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動き出そう、新しい世界へ

先日のことです。
ショッピングモールをブラブラと歩いていたら、僕の進路上のずっと先に短いスカートをお召しになった女性が立っていました。待ち合わせでもしているのか、壁に背を向けて遠くを見つめているようです。別に珍しい光景でもありません。なんてことない日常の一コマです。
しかし、僕はこの時点でもう気が気ではないワケです。
もうソワソワして仕方がありません。渦巻くいろんな雑念や煩悩を、理性で必死に抑えつけながら、僕は心にたった一つの誓いを立てました。
「絶対にそちらを見ないようにするぞ」と。

男性諸君はわかってくれると思うのですが、こういうときって本当に目のやり場に困ります。いや、普通にしていればいいのです。堂々としていたらいいのです。わかってはいるのです。でも、ソワソワしちゃう。だって男の子だもん。男の子っていうか、おじさんだもの。みつを。
これは僕だけではないと信じたいのですが、女性の胸元や短いスカートなんかどうしたって目で追ってしまいそうになるものなのです。別に見たところで何も得はしないのですが、見ないとなんとなく損だと思ってしまうものなのです。そういった致命的なバグがあるのです、男性って生き物は。

当然ながらその女性は、僕のようなくたびれたおじさんなんぞに見せる為に短いスカートをお召しになったワケではございません。そんなこたぁ百も承知です。つまり、言ってしまえば僕のようなくたびれたおじさんは、そちらを一切見てはいけないのです。それは失礼にあたるのです。無作法極まりないのです。
もっと言えば、そのときは嫁と娘が一緒に居ました。尚更そちらを見てはいけません。下手したら小学一年生の娘が、僕の視線に気づき
「ママー!!パパがあのお姉さんの足をずっと見てるー!!」
と大声で叫びだしかねません。そうなったら最期です。最後ではなく、最期なのです。周りも若干ざわっとするでしょうし
「へぇ……」
と言いながら冷めた目でこちらを見る嫁の顔が目に浮かぶようです。おしっこちびりそうです。体の震えが止まらないのは冬の寒さだけが原因ではないでしょう。

いきなり進路を変えるのも不自然なので、僕は覚悟を決めて進みます。まったく興味のない雑貨屋さんやフードコートの方をあたかも興味津々な様子で見たり、無駄にキョロキョロしながら歩を進め、やっとこさ女性の前を通り過ぎるところまで辿り着きました。短くも長い闘いでした。無我夢中でここまでやってきました。感無量です。あとはそのまま無関心を装って通り過ぎるだけです。
それだけです。それだけなのに。
僕は罪を犯してしまいました。
ダメだとわかっているのに、後ろを振り返るふりをして視線の軌道上でチラッと見てしまいました。一番ダセェやり方です。自分でもわかっているのに、無意識のうちにやってしまいました。僕は負けたのです。己の心の弱さに勝てませんでした。どうせなら「うっひょ~!」と目をハートマークにして、鼻息をフンフンしながら舐め回すように見た方がまだマシだとすら思えるほどに姑息です。僕はきっと地獄に堕ちるでしょう。エロエロ地獄に堕ちると思います。あ、でもちょっと、堕ちてみたいかも…。いやいや、違う違う。
激しい後悔が僕を襲いました。あれだけ心に決めたのに。あれだけダメだと自分に言い聞かせたのに。でも僕はチラッと見てしまいました。振り返るスピードをその瞬間だけほんの少し減速させて見てしまったのです。
そしたらもう、ビックリしたんですけど。

マネキンでした。

僕は五十メートルほどの距離をひたすら、ただのマネキンに異常なほど気を遣いながら歩いていたのです。無機物に対して「失礼があってはいけない」と悩み苦しみ、罪の意識に押し潰されそうになり、挙句の果てにはエロエロ地獄に堕とされかけたのです。膝から崩れ落ちそうになりました。それは安堵から来るものだったのか。それとも己の情けなさ、不甲斐なさから来るものだったのか。今となってはわかりません。
しかしその瞬間、僕の中で明確に、とある決意がカチリと音を立て、そしてそれはやがて歯車を動かして走り出しました。もう止まらない思いに突き動かされるように、僕は決めたのです。


「メガネを変えよう」



一昨年の健康診断でメガネを忘れてしまい「次回は忘れないように」と看護師さんに釘を刺されていた為、その翌年である昨年に受けた健康診断ではメガネをかけて視力検査をやったのですが、驚くべきことに裸眼のときと視力が一切変わらず、しかも去年よりも悪化しているという始末でして。
普段めったにメガネをかけないのでまったく気づきませんでした。なんならそんなメガネでも、かけると少しだけよく見えるような気になっておりました。馬鹿の思い込みというものはこわいものです。
また、少しくらい目が見えにくくても仕事でも日常生活でもほとんど困ることはなく「まぁいいや」と先延ばしにしていたのですが、これを機にようやく重い腰を上げ、メガネを新調すべく、五年ぶりくらいにメガネ屋さんを訪れました。
あの気球のやつをアレして、なんかCみたいなのをアレして、ブルーライトがどうのこうのってのをアレした後、晴れて新しいメガネを手にした僕は眼前に広がる景色の美しさに心を奪われました。
大袈裟でもなんでもなく、本当にそう思えたのです。
太陽光に照らされた帰路の輪郭はハッキリと見え、草木は瑞々しさすら感じられ、目前に迫ったクリスマスや年末の騒々しさに浮足立つように行き交う人々の生き生きとした表情が世界を彩っております。

もっと早くこうしていればよかったのです。こんなに素晴らしい世界が目の前にあったなんて。僕はそんな簡単なことにさえ気づいていませんでした。幸せっていつも目の前にあるんです。やれ短いスカートだ、やれエロエロ地獄だ、やれマネキン・スカイウォーカーだと騒いでいた自分が恥ずかしいとすら思えてきました。最後のは言ってないような気もしますがもういいです。メガネを変える、ただそれだけの些細な事で僕はとても大きなものを得たように思えるのです。

燻ってしまう瞬間は誰にでもあります。大人になると「えいやっ!」と飛び込む前にリスクを考えてしまったり、単純にめんどくさかったりで動き出せなくなることも多々あります。それって仕方が無いことだと思うんです。
長く生きていればそれだけ守るものが増えてきます。抱えているもの増えてきます。背負っている荷物が多くなってしまった今は、若い頃のように足取りはけして軽くはありません。
それでも、ほんの少し、ほんの一歩だけでも踏み出すことは今すぐできます。そしてそれが本当に自分にとって必要であれば、その切っ掛けは必ず訪れます。今はどんなにかかりにくくても、走り出す為のエンジンがかかる瞬間はやってきます。そういう風に出来ていると思うんです。
何かが大きく変わらなくても、自分は変われます。とりあえずは今はそれでいいと思うんです。ゆっくりでも確実に良い方向へ向かえば、いつかは辿り着けるものだと信じたいじゃないですか。自分が良い方向に変われば、目に映るすべてのことも、きっと少しずつ良く見えてくるものだって僕は信じたい。

だってほら、世界はこんなにも美しいのだから。



……ちょっと綺麗な終わり方が出来たので、前半のスカートのくだりは忘れてもらえると幸いです。
何卒、宜しくお願い致します。



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逆佐亭 裕らく
お金は好きです。