未確定区境は延々高速下商店街
23区全区境踏破第13回
江戸城外堀の一石橋から土橋まで、千代田区と中央区の区境が未確定と書きましたが、だいたいこの辺というのは出来上がっているようです。
双方の区の出している地図を見てもさほど差はありません。
区境表記は呉服橋交差点の千代田区寄りから鉄鋼ビルの道路側を通り、大丸前から八重洲口ロータリーの真ん中を突っ切ります。
さらにグラントウキョウサウスタワーの前から鍛冶橋交差点西を通り、旧都庁第三庁舎をかすめ、この後はほぼ首都高上を通って土橋交差点に至ります。
呉服橋交差点の先は外堀通り沿いが区境に近いのですが、ここは面白くないので、その裏、東京駅側のビル裏の細い隙間の道を入ります。
進んでいくと、あたりの再開発時に発掘された北町奉行所の遺構が移設展示されています。
北町奉行といえば有名なのは遠山の金さん。
遺構は奉行所敷地角の石垣が置いてあるのですが、角が斜めに切ってあります。
これはこの角が北東方向、つまり鬼門に当たるので、鬼門封じとして斜めに切ってあるのです。江戸時代人の迷信というか精神構造が垣間見れて面白いです。
その先はビルの谷間の遊歩道で玉川上水の水道管跡などが表示されています。
また両側の石垣の一部に、周辺から発掘された江戸城外堀石垣の一部が使われています。
遊歩道を出た大丸前にも「北町奉行所跡地」の碑と解説板があります。
そして東京駅八重洲口ロータリーに出ますが、左側を見てください。
外堀通りとの間の植え込み下に石垣が長く連なっています。
これも近くで発掘された江戸城外堀石垣を移設再構築したものです。区境はちょうどこの石垣あたりを通っているはずです。
駅前広場を過ぎると高層ビルが2棟右側に建っていますが、これはほぼ江戸城外堀上にあります。
その先が鍛冶橋交差点で、江戸時代には鍛冶橋が架かり鍛冶橋門がありました。横断歩道を渡った先に解説板があります。
右側は旧都庁があった跡地の駐車場。
すぐに首都高の下を潜って銀座地区になります。
右側には高速高架下を使った商店街ビルが続きます。
この京橋あたりから汐留あたりまでの高速道路は実は首都高速とは別の東京高速道路会社が運営しています。
この路線は首都高より早く企画され、当初から高架下をテナント利用し、通行料金は無料とする方針でした。
大きな高架下テナントが北から「銀座インズ」「西銀座デパート」「銀座ファイブ」と続き、その先はコリドー街があって「銀座ナイン」まであります。
近年、この高速道路を廃止して屋上公園にしようとの構想が持ち上がっていますが、道路事業収入がないので、廃止すればかえって道路維持費がなくなり、東京高速道路会社にとっては好都合なのです。
また、区境問題はこの70年サッパリ進展がないのですが、街の力関係では中央区側が寄り切りそうです。
というのも、近年は銀座の商業パワーの方が有楽町や日比谷より強くなってきているからです。
それは先ほど紹介した高速下テナント街の名称に現れてきています。
「銀座インズ」は1990年まで「有楽フードセンター」という名前でした。
「銀座ナイン」は1985年まで「新橋センター」でした。
「有楽町」や「新橋」よりも「銀座」の名前の方が商売になるということですね。それなら住所も銀座、中央区がいい、となりそうです。
まあ千代田区側には三菱の牙城、丸の内があるので、この境界地区にはあまり力が入らないのでしょうか?
区境は道路の真ん中を通っているはずなので、「銀座インズ」「西銀座デパート」「銀座ファイブ」の真ん中の通路を歩いていけばだいたい区境に沿っているはずです。
銀座ファイブの1階を抜けていくとみゆき通りに出ます。
出た右側はJRの山下橋ガードで、ここには江戸城の山下橋門がありました。
銀座ファイブ出口の向かいには左側に高速道路、右側に新幹線の高架があり、ちょうど真ん中がすっぽりと空間になっています。
おそらくこの空間が区境です。
この空間は通路になっており、下に下っています。
地下1階分ぐらい下る深さの通路で、私はこれは外堀の底が干上げられて残ったのではないかと想像しています。
この通路を通りたいのですが、警備員に怒られるので、新幹線側の高架下に入ります。
するとあら不思議、モダンなアーケード風の空間が続きます。
これは近年再開発でできた「日比谷OKUROJI」です。
その前は1964年の東京五輪時に出来た外国人向けの土産物店などがありました。
中にはこの部分のJR線煉瓦高架の遺構展示や歴史解説などもあります。
新幸橋(内幸橋ガード)で一旦途切れると、今度はガードしたは「銀座裏コリドー」という名で飲食店街が続いていきます。また抜けると今度は幸橋ガードです。
江戸時代は、ここまで進んできた外堀は突き当たりになって、左右にT字路の堀になっていました。
向かって右側は外堀、左側は海に続く汐留川です。
外堀側には江戸城の幸橋門があり、汐留川の方には土橋がありました。
土橋は文字通り土手の端でした。
区境は堀が突き当たる手前で右、すなわち西側に曲がり、現在の第一ホテル東京の北側を通っています。
さて新橋駅がもう目の前です。
この先は霞ヶ関と虎ノ門の境の外堀が区境です。
それは次回に。