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子宮の詩が聴こえない3-⑦

⑥を読む)(第1章から読む

■| 第3章 謀略の収束
⑦「底なし沼」


若田ショウが忽然と姿を消したのは、弥生祭から二日後の朝だった。

華襟町の商店街をぶらつきながら、鳩矢銀太郎はぼやいていた。
「何回電話しても繋がらんし、どこに消えたんや。若田のレンタカーがないと空港まで帰られへんやないか。タクシー代をミジンコブログ社に請求してもええんやろな」

それを聞き、そばにいた愛人のなっちゅうこと竹中なつみが明るく言う。
「わたし、車の鍵を預かってますよ。もう放っておいて帰りましょか」
鳩矢が驚く。
「お、そうやったん? きのう若田に会うたん? なんか言うてたか?」
「特に何も……」
「しょうのない奴やな。まあ、奴もあきちゃんが勝手に引退宣言したもんやから、錦野に急ぎで報告せなあかんで大変なんやろか」

なっちゅうは寄り添い、鳩矢を誘った。
「ぎんさん、わたしまだ観光したい場所があるんですけど」
「お、そうやな。まだ夜のフェリーまでは時間があるさかい」

二人は通りかかったタクシーに乗り込む。
郊外まで出て、山道の入り口に着くと車を降りた。

しばらく歩くと大きな沼のほとりに着いた。

木々や背の高い草に囲まれて薄暗い。
木漏れ日だけが水面に反射して美しく光っていて、「危険。水に入らないで」の古びた立て看板が物々しい。

「わあ、綺麗なところですねえー!」
いつになく表情豊かに喜んでいるなっちゅうは、大きく両手を広げて伸びをした。

20分ほど急な山の斜面などを歩いたため、鳩矢は肩で息をしている。
「久々にこんな運動した……。わいはもう歳や。なんでこないな場所までわざわざ……はあ…はあ」

一方、同じ距離を早足で来たなっちゅうは呼吸も乱さずに言った。
「ここ、有名なパワースポットなんですよ」
「そ、そうなん……? 島のパンフレットにこんな場所書いてたか? よう知ってたな」

なっちゅうは水際のぎりぎりまで駆け寄るとしゃがみ込んで手招きをした。
「ぎんさん! 見て見て! 大きな魚!」
「なんや……まったく」
すっかり疲れ果てていたが、娘ほど年の離れた愛人が、まるで少女のようにはしゃぐのを見るのは悪い気がしなかった。

「ほら、あれ! すごくない? この沼の主なのかな?」
「なんやねん……。そない大きいのがおるんか?」

手招きに応じた鳩矢が、隣に来て一緒にしゃがみ込む。
「どれや?」

そう尋ねたのが、この尊大なスピリチュアル演歌歌手の最期の言葉になるとは誰が予想しただろうか。

立ち上がって後ろに回るなっちゅう。
凄まじい力で鳩矢の片腕を後ろに捻じ曲げ、首に足裏を押し付けた。肩甲骨をへし折って全体重を乗せると、半身になった中年オヤジの白髪頭は水中へと叩き込まれた。
「ぐ」の呻き声も許さない。あまりにも素早い動きだった。

なっちゅうこと竹中なつみ。
その正体は、中国の闇組織で育ったコードネーム・Xiaoxia=「小夏」(シャオシア)。
ミジンコブログ社の錦野から雇われた暗殺のプロだ。半年前から鳩矢の監視役として愛人に成りきっていた。

昨日の錦野からの小夏への電話は、暗に若田を消すことの指示。
そしてそれは既に実行済みだ。

身寄りのない若田だが、失踪が発覚した際に通報する人物がいるとすれば、アシスタントのごとく使っていた鳩矢だけだろう。
愛人役に徹して誤魔化し続ける選択肢もあったが、この態度のでかい中年の相手にも辟易していた。消すのは物のついでだ。

激しい波紋も泡も消えて水面が落ち着き、鳩矢が動かなくなる。
小夏は死体のシャツの中に、近くにあった巨大な石をいくつか入れ、固く縛った。
すると、乗ってきたタクシーの運転手が山道を歩いてきて現れた。

現場を見ると静かに言った。
「相変わらず早いな。もう済んだのか」

仲間の一人だ。先ほど商店街で乗ったタクシーでさえ偶然に拾えた訳ではない。全てが計算し尽くされたもの。
華襟島には、後の中国資本算入の展開を見込んで何人もの闇組織の人間が入り込んでいる。

