子宮の詩が聴こえない3-⑤
(④を読む)(第1章から読む)
■| 第3章 謀略の収束
⑤「ショウの意趣返し」
女性記者に軽くあしらわれたように感じ、やや釈然としない。
若田はぼうっと座り込んでいた。
胸騒ぎがする。
すると、宿泊客も少なくなったはずの宮殿の入り口に、慌ただしくスタッフの一人が駆けこんできた。呼ばれたので近寄る。
「警察が来ています。番長あきちゃん達が若田さんを呼んでます」
「なに……?」
弥生祭を終えた舞台裏のテント内。
そこで番長とラッキーが、数十人の熱心なファンを集め、スタッフの打ち上げに続いて宴会を開いていた。
深夜に及んだその騒音で近隣住民に通報されたのだ。
急いで若田が駆け付けると、興奮気味の番長とラッキーが警官2人と向き合っている。
「すみません、責任者です」
そう言って間に入ると、顔を赤くしたラッキーが寄って来てもたれかかった。
「遅いよー!ショウちゃん! ちょっと歌ってただけなのにポリがさー」
それを無視して警官に対応する若田。
「申し訳ありません。すぐに終わらせますから」
警官たちは、番長らの態度にずいぶん気を悪くしたようだ。若田の謝罪を受けてもあまり納得はしていない様子だった。
事態が収まった後も、興奮が冷めない番長らが性懲りもなく騒ぎを続けようとしていたので、若田は「もうやめろ!」と怒鳴った。
ラッキーがそれを茶化す。
「わーーショウちゃんが怒った! そんな大声出したらまた通報されるよーん」
続けて番長が冷ややかに言う。
「あのさあ。別に輪になってUFOを呼ぶみたいな騒ぎをしていた訳でもないのよ。キャンプファイヤーだって遠慮してやってないんだよ。この程度で通報する方がおかしくない? 楽しんでいる私たちに嫉妬しているんじゃないの? ねえ、みんな?」
焚き付けられたファンが「そうだそうだ」と囃し立て、「フォー」だの「イェーイ」だの奇声を上げた。
「……もうやめてください。怒られるのは俺なんです」
若田は懇願する。
ラッキーはなお妙な踊りを続けてファンからの喝采を浴びている。
「おい、やめろって!」
疲れもあって、うんざりしていた。
番長はなおも挑発しにかかる。
「ねえ、人の少ない寂しい島がちょっとぐらい盛り上がる特別な日があってもいいじゃない。何を目くじら立ててんのよ。バカじゃないの」
若田は言い返せない。番長に睨まれるとやや足がすくむ感覚がある。
派手な容姿に、酒の匂い、鋭い目つき……。
身長は高くないのに、いつも見下ろされているような。
「自由にできないなら、あんたのプロデュースなんかいつ断ってやってもいいわ!」
その言葉は、およそ20年前、幼い自分が浴び続けていた罵声と重なった。
一般よりやや裕福な若田家の一人息子として生まれたショウ。
有名私立大学付属の幼稚園に通い、何不自由なく幸せに暮らしていた幼い頃のことだ。
心優しく実直だった母親が、「宇宙金融サークル」なるスピリチュアル団体に入れ揚げた。
今となっては、それが現存しているのか、いったい何だったのかさえ分からない。
調べようと思えば調べられるはずだが、その気にはならない。
母親の入信と同時に、そこで知り合った人物に誘われるがまま、父親までも投資詐欺まがいの商法にまんまとハメ込まれる。
若田家の財産のほとんどはあっという間に溶けていった。
なおもセミナーなどに通う金のために水商売を始めた母親は、酔っ払って帰って来るたびにショウに暴力をふるい、罵った。
「お前のせいで私は自由になれない。母親なんかいつやめてやってもいいわ!」
叩かれ、蹴られる痛み、物が割れる音。
何の役に立つのか分からない御札や、よく分からない石や壺。玩具にもならない、触らせてもらえないガラクタに圧迫された狭いアパートでの日々は、今も脳裏に深く刻まれている。
5年間も続いたその辛い生活は両親の離婚によって幕を閉じた。
しばらくは親権を得た父親と暮らしていたが、それも長くは続かない。
