【曲からショート】レトロメモリー
最後は怒鳴り合いみたいになった。
わかって欲しいのに伝わらないもどかしさ。
本当は、1番わかって欲しいのに。
進路希望を提出する日が迫っていた。ずっと白紙のまま逃げていた進路。
私はこの先どうすればいいんだろう。どうすれば母は喜んでくれるだろう。
いつしか私は自分よりも母を優先して考えるようになっていた。
我が家は母子家庭だ。小学生の頃に両親が離婚して、母に引き取られた。
保険外交員をしていた母は朝から晩まで働いて、私を高校まで入れてくれた。感謝している。
母の口癖は「安定」。父親がなかなか定職につかない男で苦労したと聞く。
ちゃんと大学を出て、大きな会社の正社員になって、安定した暮らしをしなさい。
結婚しても仕事は辞めない方がいい。人生何があるかわからないんだからね。
私と二人で暮らすようになってから繰り返し呪文のように唱えた。
その刷り込みもあって、私は大学に進学するのが当たり前と思っていた。あの時までは。
「コンクールに出そうと思うんだけど」
美術部顧問に呼び出されたのは放課後の美術室。西日が差し込み、油絵の具の匂いがする部屋。
「私の絵を、ですか?」
心底驚いた。夏休み中かけて描いた1枚の油絵。肖像画だった。
「すごく良かったよ。ここに響いた」
顧問が自分の胸のあたりを親指で示す。
すぐに言葉を返せないくらい嬉しかった。
「お前、描き続けろ。美大行け」
続けてそんな言葉を伝えられた。
私の絵は県のコンクールで銀賞をとった。
金賞じゃないのが残念だけど、初めての出品なら上出来だ。顧問も、美術部の仲間も喜んでくれた。
なのに私は母に言えなかった。
多忙を極める母は毎日疲弊していたし、ゆっくり話す時間もなかなか取れなかったのだ。
だから母は今も知らずにいる。
「美大出たってみんなが画家になれるわけじゃないのよ?絵なんて一銭にもなりゃしない!」
「一時の気の迷いで人生決めちゃ駄目!安定が1番なんだから」
「お母さんはあなたのことを考えて言ってるのよ」
美大に進みたい。
白紙だった用紙にようやく自分の希望を記入した頃、母に気持ちを話した。
一言が倍になって返ってくる。想像していたけどキツかった。全然聞いてもらえない。
話し合いに、ならない。
「じゃあ私の気持ちはどうでもいいのっ?」
最後は涙混じりの声が出て、外に飛び出した。
とぼとぼ歩いたところで小さな公園を見つけた。子供が遊ぶ時間はとうに過ぎている。誰もいなかった。
ブランコが目に入り腰かけた。
美大進学が母の希望とはかけ離れていることは分かっている。お金もかかるだろう。母に負担をかけてしまう。
悲しませたくはない。喜んでほしい。
両手で鎖を握りながらうつむいた。
「やっぱりここにいた」
どれくらいの時間が経ったのだろう。母の声がした。
「昔からブランコだったもんね」
近づいてくると隣のブランコに腰かけた。
「嫌なことがあるとブランコに乗るの、あなたはいつも」
鎖がきしむ音がする。
「さみしい時もね」
思い出す。友達とケンカした日。母の帰りが遅くてひとりの部屋がさみしくなった日。私はブランコに乗って気を紛らわせていた。
漕いで揺られて空まで飛んで。こんな気持ちがどこかに行っちゃえばいい。
「お母さん必ず迎えに来てくれたよね」
「だってお母さんだもん」
鼻の奥がツンとする。
「知ってたのよホントは」
母が言った。
「え?」
「コンクールのこと。面談で学校に行ったら飾られてたわ。ビックリしちゃった」
ふふ、と笑う。
「すごく素敵な絵だった。あんなに綺麗に描いてくれてありがとね」
私が描いたのは母の姿だった。
「好きなのね絵が」
何も言えずにうなずく。
「今だけじゃなくて、これからもずっと続けたい?」
真剣な表情で私を見ている。
「私、描き続けたい。もっと絵を勉強したいの」
今度はしっかり声が出た。私の気持ちだ。
「でも…美大はお金がかかるんだ」
「何言ってるの!」
母がぴしゃりと言った。
「進学用に少しは貯めてあるし、奨学金も色々あるのよ。現役で必ず受かって自宅から通える学校にしてね。ひとり暮らしさせる余裕はないからね」
「分かった。バイトもする。自分のことは自分でする」
最後は涙混じりの声になった。
あれから3年。絵の具だらけのスモックを着た私は、今日もキャンバスに向かっている。
作品製作で帰りの遅い私を心配しつつ、母は喜んでいるみたいだ。
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