【曲からショート】ドーナツ・ソング
はじめてのお土産は長くて四角い箱だった。会社から帰ってきた父の手にそれはあった。
「お土産あるぞ」
得意そうに掲げて。
箱を受け取り母の元へ走る私。後ろを妹がついて来る。
「お母さん、お父さんがお土産だって」
夕飯の支度をしていた母が手を止めて振り向く。
「良かったね。でもごはんだから後で開けようね」
えー?不満げな姉妹から箱をさりげなく取り上げ、手の届かない棚の上に置いた。
待ち切れないワクワクをだましだまし、嫌いなピーマンも頑張って飲み込んだことを憶えている。
ごはんの後、箱を開けた時の驚きといったら!
「わぁ〜何これ?」
初めて見た丸い形が縦に並んでいる。
4つ。家族の人数分あった。
「ドーナツって言うんだよ」
駅前に新しいお店ができたわよね。母が父に言う。
「好きなのを選びなさい」
形は同じだけど少しだけ違っていた。ギザギザ模様が入っていたり、チョコのもある。お砂糖がかかってるの美味しそう。
ケンカするからじゃんけんしましょ。
母の提案で私たちはじゃんけんをした。勝ったのは私。迷ったけどお砂糖のにした。
「いただきまーす」
みんなで頬張る初めてのドーナツ。
甘いのが口いっぱい広がって幸せな気持ち。噛んでいくとクリームが入っていた。
「中にも何か入ってるよ!」
口の周りを砂糖だらけにして私は叫んだ。
父と母は笑っている。
「それはエンゼルクリームだったかな」
それ以来ドーナツは父のお土産の定番となった。学校に上がってもしばらく続いた。
ドーナツの種類はその都度変わったけど、必ずエンゼルクリームが含まれていた。
そのうち友達とお店で食べるようになり、父のお土産は途切れがちになった。
最後のお土産はいつだったろう。
確かあれは…社会人1年目の頃だ。
仕事に慣れず、人間関係にも疲れていた私は不機嫌だった。心配してくれた両親にもそっけなくした。八つ当たりだ。
ある日の休日、さんざん寝坊して階下に行くと台所のテーブルに長い箱があった。
ドーナツだった。
「好きなだけ食べなさい」
父のメモが添えてある。みんな出かけているのか家の中はしんとしていた。
ボサボサ髪のまま、箱を開ける。
箱いっぱいのドーナツ。よく見ると私の好きなものばかり詰まっていた。
「こんなに食べられるわけないじゃない」
1人呟きながら手を伸ばす。
1番好きなのはエンゼルクリーム。子供の頃のように周りを気にせず、口の周りを砂糖だらけにして齧りついた。
クリームはまだ出て来ない。
少しだけ、涙がこぼれた。
「ただいまー」
玄関を上がって奥の台所へ向かう。
母が驚いて振り向いた。
「やだビックリした!早かったじゃない」
「ただいまって言ったよ?」
「聞こえなかったわ」
最近の母は少し耳が遠い。
右手に提げてきた長い箱を掲げて見せる。
「はいお土産」
あのドーナツだ。中身は3つ。妹は遠方に嫁いで行った。
「お父さん喜ぶわよ」
母の顔が輝く。
駅前の店舗は随分前に閉じられた。今日は出先で買ってきたのだ。
「お父さんどれがいいかなぁ」
そう迷うフリをしながら実は知っている。
父もエンゼルクリームが好きなのだ。だから必ず入っていた。
今日の3つはエンゼルクリーム2つと、母が好きなチョコレート。
私と父はよく似ている。
棚からお皿を出してドーナツを1つ載せた。それを和室に運んで行く。
父は写真立ての中にいた。
静かに微笑んでいる。その前にドーナツのお皿をそっと置いた。
「お父さんただいま。これ、お土産のドーナツ」
線香に火を付け、手を合わせる。
本当は自分が食べたくて買ったのに、ずっと私に譲ってくれてたんだよね。ありがとね。
今日はちゃんと2つ買ったから。後で一緒に食べようね。
「おそうめん茹だったわよー」
間延びした母の声がする。
「今行くー」
少し大きめの声で返事をしながら私は立ち上がった。
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