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創業期の私へ。喪失に向き合うということ。〜RICビジネス編#0
これからどんなにがんばったって、もう夫は返ってこない。
心にはぽっかりと穴が空いていて、今日を以前と同じように生きることだって、すごく面倒で、無意味で、どうでもいいことのように思えてしまっていました。
それなのに、今日もまた目覚めてしまう自分がいる。
こんな自分が楽に生きていていいはずがない。
亡くなった彼のことを忘れて楽しんでなどいけない。
創業したばかりの会社を抱える私はそんなふうに自分を罰するかのように一日中働き通しの日々を送っていました。
もちろん、稼がなければ3人の子どもたちを支えられないという事実もあります。
私が会社を立ち上げたのは、夫が亡くなる直前でした。ミニコミ誌に広告を出し、近所の主婦たちと働く女性を助けたい思いから創業した会社です。
創業当初は、家事や育児、介護など色々な面でとにかくできるだけ仕事を受け、日銭を稼いでいました。
息子の病気の進行にも気づかないほど働く毎日。死ぬ思いで働いて、それでやっと売上が月30万円に届くくらいで、心労から鬱病にもなりかけていました。
当時の心境は、さながら戦場の兵士です。
心の張り詰めた自分に比べると、共に会社を起こした近所の主婦たちはのんきに見え、憤りを感じることさえありました。
他の人たちがあまりに無遠慮で怠惰でいい加減に思えて、殺伐とした暴君のような心が渦巻く。メンバーとは次第にそりが合わなくなりました。
結局、仲間は辞めていき、私は一人で事業を進めることになります。
***
最近とある方との対話の中で、創業当初の日々を振り返る機会がありました。
塗炭の苦しみを味わった創業期。当時のことを思い出しながらふと、もしもあの時の自分にメッセージを送れるなら何を伝えたいだろうかと考えました。
二つ。伝えたいことが出てきました。
これはそのまま、今を懸命に生きる若い人たちに宛てた言葉にもなるはずです。
まず一つ目。真っ先に伝えたいのは、心からの感謝と労いの気持ちです。
生きていてくれて、本当にありがとう。よくがんばってくれました。
あなたが踏ん張って食い繋いでくれたおかげで、私は生きています。
あなたは今、失意の中で不甲斐ない自分に打ちひしがれているかもしれない。けれど、守る者たちのため生きたあなたの強さは、私が人生で最も誇りに思える美徳です。
あなたは自分が嫌で嫌で、充実している自分になることなど今は全く受け入れられないかもしれません。
それでも私はあなたがしたこと、生きていた日々のすべてにありがとうと伝えたいと心から思っています。
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2つ目は、創業期の苦しい時期があったからこそ、私は崇高なものを感じられるようになったということです。
崇高なものとは、意識では知ることのできない、人の潜在にある自分自身を変える力のことです。
それは愛とも呼べるかもしれません。
今の私は、どんな人の中にも、希望を見出し、自分を良い方へと変化させる力が備わっていると確信しています。
重度のうつ病患者であっても、寝たきりであってもそうなのです。
今どんな状況で、どんなに希望が見えなくても、振り返ったときに「ああいう時期があったから今がある。よかった」と思えるようにあなたの人生は進んでいます。
どんなときでも、道は常に開かれています。
だから、大丈夫。
これから始まるビジネス編では、この崇高な「現状を変える力」について詳しく記します。
私が今普及に努めるRIC理論は、鬱編とビジネス編の体験のプロセスから生まれました。
RICは、困難な状況でも自分の力(現状を変える力)を引き出せるような理論です。RICの実践によって、自分軸を持ち、確信を持って行動できるようになっています。
この理論については、ビジネス編のさらに次のシリーズ(RICプログラム編)でお伝えします。
あとがき
この話は、これまでの鬱編とこれから始まるビジネス編の橋渡しとなる内容として執筆しました。
実は私は、鬱編で13話をかけて描いてきた鬱病と戦いながら、経営者としても過ごしていたのです。
ビジネス編は、私の感情というよりは客観的な(特にビジネスに絞った)状況を描き、これから起業する人たちに役立つような内容にするつもりです。
1話ずつが鬱編の時期と対応しているので、併せて読むと何か気づきがあるかもしれません。