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お台場はなぜ港区なのか

23区全区境踏破第17回

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 今回から港区の区境を巡りますが、その出発地は・・・お台場です。
 「え、お台場?」と一瞬ぽかんとした方、いらっしゃいますよね。お台場地区で一番賑わっているお台場海浜公園の一角は、港区なんですねえ。で、運河を隔てた東側、東京ビッグサイトのある一帯は江東区です。首都高湾岸線を隔てた南側、ダイバーシティ東京や日本科学未来館のある側も江東区です。そしてややこしいことに、海浜公園西側の潮風公園は品川区なんです。
 それにしてもなぜお台場地区が港区なんでしょう? 地続き感で言うと江東区の方がつながっている感じがします。港区とつながっているのはレインボーブリッジだけです。実はこれには幕末以来の由来があります。
 思い起こしてください。幕末ごろにこの辺りに何があったか。黒船来航です。1853年(嘉永6年)にアメリカのペリー艦隊が江戸湾の奥までやってきて、幕府はてんやわんやの大騒ぎとなりました。それまでも通商開国を求める外国船は多数訪れていましたが、①幕府の中枢である江戸まで押しかけてきた②見たこともない蒸気船(黒船)でやってきた③空砲を撃つなど強硬に威嚇した、という3点がこれまでと違いました。
 幕府は江戸の街が攻撃されるのを恐れると同時に、「攻撃するぞ」と脅されてやむなく開国、と言う事態は避けたいと考えました。

 そこで黒船が江戸湾の奥まで入れない防衛線を築くことを計画します。それが海上を埋め立てて並べた砲台、お台場です。砲台ごときに「お」などと敬称をつけるのは幕府が作ったものだからです。「御城」「御鷹場」などと同じですね。
 当初は11基建設する計画でしたがとりあえず7基を着工します。数か月後、ペリーが2回目に来た時にはだいぶ完成しており、驚いたペリーは江戸上陸を諦め、神奈川で交渉することになります。砲台といっても大きいものは一辺170メートル程もある巨大な埋立地です。これをわずか数ヶ月で、計画し建設し、ほぼ完成させたのです。幕末日本もなかなかやるなあ、と思いませんか?
 で、なぜ港区かという話ですよね、お台場の建設は品川宿近くの御殿山を崩して進められました。東京湾には現在のような埋立地はなく、今は近く感じられる江東区もはるか彼方の越中島あたりが海岸線で、お台場までの間には何もありませんでした。そんな経緯から明治維新後、お台場は港区の前身である芝区に属することになったのです。
 現在は第3台場、第6台場が史跡公園となり、第3だけお台場海浜公園と地続きで入ることができます。また第1、第4、第5は埋立地に取り込まれて消失し、第2は東京港航路の邪魔になるので撤去されています。

区境が書き込まれた品川埠頭の地図

 肝心の区境ですが、ちっとも面白くありません(笑)。実際の区境は高速湾岸線の中ですので歩けません。仕方ないので湾岸道路南側を歩きますが実に殺風景です。お台場海浜公園近くの有明橋南側から歩きますが、草の生えた歩道と工事用の金網、商業施設や駅のバックヤードが連なるばかりで人通りがほとんどありません。潮風公園南という交差点で右折し、公園を左に見ながら進みます。
 ここからは品川区が区境の向こうなので、交差点が3区境です。そのまま進んで海浜公園側の海に出たらおしまいです。

 これではあまりに物足りないので海を渡ります。りんかい線の東京テレポート駅まで戻って、天王洲アイル駅に行きましょう。品川ふ頭橋を渡って左に行き、すぐ最初の信号の向こうが港区です。信号を右折する道が区境で、右折して左側が港区と、埠頭埋立地の真ん中を区境が通っています。
 あたりは巨大なトレーラーと積み上げられたコンテナだらけでちょっと怖いぐらいです。2つ目の信号で区境は左に曲がり、次にまた2つ目の信号、左向こうの角に東京出入国在留管理局があり、ここはいつも外国人でごった返しています。ここで区境は今度は右折して埠頭の中に入っていきますが、その中は港湾関係者以外立ち入り禁止なので入れません。
 さてこの埋立地の区境ですが、なぜこのように屈曲しているのでしょう。これもお台場のせいです。先程消滅したと書いた第1台場が、この屈曲の港区側の埋立地内にあったのです。台場は明治初期から芝区だったので、そこを囲むように区境がひかれました。第5台場もこの埋立地内にあり、今も近くに「第5台場交番」があります。
 次なる区境は天王洲とその北側の埋立地、港南4丁目の埋立地の間の運河を通っています。品川区の天王洲の角には、再開発された天王洲アイルがありますが、この部分は第4台場があった場所で、今でも角の部分には江戸時代の石垣が残ります。
 あれ、お台場は芝区から港区になったんじゃなかったでしたっけ。実はこの第4台場部分は、1939年に埋立地が完成した際にほぼ品川区と地続きになったため、品川区に移管されました。

 天王洲アイル駅までも戻ってもいいですし、出入国在留管理局裏の港南大橋を渡って港南四丁目に行き、天王洲との境の天王洲大橋まで行きます。

運河沿いは遊歩道ですのでここを歩き、港南4丁目側の港南公園から高浜運河にかかる歩行者専用の楽水橋を渡ります。まっすぐ進むと右手に東八ツ山公園がありますが、この公園は半分が港区立で残りは品川区立です。この公園の中を区境が通っているのです。
 公園の場所は高度成長前夜まで運河で、その中間線に区境があったのですが、埋め立てたためこのようなことになりました。公園を抜けて広い道に出ると、向こうに「品川」インターシティがありますが、港区です。この西側の細長い公園も運河でした。
 区境はこのまま東海道線などの八つ山橋まで続きますが、いったん品川駅に行き、あとは次回以降としましょう。おっと、北側にある品川駅は、もちろん住所は港区です。

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歩いて、探して、歴史を発掘する黒田涼
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