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【鉄パイプと夜の海】前編


“悩み”というものは、他人からすれば取るに足らないものであることが多い。しかし、だからと言って「なんだそんなもん」と一言で片づけていいものでもない。当の本人からすれば、まさに今この瞬間にも世界が崩壊しそうなほどの大問題だからである。
当時、十九歳だった僕も押し潰されてしまいそうな絶望感と焦燥感の中で頭を抱えていた。世間はゴールデンウィーク前日で、街全体もどことなく浮かれているような空気があり、それがますます僕を憂鬱にさせる。
僕が抱えていたその悩みというものは本当に根が深く、そして非常に深刻なものであった。

エロ本が溜まり過ぎて、捨て場所に困っていたのだ。

一人暮らしをしている部屋であれば、堂々とその辺に置いていても誰に文句を言われるワケでもないし何の問題もないのだが、実家暮らしだとそうもいかない。母親がたまに抜き打ちで部屋を掃除しにくるからだ。
他の漫画や雑誌のように本棚に並べられない以上、どこかに隠すしかない。
僕はわかりやすい人間だったのでベッドの下という、最もオーソドックスな場所に隠していたのだが、その当時は溜まりに溜まったエロ本によってベッドが少し浮いてんじゃねーか、というレベルであった。
捨てよう、と何度も思った。しかし、肝心の捨て方がわからない。どういう風にまとめて、何曜日にどこに出せばいいのかもわからない。仮にそれがわかったとしても、近所のゴミ捨て場にそれを捨てようものなら近所の主婦連中に、

「やだ、奥さん、見てこれ。絶対あの子よ、ほら、佐藤さんとこの……」

「あの金髪の?まぁー、やらしいっ、何が『千人斬り vol.20』よ

などと噂され、後ろ指をさされてしまう。しかもvol.20だ。雑誌名で千人も斬ると謳っておいてvol.20である。序盤も序盤ではないか。絶対、今後もこのシリーズを買い続けていくであろう事は容易に想像されてしまう。下手すれば「千人斬りの佐藤」なんて名誉なのか不名誉なのかもわからないあだ名で呼ばれる可能性も大だ。母親は近所付き合いが上手くいかずノイローゼになり、弟はそれが原因で受験に失敗し、最終的にはなんかよくわからんけど親父は破産するかもしれない。そうなったら家庭崩壊だ。
かと言って道に捨てたり、河原に捨てたり、山に捨てたりするのも社会通念的にどうなのよ、という変に真面目な性格が邪魔をし、結局一冊も捨てられずにベッドが浮くに至ったワケである。空飛ぶベッドだ。こう書くとちょっと幻想的だ。原動力は人間の欲望だが。

こんな事を誰かに相談するのも躊躇していたが、このままだと精神的にやられてガリガリになってしまう。もしくはストレスのあまり、血尿的な展開も覚悟をしなくてはならない。もうそうなったら最後だ。便器が紅に染まったこの俺を、慰める奴はもう居ない。形振りなど構っていられない。
意を決した僕は当時よくつるんでいた友人、松ちゃんに電話をかけて相談したら「車持ってんだし、隣町とか離れたところの適当なゴミ捨て場に捨てに行けばいいじゃん」と事も無げに言われた。そうは言っても壁に耳あり障子に目ありという諺があるように、どこで誰が見ているかもわからないし、そこからどこまで噂が広まるかもわからない。自意識の塊だった僕はとにかくそれを恐れた。ひたすら渋っていると松ちゃんはこう言った。

「じゃあ、俺も一緒に着いて行ってやるから、遠くまで捨てに行こうか。誰か一緒にいればいくらか安心だろうし、俺もお前ほどじゃないけど少しだけ捨てたいし」

電話越しで相手の顔は見えなかったが、間違いなく後光が差していただろう。僕は思わず溢れそうになる涙が何処から来るものなのかもわからず、ただ「ありがとう」としか言えなかった。せっかくのゴールデンウィークなのに、こんなしょーもない事に付き合ってくれる松ちゃんの優しさに感謝してもしきれなかった。今考えれば絶対暇だっただけだと思うけど。あいつ。彼女も居なかったし。

電話を切った後に松ちゃんから届いたメールにはこう書かれていた

「行こうぜ。此処ではない、誰も俺たちを知らない街へ」


馬っ鹿じゃないの?と思ってすぐ寝た。



翌日、連休初日の昼過ぎに松ちゃんは僕の家にやってきた。エロ本を10冊ほど袋に入れて。
「どこが少しなんだよ」と僕につっこまれて、ややはにかみながら「思ったよりあった」と言いながら、一旦僕の部屋で作戦会議を開く。二時間くらいああでもないこうでもないと話し合った結果、今回の「エロ本捨てツアー」の大事なルールを三つ設けた。

まずは、『普通にあてもなく車を走らせてもつまらないので、棒的なものを倒し、その倒れた方向に車をひたすら走らせよう』というもの。何故か実家の物置に短い鉄パイプが放置されていたので、これを使おうという事で話は固まった。
次に『棒が倒れた方向にひたすら進み、道中にコンビニが見えたら、その駐車場に一旦停車して棒をまた倒す』というもの。我々はCRS(コンビニリセットシステム)と呼ぶことにした。無論、そう呼んだのはこの作戦会議のときの一回きりだった。
僕の地元、山口県は三方を海に囲まれており、ちょっと気を抜いて直進しまくるとすぐ海に行き当たるのだ。それに対する救済措置とも言える。
最後に『棒を100回倒した時点で一番近い所にあるゴミ捨て場に件のエロ本を捨てて帰ってくる』というもの。100回倒す前に良さげなところがあれば別にそこでもいいのだが、ちょうどいいスポットがどうしても見つからなかったときに、最後の踏ん切りをつかせる為にこのルールが設けられた。これで切り上げるタイミングというか、引き際もしっかり用意できた。
あと松ちゃんから『敢えて車中では黒夢の曲しか流さない』という意味の分からないルールも提案されたが却下した。意味が分からないからだ。

さて。準備は整った。何ひとつ無駄のない洗練されたルールと計画だ。強いて言うならこの企画自体が時間と労力の無駄ではあるが、そんな事はどうでもよかった。ワクワクが止まらなかった。チャンネル登録者数100人をギリギリ切るくらいの超無名なYouTuberがやりそうな企画だけど、当時の僕は楽しくてたまらなかったのだ。
ただ当時、簡単に動画をアップできるサイトがなくて本当に良かったと思う。超ド級の黒歴史がまた一つ増えるところだった。時代が僕の味方をしてくれたのだと前向きに捉えよう。



出発予定時刻の17時を迎えた僕たちは、まだ少し肌寒い夕方の空気に触れて深呼吸をした。

僕の愛車、日産のキューブの後部座席には車中泊用の毛布と枕、そして大量のエロ本が積まれている。太陽は傾きかけ、夜がゆっくりと、しかし確実に迫ってきていた。

「じゃ、いきますか」

松ちゃんのその一言を合図にするかのように、僕は鉄パイプを手に取って、実家の前の道路に進む。平らなアスファルトに鉄パイプの先端を押し付けるようにし、一瞬だけ間をおいた。もう数秒後には僕たちの進む道が決まる。


ひんやりとした感触を手放し、鉄パイプがゆっくりと倒れていった。



後編へ続く




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逆佐亭 裕らく
お金は好きです。