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ハニー、君をジャマしたい

結婚生活も九年目となると夫婦の関係性は多少なりとも変化してくる。
それこそ新婚当初や、まだ結婚する前の彼氏彼女の関係だった頃なんて、並んで歩けば必ず手を繋ぎ、目が合えば少し恥ずかしそうに笑い、たまに僕のことを「王子」なんて呼んでくれていた。それがどうだ。今となっては最後に手を繋いで歩いたのなんていつだったか覚えてもいないし、目が合えば「何見てんの?」と路地裏のヤンキーばりに絡まれ、挙句の果てには名前ですら呼んでもらえず
「おい」
と呼ばれることも多々ある。

僕の趣味に関してもそこそこ辛辣だ。昔は僕が好きで聴いていた音楽を「普段は聴かないタイプだから新鮮!」と一緒に聴いてくれていたが、最近では
「低い声のボーカルの方が好きなんだよね」
と一蹴し、それからはもう何があっても聴かない。門前払いだ。お耳が日曜日になってしまうのだ。うちの嫁に好かれたければたった一度でも悪印象を与えてはいけない。ノーミスでいかないといけない。あとハイトーンはもってのほかだ。今後、うちの嫁に好かれたいと思うバンドはボーカル選びは慎重に行ってほしい。

嫁は本を読まない。一切読まない。これは結婚する前からそうだ。故に待ち合わせ場所なんかで、もう既に着いているのに文庫本を読んでいる僕をわざと少し遠くから眺めてからやって来るなんてこともあった。自分は読めない小説なんぞを真剣に読んでる彼氏がかっこよくて、できるだけ眺めていたかったそうだ。乙女すぎる。かわいいな、もう。
しかし、それももう十年以上前の話だ。
今となってはどんなに真剣な顔をして読み耽っていても、かけられる言葉は「かっこいい」でも「素敵」でもなく
「本ばっか読んでないで、さっさとお風呂入っちゃいなさいよ」
である。お風呂に既に入っていた場合は“お風呂”の部分が“お布団”に変わるだけだ。何故やたらと寝かそうとするのか。
あっち行けってことか?追いやりたいのか?ジャマか?ジャマなのか?

しかし、まぁ、こうやって書いていると自分にも問い掛けたくなる。
変わったのは嫁だけか?と。僕だってきっと変わった部分はたくさんある。
嫁の話も昔だったら正面から「うんうん」と目を見て聞いていたのに、最近ではかろうじて相槌を打つだけでそっぽ向いて会話をするなんてこともある。「この話どうでもいいと思ってるでしょ」なんてよく言われる。まぁ正直ちょっと思ってたりもする。申し訳ないけど。
良くないってわかってるけど「大丈夫?」「手伝おうか?」と声を掛ける機会は昔に比べて確実に減っている。気遣う気持ちはあるけれど、言葉にするのは減っている。自分の気持ちをストレートに伝えるのも、やっぱり減っている。
見た目の変化も否めないだろう。
未成年の頃から一緒に居るからというのもあるが、シンプルに老けた。白髪も増えたし、シワも増えた。
週末なんて髭も剃らずに完全に気を抜いている為、日曜日の夕方なんて完全なる無精髭男dismだ。お洒落にも昔ほど気を遣わなくなったし、体積の方もここ数年で驚きの増量を記録している。歯軋りは昔から凄かったけど、最近はイビキもそこに加わって、いよいよおじさんの完全体へと着実に歩を進めている。

僕らは変わっていく。良い面も、悪い面も。日々を過ごして、年齢を重ねて、二人で酸いも甘いも経験して、そしていつからか家族が三人になって。二人で手を繋いで歩いた道の先を、娘を間に挟んで三人で手を繋いで歩く。

そして、そんな二人だけど、もちろん変わらない部分だってある。
どんなものでも食わず嫌いはせずに、先陣を切って体験した感想を伝えようとする嫁と、慎重すぎて手を出せずに最後まで石橋を叩くだけの僕。
本は読まない代わりに映画が好きで数多くの作品を知っている嫁と、どんな作品であったとしても映画館で上映開始早々に寝てしまう僕。
感情豊かでよく笑い、よく怒り、よく泣く嫁と、オンオフが激しく家に帰るとすべての感情を失うイマイチ何考えてんのかわかんない僕。
些細な変化に気づき「それいいね」「こうした方がいいかな」と声を掛けてくれる嫁と、「髪の毛の色けっこう変えたんだけど」と言われて初めてやっと「いいね、その色の感じとか、あと……色の感じとか」なんて言う僕。
どんなときでも感謝の気持ちを忘れずに「ありがとう」という言葉を真正面から言ってくれる嫁と、それを見て自分も心底そう在りたいと思って同じように振舞う僕。
「しっかりしてよね、もう」と背中を叩く嫁と、
「うん、頑張るよ」と頭を掻く僕。

どこかですごく冷めている自分を感じる。何をしていても自分は独りなんだという気持ちが何処かにある。子供の頃からずっとそう。原因はなんとなくわかってるんだけど、でももう今更どうしようもない。
二十歳の頃に実家を離れて一人で生活を始めた。ずっと誰かがいる生活を続けていたけれど、自分以外に誰もいない生活に違和感はなかった。
一人で家を出て、一人で暗い家に帰って来て、一人で暮らしていく。そうやってずっと生きていくと思っていた。結局はどこまでいっても人は独りなんだと思っていたし、それがあたりまえだとも思っていた。それが僕の中の常識だった。でも、今はそうじゃなくなった。
家を出る際には見送ってくれる人が居て、帰って来れば家の電気が点いていて、そして「おかえり」と声を掛けてくれる。これがどれだけ暖かいものか僕は知ってしまった。
一緒に食べる食事の美味しさも、並んで眠る安心感も、ただそこに居るという幸せもすべて。それもこれも、すべて君が教えてくれた。ここまで変えられてしまった。どうしてくれるんだろう。もう戻れない。責任を取ってもらうしかない。

ハニー、あとどれくらい一緒に生きられるだろう。
僕は長く生きられるかどうかわからないし、なんなら別に長く生きなくてもいいやって思っている。仮に長く生きても、君のことを最期まで覚えていられるかどうかもわからない。
でもね。ハニー、今こうやって同じ屋根の下で過ごせている幸せをまだまだ感じていたい。早く寝なさいって言われても、「何やってんのよ」と苦笑いされようとも、ちょっとだけ抱きしめて時間稼ぎをしたい。子供が見てようがそんなのは関係ない。
僕はね。ハニー、君をジャマしたい。
これからもずっと。





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逆佐亭 裕らく
お金は好きです。