしれない。でも、育児で疲弊してしまうのはすごく分かるんだ」
「誠二さんぐらいのイクメンでも奥さんがそうなるんですものね」
「イクメンって。男の側からそんなふうに思うのは好きじゃないな」

デスクを挟んで談笑する二人。
ふいに、後ろを通りがかった女性をワタルが呼び止める。

「亜友美ちゃん、誠二さんがまたお疲れでいらっしゃるよ」
たびマガジンには複数のアルバイト社員がいて、その中でも仕事も早くて頼りになるのが25歳の津田亜友美だ。

「お疲れ様です黒田さん、きょうもお昼ご飯作って来たんですか」
妻の分の昼食や夕食の作り置きをするついでに、弁当を作って持参していることを亜友美と話題にしたことがある。

「うん。きょうは生姜焼きとか。てきとうに」
ワタルが茶化すように手を叩いた。
「すごいよな。亜友美ちゃん、やっぱり料理ができる男がいいでしょ」
ワタルがいると、あまりよくない方向に会話が進む。
誠二は話題を変えた。

昨夜にまさみから聞かされた「子宮の詩を詠む会」のことを聞いてみたかった。
「津田さん、以前スピマガにいたんだよね?」
亜友美が最初にアルバイトとして採用されたのは、会社の売り上げの主軸にもなっている「月刊スピリチュアリズムマガジン」編集部だ。

「そうです。スピマガがバイトの人数を増やし過ぎたというので、自分で希望して去年ここに移りました。どうかしたんですか?」
ハキハキと答える亜友美。
「番長あきって知ってる? スピリチュアル系ブロガーらしいんだけど」

隣で聞いたワタルが、「番長って」と吹き出した。
亜友美もやや困った顔をしている。

「スピリチュアルなのに番長ですか。私は聞いたことがないですね」
「そう。嫁さんが女性に人気だって言っていたから、聞いてみたくて」
「最近はいろいろいますから」
「そうだよね……。子宮の詩人とか言っているみたい。ちょっと胡散臭いなと思って」

スマホをいじって検索していたワタルが、さっき吹き出した声よりもっと大きく笑いだした。
「これかあ! すごいですよ、怖い怖い!」

誠二と亜友美がのぞき込む。番長あきのブログだ。
花魁(おいらん)のような着崩した真っ赤な衣装と派手な頭飾りをした女性が、マイクを手に笑顔で講演しているような画像が目に入った。

「これが、番長……。セミナーですよね。最近よく聞きます」
亜友美が平然とそう言うので、誠二はさらに驚いて尋ねた。

「これって宗教みたいな感じなの?」
「宗教ではないんです。でも、これはちょっと値段が高めで、まともな人は行かないと思います」
指さしたのは画像の下に書かれている文章だ。

“個人セッション4万9000円。子宮の詩を聴き、人生が変わるお手伝い”

「うわー! このままだと奥さん、行きますね、これ」
頭を抱えるようにしておどけて発したワタルの言葉に、誠二は青ざめ「まさか」と小さく返した。

娘が保育園に行っている時間はフリーだが、ここに参加する妻の姿は想像ができなかった。
しかし、ブログには、まさみと同じぐらいの年齢層の女性達がたくさん写っている。
笑顔で会場を練り歩く番長あきを、大勢が崇拝しているかのようなセミナー会場の様子がうかがえた。

亜友美が考察する。
「実際にこういう場所に行ってたくさんの信者がいると、多少おかしなことを言われても信じてしまうかもしれませんね。女ってやっぱりスピ好きなので、一度入り込んじゃうと誰でも……」
「……そうなのか」
「いや、ちゃんと気持ち悪いって思う人も、絶対いるとは思いますけど」
心配そうな誠二を見てフォローしたが、後の祭りだ。


編集者の一日は長い。
一旦は心配事を忘れて仕事に没頭した。
日が暮れるまで電話取材案件や企画書を取りまとめ、席を立とうとすると、編集部の通路から「黒田さん!」と呼び止める声がした。

亜友美だ。その隣には少し大柄で40代後半ぐらいの眼鏡をかけた女性。
「こちらスピマガの衣笠デスクです。番長あきの取材を企画中ですって」

亜友美の親切心が嬉しく、誠二は帰り支度の手を止めた。
笑顔で「わざわざ悪いな」と言いながら近寄る。

「たびマガ黒田誠二です。来ていただいてすみません。実は私の妻が番長に興味を持っているようで」
衣笠デスクは歓迎とも迷惑ともとれない微妙な表情をしていた。
「津田さんに聞きましたよ。子宮の詩を詠む会でしょう。大変ね」

番長あきに関しては、スピマガ編集部内でも物議を醸していた。
主宰する子宮の詩を詠む会は短期間で大集団になっていて、他社の週刊誌などでもその盛況ぶりが取り上げられている。
世間の評判とは裏腹に、狂信的なファンの多さを懸念し、企画が頓挫しかけていた。

二人は声のトーンを落として会話を始めた。
「評判がいいものを何でもかんでも持ち上げる訳にもいかないので、慎重に内側を探ろうとしているんです」
「分かります。ちょっとあの宗教のような様子では……」

衣笠デスクは真剣な顔で続ける。
「宗教が全て悪いとは思わないけれど。あんな感じでカリスマ性があるように見えても、実態は霊感商法みたいなものってよくあります。スピマガも娯楽の部分は必要なので、それらを全否定していると言ったらそうではないけどね」
「そうですね。あまりに荒唐無稽なものはわが社には向かないはずだと……」
初対面ではあったが、正直な言葉を受けて誠二は好感を持った。

「奥様のことも心配でしょう。こちらで得た危なそうな情報はできる限り伝えたいと思ったので来ました」
「ありがたいです、本当に」
「高額をつぎ込んで家庭を壊してからでは遅いからね」
「そんなことが……」
起きて欲しくない、と言いかけて飲み込んだ。信じたかった。

衣笠デスクは「ちょっと」と身を寄せ、小声になった。
「取材班が掴んだのは、番長あきが施設を買って信者の集会場所にしようとしていること。ちょっとカルトじみてきている。拠点を持つ、というのは怖いことよね」

誠二はとんでもないことを聞かされていると思った。
「拠点ですか……。都内に?」
「いや、それがどうやら島らしくて」
「島?」
「O県沖の華襟島(かえりしま)にあるラジオ局の建物を買うつもりみたいね」

心臓の音が一気に速くなる。
「え! O県!?」
驚いて大きな声を出した誠二を編集部の遠くからワタルと亜友美が心配そうに見ていた。

こんな偶然があるだろうか。O県は妻の、まさみの故郷だ。


― ④に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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