【手のひらの話】「箱の外」
ビックリハウスというのをご存知だろうか。
外観は結構派手な造りの家。
おとぎの国の建物みたいな。
いや、私が言いたいのは外観じゃなくて中味。ビックリハウスの中のこと。
設定は色々あるけど、突然象が暴れだすとか怪獣に踏み潰されるとか。
物騒なアナウンスが流れて(それもなんだか楽しげな声色で)ビックリハウスはガタガタと動き出す。
地震の揺れを体感できる、起震車のように。
私は乗ったことないけれど、イメージはあんな感じで。
激しく揺れ出す部屋の中で動けない私。
じきに奇妙な音楽とともに壁が迫ってくる…。
怖い。一体何が起こっているのか。
暴れ象も怪獣も、近所にはいるはずがないのに。
見慣れた白い天井。
目が覚めていちばんに視界に入るのがそれだ。
横になったまま天井に手を伸ばす。もちろん届かない。
良かった…天井が迫ってくる感じはなさそうだ。
体を起こして右手にある本棚を見る。
たくさんの本が並んでいる。隙間ないくらいに。
どこも乱れていない。揺れなかったのだ。
整然とした床に足の裏をくっつける。
どこも乱れていない。
何も暴れていない。
そもそも、ここはビックリハウスではない。
事の起こりが何だったのかは思い出せないが、ある日を境に私は家から出なくなった。
出られなくなったのではない。自分の意志で家から出ない。
当然バイトはクビになったし、他人と会話を交わすことはなくなった。
一日中この部屋にいる。
白い天井と本に囲まれた場所で。
じっと動かずにいると、体はそこにあるのに景色が動く気がした。
まるで空から降ってきた雪の中、立ち尽くした時のように。自分が空に向かって、上昇している錯覚を覚えた。
動かない私に向かって、壁と天井が迫ってくる。そんなはずないのに。
ここはアパートの一階だ。大草原の小さな家じゃない。
もう数週間以上、ビックリハウスに苦しんでいた。
そんな折、私は外に出ざるをえなくなった。
階上の住人が風呂場のお湯を激しく溢れさせ、階下の私の部屋まで水浸しになってしまったのだ。
こんなんじゃ、暮らせない。
不自然な染みのついた天井を恨めしく見上げ、最低限の荷物を持ち、私はビジネスホテルに避難することにした。
外の空気に触れた記憶はかなり遠い。
いや、時間の感覚をなくしているから思いのほか日数は経っていないのかもしれない。
遊歩道の木々は輝く緑で、眩しさに目を細めた。しばし立ち尽くす。
川のせせらぎ。
小鳥のさえずり。
ここには天井も壁もなかった。
何も落ちてこないし、迫ってこない。
深く呼吸できる。
振り向いたアパートはありふれた外観で、ビックリハウスとは似ても似つかなかった。
当然、象も怪獣もいやしない。
首をぐるりと回し、空に向かって伸びをする。
私は今、箱の外にいる。
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