子宮の詩が聴こえない1-⑦
■| 第1章 詩人の勧誘
⑦「ご招待」
古いジェスチャーだが、自分の頬をつねりたい。
まさみはそう思っていた。
子宮の詩を詠む会の祖である番長あき、大幹部のラッキー祝い子、その2人を超える人気のスピリチュアル系演歌歌手の鳩矢銀太郎……。
初めてのセミナーの帰り。憧れを抱いていたメンバーと鉢合わせたのだ。
そればかりか、美しさを称えられ、会話までしている。夢のようだ。
鳩矢の「心に闇を」との言葉を受け、番長が言った。
「何かあるなら話して。特別に聞いてあげる」
まさみは緊張しながらも自己紹介し、子育てと家庭の悩みを打ち明けた。
外資系企業でキャリアを積んだ自分のこと。夫が主体的に家事育児をやってくれることに負い目を感じていることも。
「贅沢や。旦那が勝手にやってくれてるんやから、任せればええ」
鳩矢の奔放な受け答えは、ブログの文章そのまま。
「ぎんさんの言う通り。そんな環境はこれから当たり前になっていくわ。女はやりたいようにやるべき。男が何もかもやってくれる」
番長あきも独自の「女はこうである」という主張。
これらは子宮の詩を詠む会の関係者ブログでも頻繁に飛び交っている。
番長が更に促す。
「まだまだ正直に言ってごらん。それが子宮の叫びだよ」
まさみは、まるで自分の考えていることが子宮から出ているかのように錯覚し、言葉を紡いだ。
「好きだった仕事も辞めたのに、初めての子育てや苦手な家事を頑張れなくて。夫に甘えているようで罪悪感があって。自分だけ取り残されたように思ってしまって……」
番長あきは欧米のドラマのように肩をすくめた。
「何が罪悪感よ。ブログやSNSをセラピーのようにして表の世界に出ていくべきだわ。あなたはこんなに女優さんみたいに綺麗なんだもの。本当はどうしたいの?」
まさみは意を決したように答えた。
「今は……、あきちゃん、ラッキーちゃん、ぎんさんみたいに大勢の人の前で話して称賛されながら、母親としてではなく自分を生きたいと思っています。これが子宮の叫びなのかもしれません」
注目を浴びているその場の異様な雰囲気が言わせたのか。自分の言葉ではないような不思議な感覚を味わっていた。
「ねえ、ショウちゃん。こんな素人さん、なかなかいないよね」
番長から水を向けられたプロデューサー若田は、真剣な顔で言った。
「逸材ですよ。ぜひ“島”にご招待したい」
「島…?」
まさみを遮って、タムタムが大声を出した。
「噂は本当だったんですね! あきちゃんとラッキーちゃんで島を買ったんだ!」
若田は、はしゃぐタムタムを無視してまさみに微笑む。
「すっかり噂になってしまって。島を丸ごと買ったわけじゃないんです。きょうのセミナーでもあきちゃんがチラっと触れたよね。子宮の詩を詠む会はO県の華襟島(かえりしま)に不動産を購入しました」
まさみはドキリとして言った。
「あの……私はO県出身です」
高校卒業まで18年間過ごした故郷だ。まさかこんな偶然が。
その場にいた全員もおおっ、と驚きの声を上げた。
鳩矢が大笑いしながら若田の肩を強めに叩く。
「これは運命やでキミ! イベントの目玉! ふるさとの島の女神や! まさみちゃん、この男ならドンと売り出すで」
若田は「発表までは内密に」と釘を刺した上で説明を始めた。
若田によれば、子宮の詩を詠む会は、購入した華襟島の施設に、3000人規模で人を集める。悩める女性ばかりを対象にして「自分を生きる」をテーマに集団生活を送らせる計画だという。
「セミナー手法やネットビジネスなどの講習を経て、ゆくゆくは自分で稼いでいける移住者として、過疎化の島の活性化を担ってもらいます」
タムタムの目が輝いている。ラッキーが口を挟んだ。
「まずは私のイベントをドカンとやるのよ!」
若田が続ける。
