西郷も愛した佐藤一斎、格言の街/心地よい古い町並みの城下町/恵那市
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佐藤一斎(さとう いっさい)をご存知だろうか。「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」と言った方。小泉元総理の国会答弁に引用され有名になった。
岩村藩儒学者の家に生まれたが、ここは全国でも早い時期に藩校を作るなど学問に熱心だった。3万石と小藩ながら幕府要職をしばしば務め、幕末には藩主三男の松平乗衡(まつだいら のりひら)が幕府学問所の責任者、林家を継いで大学頭となり、林述斎(はやし じゅっさい)と称した。
一斎は主君に従って昌平坂学問所に入り、述斎死後の1841年に総長となる。幕府公式の学問である朱子学のみならず、陽明学や易学にも通じ、門弟三千人と言われる大学者となった。その顔ぶれには山田方谷(やまだ ほうこく)、佐久間象山(さくま しょうざん)、渡辺崋山(わたなべ かざん)、横井小楠(よこい しょうなん)、安積艮斎(あさか ごんさい)、大橋 訥庵(おおはし とつあん)と幕末期に活躍し、さらに幕末の志士を弟子に持った錚々たるメンバーが並ぶ。
一斎は、冒頭の言葉も含まれる1133条に及ぶ語録、「言志四録」で知られるが、西郷隆盛が一斎に心酔し、このうち101項を抜粋し手元に置いて、幽閉中も西南戦争中も持ち歩いたという。「聖人は死を安んず 賢人は死を分とす 常人は死を恐る」なんてのを選んでいるのが西郷らしい。
岩村城下町はこれら一斎の言葉に満ちている。冒頭の言葉は一斎の像とともに、旧藩主屋敷跡、復元太鼓櫓や歴史資料館のある一角で碑になっている。一斎とも親交があったという旧家、木村邸の前には「石重きがゆえに動かず・・・」との碑があり、中には一斎の業績などが展示されている。
旧木村邸
周辺にはこうした碑が15もあり、「碑文めぐり」マップまで用意されている。碑を探して歩くと城下めぐりになり、しかもありがたい教訓を得られるという仕組みだ。碑の他にも、多くの家に一斎の言葉が書かれた木札が掲げられている。なんとも勉強になる街だ。
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