父までも失踪し、一人になった。中学生になってからは施設に預けられた。
思春期は荒れ、何度も補導される。そんな彼を受け入れてくれる仲間の顔ぶれはおのずと決まった。
しかしショウは際立って賢かった。弁が立って集団を統率する能力に長けていた。
18歳になってすぐ暴走族・豊島区連合の総長を任され、短期間でその界隈では名の知られる存在になった。
思いもよらなかったミジンコブログ社への就職は、ショウが総長の座を後輩に禅譲して引退するという噂を聞きつけたあるミジンコ社の社員の取材を受けたのがきっかけ。
その頃は「ワルの改心」のストーリーが流行していた。
専門学校にでも入ろうとしていただけのことだったが、暴走族の総長が真面目に社会貢献しようとしていると大げさに話を作り、センセーショナルに本を売りたいという。
若田もその楽しげな話に乗った。
ミジンコブログ社はまず、業界に向けて、何度も警官隊と衝突したというような嘘の「伝説」を面白おかしく広めた。
結局その出版計画は頓挫したものの、その嘘の口裏合わせが、若田をミジンコ社に受け入れる条件になった。
今や幹部にまで昇りつめたその社員からの寵愛を受け、若田は20代前半にして、急成長したブログ事業に携わり、そのプロデューサーの地位を確立する。
後の「主力商品」番長あきと都内のキャバクラで出会う、数年前の話だ。
「ショウちゃん、この島のことを錦野さんから任されてるんでしょう。だったらあんな警察にヘコヘコしないで堂々としてな」
番長の言葉に、若田は我に返った。
身寄りがない自分をミジンコ社に入れてくれた人生最大の恩人、それが次期社長とも目される錦野右近(にしきの・うこん)である。
行動力、洞察力の全てが若田の数段上を行く。巧みな話術で人を動かす力があり今回の島のプロジェクトも全ては錦野の発案だ。
若田は無理を言って会食をセッティングし、錦野から早池町長に、島の今後についての考え方を植え付けてもらった。
この地をミジンコブログ社が牛耳る。性風俗によって観光を活性化させ、やがて外国資本も呼び込む。グローバルなスピリチュアル・ビジネスと、そこに群がる信者を使った歓楽街で経済を循環させる。
その計画のリードオフマンを任されていることが今の若田の全て。
そのために、こんな身勝手な番長らの言いなりに甘んじている。
これは若田にとって、幼い頃に受けた傷の意趣返しでもあるのだ。
しょせんスピリチュアルにハマって性格が歪み、自分の子どもすら大事にできないであろう女ども。
俺たちの駒として、売春でもして島の盛り上げに貢献していろ。
祭りから一夜明け、まさみは華襟町役場に勤めている野村由記子の家で目覚めた。
未久と由記子は中学の同級生だ。
まさみは連日、未久から深夜まで子宮の詩を詠む会の内部のことを尋ねられていた。
取材モードになる姉を目の当たりにするのは新鮮だった。
隣の布団でまだ寝ている未久の枕元には、パソコンやメモ帳やペンなどがそのまま転がっていた。寝そべったまま深夜まで原稿を書いていたようだ。
優秀な記者は整理整頓に疎いことも多いが、未久のその奔放さは幼少期から。少し懐かしく感じていた。
一階のリビングに降りていくと朝食の良い匂いがした。
「まさみさん、おはよう。早かったね」
食事の支度をしながら由記子が話しかけた。
「すみません、すっかり姉と一緒にお世話になっていて」
由記子は食卓に用意したコーヒーを勧め、エプロンで手を拭きながら笑顔で話す。
「ずっと未久とも心配していたけど、一昨日うちに来た時に比べてずいぶん顔色がよくなったね」
「あ……。よく眠れているから。たぶん……」
思えば東京の家を出てから、ぐっすりと休めたことはほとんどなかった。
スマホは布団の脇に置いたまま。
起床と同時に必ず読んでいた子宮の詩を詠む会の番長たちのブログも、今はもう追う気持ちが全くない。
― ⑥に続く ―
(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)