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【真理】人類愛と生活圏


今や多くの人が「人類愛」は素晴らしいことだと認識しています。

ここでいう「人類愛」とは、人間と社会に対する関心と愛情のことです。

人間社会という大きな「生活圏」を大切に考えるということですね。



そのため「人類愛」は多くの人々に受け入れられたのだと思います。



無論「そんなのはただの綺麗事だ」と心の奥では考えている人もいるでしょう。

現実には、さまざまな悲惨が社会にあふれているので、当然のことかもしれません。

ですが「人類愛」が建前としての理想として掲げられるのは、おかしいことではない、ということは理解しています。



「人類愛」は「生活圏」を考えることなので、そこには神は必要ありません。

神は「生活圏」のための存在ではないからです。



人類は「生活圏」をよりよく構築するために、様々な主義をうみだしました。

そして、異なる主義は争います。




近代に限って言えば、冷戦とは自由主義と共産主義の戦いであります。

二つの主義は、表面上は対立するかのように見えますが

実は、一つだけ共通点があります。



それは、両方とも「人類愛」に基づいたイデオロギーだということです。

それが個人に還元すると自由主義になり、

国家社会に還元されると共産主義となったのです。




…そもそも恣意的に「人類」が指し示す範囲は変えることができる以上、

どのような主義も「人類愛」に基づいていると言えるのでしょうね。

生物学的に人間と認められる存在でも

「そいつらは人間ではない」と決めつけることができます…



自由主義と共産主義。

この二つの陣営で、宗教は共通言語になりませんでした。

そこでは、科学を土俵にして多くの意見が交わります。



科学はどんな人にも同じ現象を我々に示します。

地球上のどこでもリンゴは重力によって地に落ち

どんな人でも心臓が止まれば死にます。



この科学に基づき、二つの主義は互いの正当性を主張したのです。



これに対して、宗教は個人的なものです。

宗教の土台は神への信仰です。

科学のように、理知に基づく知識が土台となってはいません。




科学は、万人に通用しないモノを受け入れることができません。

ある特定の人にしか理解できないこと、

受け入れられないものは、切り捨てることしかできないのです。



科学の限界はここにまず一つあります。



「人類愛」が科学の名のもとに実践されて

貧困がなくなり、すべての人々の生活が安定して、

格差がなくなり、どんな人でも最大限の福祉を受けることができたら

それは社会の理想です。




ところが地球の資源は限られています。

また人類の知性の程度では、理想の端緒にもまだたどり着けていません。

なにより、人はとても利己的な存在です。

地上の摂理にとらわれている以上、誰が隣人のことを真剣に考えることができましょうか。



誰もが笑って暮らせて、お互いに限りない思いやりをもって交わり、いつまでも健康で、毎日を快適に過ごし、そして地上に平和が満ちあふれている。

これが「人類愛」の勝利というのなら、古今東西すべての人間は惨めに敗北しています。

仮に上記の条件をすべて満たしたとしても、人はいつか死にます。



生きている間も、いつか死ぬという事実におびえ、

あっという間に老いていき

病苦には襲われ

人生を思うままに生きれなくなり

そして死ぬ。



ここにも科学の限界があります。

「人類愛」という言葉がいかに虚しく響くことでしょう。




科学に対する宗教はどうでしょうか。



宗教は

「わけのわからないまま産まれ、苦しみながら生き、じきに老いて死ぬ」

という現実を見据えて、どうしたら真に幸福になれるかを真剣に考えてきました。



ここでいう幸福とは、我々の「生活圏」を安定させて、豊かにすることではありません。

繰り返しになりますが、神は「生活圏」のための神ではないのですから。



宗教は「明日のことを思い悩むな」と言います。

生活よりも神の義を求めることを優先します。



神の義とはなんなのでしょうか。

それは私にも分かりません。

ですが、己よりも優先する価値のあるものということは分かります。



食べるものやお金が必要ないと言っているのではありません。

それらが必要なことは、神もご存知です。

我々が「生活圏」で生きる上で必要なものは、後から授けると教えています。



なぜそう教えることができるのか。

我々の「生活圏」を豊かにする鍵は、その「圏」を超えたところにあるという真理を、宗教は理解したからです。

ここに発想の逆転があります。



言い方を変えれば、

人間の真の幸福は自己の内にあるのではなく

自己を超えたところにあることがわかったのです。



無数の自己

その自己達が構成する「生活圏」

そこでは自己が己に執着するがゆえに

数え切れない煩悩や劣情、渇愛にあふれています。



人を幸福へと導く鍵は、そこから解き放たれ超えたところにあります。

そして、そこに至ることではじめて「生活圏」での幸福が実現できるのです。

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