2.明大前サルヴァトーレ
何を隠そう僕は元料理人である。別に一切隠してもいないけど。
今でこそ本社勤務で毎日PCをカタカタやったり、PCをカチカチやったり、PCをカチャカチャやったりしているが、以前はフライパンをガチャガチャやったり、包丁をトントンやったり、食材をジュージューやったりしていた。なんだか最高に頭の悪い文章になってしまった。
元々調理に興味があったワケではなかったが、二十歳の頃に楽器一本持って上京した時に
「まかないが出るところで働いたらご飯も食べれるしお金も稼げるし最高じゃん!」
というたった一つの理由で府中駅の近くにあった飲食店で働き始めた。そこから音楽活動と並行して調理を学び、最終的に音楽の夢を諦めた後もズルズルとアルバイトは続け「どうせだから」とノリで調理師試験を受けたら合格してしまい、なんだかんだでナシクズシ的に料理人になった、というのが事の顛末である。いや、勿論ずっと同じ仕事を続けてきたのは楽しかったからだし、誇りも持ってはいたけど。その場その場で短絡的に選んできた選択肢がその後の人生を左右するという良い例である。これを読んでいる皆様も気をつけてほしい。
それまでずっと和食をやっていたのだが、調理師免許を取得したときにバンドマン時代からの友人であったタツヒロの紹介でイタリアンの世界に飛び込んだ。二十七歳のときだった。
初めてイタリアンの厨房に入った時は衝撃だった。
まず常にイタリア語が飛び交う。食材も勿論そうなのだが、調理法からちょっとした返事や掛け声までイタリア語でやり取りをする。初日から
「クッチーナ!タボラ ウーノ!ノーヴァ コマンダ!ペルファボーレ!」
と、ホール従業員で弁髪のいかついプロレスラーみたいな男の子に叫ばれ、意味がわからなかった僕は怒られたかと思って、とりあえず
「すみません」
と謝った。後々になってわかったのだが
「厨房さん、一番のテーブルでオーダーが入りましたのでお願いします」
という意味だった。謝って損したぜ。あの野郎。でもその後お話したら超いい子だったので別にいいんだけど。
返事なんかも今までは「はい」とか「喜んで」とかだったのが、それを境に
「スィー!!」
や
「グラーツィエ(グラッチェ)!!」
とかになったのも衝撃だった。最初のうちは何を言われてるのかよくわからなかったし、自分でも何言ってんのかわからなかったが、働いていくうちに自然と口からイタリア語がスラスラ出てくるのは自分でも驚きだった。最終的には厨房にいたイタリア人の子からいろいろ教わって
「カッツォ!(クソが!)」
「ピーピー(おしっこ)」
「ソノスタンコ……(もう疲れたよ……)」
などの上級者向けイタリア語も使いこなしていた。特に「カッツォ!」は失敗したり納得いかなかったときに多用した。元々は男性器という意味らしいが、まぁ英語で言うところの「ファ○ク!」みたいなスラングかと思われる。日々勉強である。いや、料理を勉強しろ。
あ、そうそう。話はそれるが、海外でも日本のアニメが取り沙汰されたりする昨今、イタリアでも例外にもれず日本のアニメが放送されているらしいのだが、サザエさんだけは放送されないらしい。原因は「磯野カツオ」という名前にあって、現地の言葉で「イオソーノ カッツォ(私はキン◯マです)」に響きが似ているかららしい。もし今後ご友人と雑学を語り合う機会があった際には、是非この話は披露して頂きたい。その後の交友関係については責任は一切負わない。自己責任でお願いしたい。
メンバーも陽気で気のいい人たちだった。
ピッツァ職人のシェフなんかは僕が明大前のお店を辞めた後に働いていた千葉県のパスタ屋さんまでわざわざ食べに来てくれたし、伝説の十時間遅刻という偉業を果たした先輩は僕が辞めた後もちょくちょく連絡をくれて何度か呑みにも行った。これまた遅刻をして何度電話しても繋がらなかったのに何事もなかったように三時間遅れで店に現れ「ボンジョルノ~♪」と悪びれもなく笑顔で挨拶をしてくれたイタリア人の女の子(この子に汚い言葉を教わった)や、アニメ声な上に所作もイチイチ萌え萌えしてた所為で「実写版」という謎のあだ名で呼ばれて可愛がられていたアルバイトの女の子や、初対面のときは信じられないくらい無愛想だったけど話していくうちに心を開いてくれて僕が辞めるときは涙まで見せてくれた小説家志望の気難しい青年や、生意気だったけどお馬鹿でかわいかったデリバリー担当の男の子たちも、みんな、みんないい人だった。本当に良くしてくれた。
もう今はみんなあの店を去って散り散りになり、何処で何をやっているのかもわからないけど、たまに思い出してはあの日々を懐かしむ。元気でやっていてくれたらいいな、なんてガラにもなく心から思ったりもするのだ。
忙しくて大変だったけど、あのPIZZA SALVATORE CUOMO明大前店での日々は、今でも僕の記憶の中でキラキラと、そしてガヤガヤと息づいている。