逃げ切った先には?
実は4,5ヶ月前から体の違和感があり検査結果に驚愕してしまったので気持ちをログとして残す。
すべてが「気のせい」としてしまえばいいんだけど、そうはいかなくなってきて2日ほど迷った。誰かに伝えてもいいかと1人には話した。近くもなく、遠くもない人へ。程よい距離感だから嘘だと受け止めてくれるかもしれないとか、心配してほしいとかあったのかな。今はどうでも良くなってしまったし周りの環境も嫌になった。
私はアナログマンだから、SNSで友達かもしれない得体の知れないアカウント?アバター?に話しても仕方がないのかもと、まずは家族や親族に話せていないのが悪い気がして。ここしばらく業務的な最低限の連絡は返しているがそれ以上のものは連絡できていないし返事もしていない。あらゆるツールの未読がたまりついにはどうでも良くなってしまった。
悩みってあまりないんだけど、これは悩みではなく踏み出せないこと、ただ行動できていない自分の弱さなんだろう。ほっといても仕方ないし、いつかバレるものだから。何度も話したくない、カッコ悪いからか話しても解はないからか。
少し前から右目の調子と偏頭痛が治らない、気にしてはいなかったが目の隈も治らない、いろんな検査をして結果を先延ばしされて、どうしようもないことで心配されることも嫌だと個人のログとして誰も私を知らないところでただただ自分の読み返す日記を書いている。
1月ほど様子を見ながらになる、副作用もあるから仕事もできなくなる、誰も力を貸してくれないから、全てが嫌になって放り出すのもいいんじゃないかと、何か残すことはないんだろうかと考えても特にないつまらない人間だと改めて感じた。
その先にも後にも、これから起きることも、始める前の期待も、ドラマにならなければ映画にもならない。もしも山田かまちさんだったら何か残せたのだろうか、その思考は何百回と。明日には話せそう、未来の話をされたら話そう、野良猫が甘えてきたら話そう、君が笑ってくれたら話そう、無様に転んでしまったら話そう、そんなことも腐るほど考えた。
残るものを何か用意しないと。
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