エンターテイメント
とあるメディアで権力者の映像を見た。身なりは派手で、動きはダイナミックで、言葉は繊細で心が強く、人を魅了させ、悲しせ、驚かせ、自由という言葉はこの人のために生まれたのだと感じた。鼓舞を見せられたように心が強くなれた気がした。ただ映像を見ていただけなのに。それはきっと、影響力というものが視覚や聴覚を通して脳に注ぎ込まれた結果だろう。人は単純だ、自分は疎かだ。実在するか疑うほどのものを恰も目の前の科学的現象のように捉えてしまう。宗教的な人を操作する言霊も、哲学的な論点の擂鉢も、文化的流行が生み出した神の布石でさえも。計り知れない要素を評価しようとも厳密ではないものとなる。人はそれをセンスと名付ける。知ってしまえば、確かめてしまえば、血肉に変われば、人はそれを知識と呼ぶだろう。不透明度100%のリッチブラックで没に向かうベクトルを人は無知のまま受け止めなければならない。人を愛する時の誓いの言葉がどれだけ容易いものか証明された。時は静寂、世は五月雨に。私の中の定義を覗くだけの言葉。所詮は72pxの幻想を見せるだけなんだと。
彼はそう言った。
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