「楽な仕事ね」
小夏は冷めた表情のまま言った。

重りも含めて合計100キロにもなろうかという物体を二人で持ち上げると、勢いよく沼に向かって放り投げた。沈みゆく鳩矢を眺め、無表情で別れを呟く小夏。

「……底なし沼だって。あんたの性欲と同じね。サヨナラ、ぎんさん」


山道を歩いて戻り、二人は再びタクシーに乗り込んだ。
エンジンをかけながら運転手が尋ねる。
「あの男、家族は?」
小夏は少しだけ濡れたスカートを気にしながら応じた。
「愛人をたくさん囲っているぐらいだから、しばらく放っていても問題ない」
「しかしファンも多い男だと聞くぞ。どうする」
「知らないよ。錦野がなんとかする。ブログを閉じるとでも言えば、コイツのファンなんかそれまでよ」
車は再び、商店街に向けて走り出した。


若田が消えたことに苛立っていたのは、番長あきも同じだった。

子宮宮殿スイートルーム。
ソファーに膝を立てながら、スマホの通話に怒りをぶつけていた。
「どうなってんのよ! これから私と今後の話し合いをすることになってたけど、アイツぜんぜん連絡がつかないのよ!」

電話の相手は錦野だ。
彼は既に、若田の消息を確認済みだった。

小夏の任務遂行には絶対の信頼を寄せている。裏社会の力こそ今後の島の「治安維持」には不可欠だと考えていた。
ゆくゆくは華襟島を海外の要人の「遊び場」にするつもりだ。

しかし今、まさにそれを諦める必要に迫られている。

正田の取材により、スピリチュアル団体と市長との繋がりが露呈すればその野望が砕かれる。これはほぼ確定だ。
ただ錦野にはまだ起死回生の案が浮かんでいた。

声のトーンを変えず番長に告げる。
「そういうことならば、若田は今日をもってブログプロデュース担当から外そう。無責任に職場放棄するような人間はいらない」

愚痴るだけのつもりだった番長は驚いた。
だが、すぐに納得して言う。
「そう。なら助かるけど。最近のあいつは小言も多かったし、ちょっと言い返してやりたかったのもあるわね」

それを聞くと、錦野は返す刀で笑いながら尋ねた。
「そういえば、君はなぜか引退宣言をしたそうだな。色んなブログでも話題になっている。実はそんな身勝手な人間にも、もう協力するのは止めようと思っている」

無断で行動を起こしたことへの負い目もあって、番長は慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! ブログのタイトルを『女神日記』とかに変えるわ。新しい担当者ともこれから相談するし……」

その番長の言葉に被せ、錦野は冷たく言い放った。
「宮殿の建設に多額の出資もした。わが社は子宮の詩を詠む会の最大のパートナーだったはずだ。せめて私には事前に相談するのが筋だった」

「と、投資してもらった分はすぐ取り返せるよ。お金は出せば入ってくるし!」

まだ軽く考えているような番長に、錦野は揺さぶりをかける。
「ひとつ条件を出そう。いま、島に君たちの粗探しをしている記者が入っているとの情報がある。そいつの記事を差し止められるなら考え直してもいい」

「記者……? そんなの見つけられるわけが……」

部屋のドアが乱暴にバンと音を立てて空いた。
番長の焦りに追い打ちをかけるように、電話中にもかかわらずラッキー祝い子がうろたえた様子で駆け寄る。
「早池町長が捕まった! さっき挨拶に行ったら警察に連れていかれたの!」

番長は絶句している。
ラッキーは「やべー!やべーよ!」と小動物のように落ち着きなく部屋を走り回る。
その様子を電話越しに聞いた錦野は、不敵な笑いを番長に聴かせた。

「あははは、若田が賄賂を渡していたのがバレたかな? 詰めの甘い奴だ」

もちろん芝居である。
自分が若田を通じて早池に金を渡したのだから。
そして、「死人に口なし」で若田に責任を押し付ける算段も全て整っている。

だが、もはや後がない番長の思考力は失われた。
頼みの綱は、電話の向こうのミジンコブログ次期社長だけ。

「……記者を、私達で捕まえればなんとかしてくれるのね?」


― ⑧に続く ―

(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)

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