「ええ、まず大規模なコンサートを開催します。そこでラッキーちゃんが主演、プロデュースの演劇グループを立ち上げて発表したい。できれば“卑弥呼の生まれ変わりの女神たち”のような神秘的なキャッチフレーズがいい」
まさみをその中心に据えたいというのだ。
「まさみちゃんならセンターを張れるで!」
そう言った鳩矢に、ラッキーが大げさに頬を膨らませてみせた。
「ちょっと! いくらまさみちゃんが綺麗でも、あたしが主演よ」
「おっとすまん。ワイも若田も美人には弱いさかいな。ひゃひゃひゃ」
まだ信じられない。しかし、この会話の主役である喜びを隠しきれず、まさみも同調して笑った。
若田とタムタムがまさみを挟んでブログ開設のレクチャーを始める。
その様子を眺めながら、カフェオレを飲み干した番長あきが言った。
「ねえ、まさみちゃん。私もあなたを特別待遇するつもりだわ。すぐに島に移住できるかしら?」
まさみは興奮気味な自分を必死に抑制するように返す。
「ちょっと急で、まだそんな……」
「ふうん、こんな奇跡が起きたのに覚悟がないのね。まだ何か引っかかるわけだ」
「やっぱり家族のことがちょっと」
番長の鋭い視線と、正対できない。
「あなたの子宮は“自分を生きたい”と言ったわ。家族は関係ない」
「もちろん……。あなた達みたいに生きたいのが本音です」
「あなたがそう求めて、私たちに出会ったの。こういうの何て言うか知ってる? “セレンディピティ”よ」
「セレンディピティ……」
「奇跡的な偶然が最高の幸運を引き寄せること。あなたの意志が私たちをここに連れて来た。願いを叶えるために、あなたの子宮がそうさせたの」
その言葉はもはや疑えない。
それでも頭には、島に渡った時にその選択を咎めるであろう人々の顔が浮かんでいた。
電話口で番長あきに批判的だった姉の未久。そして幼いマコを任せることになる夫の誠二だ。
険悪な空気になりかけた時、鳩矢がドンとテーブルに本を置いた。
「まさみちゃん! あ、タムタムも。これ読みい。今週出たばかりや。サインしてあげよう」
『大丈夫。好きなようにやれ』
演歌歌手兼心理セラピスト鳩矢銀太郎の20作目の自己啓発本だ。
タムタムが飛びつくようにページをめくった。
「新刊! 買おうと思っていたんです! ありがとうございます!」
「おう。ほれ、まさみちゃんも」
「ありがとうございます。大丈夫……ですね」
「大丈夫や。人間はまず行動。何とでもなる。これはそういうことを書いた本や。何をしたってやったもん勝ちや」
タムタムが大喜びで店にペンを借りて来た。鳩矢が本にサインを走らせる。
「まさみさんへ……。“人生は冒険や。迷惑をかけろ”……と。あきちゃんとラッキーちゃんを見習って冒険したらええんや。楽しそうで羨ましいやろ。家族にも迷惑かけたらええやん。何をしたって嫌われる時は嫌われる。まずは自分やで」
そんな極端な言葉が、ものすごく尊いように聞こえていた。
大物たちと知り合えて、金言を授かった。たまらない気持ちになって、まさみは背中を押された。
そうだ。これは奇跡だ。セレンディピティだ。冒険の時だ。たとえ迷惑をかけたって……。
若田に連絡先を聞かれたので、手帳の1ページに書いて裂き、渡した。
「ご家族の了解はいるでしょうけど、任せます。島の施設改修が終わるのは来月です。パーティーの日程だけ連絡しますから」
「はい。あの、前向きに……考えてみます」
自信の無さそうな声とは裏腹に、気持ちは固まっていた。
タバコを吸い終え、サングラスをかけた番長あきが席を立つ。
「まさみちゃん。あなたが主人公の物語が始まるよ。待ってるわ」
微笑みながらさっそうと去って行く番長たちの背に「ありがとうございました」と言って慌てて頭を下げた。
控えめなまさみにしてはかなり大声だった。
― ⑧に続く ―
(この物語はフィクションです。実在する人物、団体、出来事、宗教やその教義などとは一切関係がありません)