【世界】王と民草
まことに王とは呪われた存在。
その決断は容易に無数の人々に
塗炭の苦しみを味あわせる。
逆に豊かな暮らしができるように導く事もできるが
一自我はそこまで賢くはなく
羊たちを緑豊かな草原に導ける牧者など稀。
王の責任は重すぎる。
自分の発言で誰かの生活が変わるのなら
一人の隣人に対してでも
言葉の重さを担いかねる。
王の言動は
私生活に至るまで
人々に一挙手一投足が注目される。
我らの王にふさわしいかを
吟味するがゆえに。
王の務めを放棄して
数多の責任に目をつぶり
己の欲望を満たそうとする者もいる。
自身のために人々を虐げる。
まっとうな者なら
そこから湧き起こる怨嗟に
耐えられることはないだろう。
面の皮が厚く
心が鈍磨した者だけが
暴君をつとめあげることができる。
王の責任をまっとうしようとすれば
一人の人間をつぶしかねないほどの
義務を担がねばならない。
されど地上に満ち溢れた人々は
自分たちを導くための
王を求める。
高度な社会秩序を動かすには
制度を動かす役割をになう
号令者が必要だ。
なにより多くの人々は
自分たちの人生を
偉大な誰かに導かれたがっている。
これからも人間は
自分たちの王をいだいていくだろう。
それは人としていきていくために
必要なことなのだろうが
同時に忘れてはいけないこともある。
王も
それに従う者たちも
自分たち一人一人の
心の奥から聞こえてくる
素直な良心の声を
大切にしなければならないということ。
その純粋な声が聞けるような自分を
つちかっていかなければならないということ。
己という存在に執着せず
激情に身を任せず
隣人への同情心を忘れなければ
良心の声は聞くことができる。
地上の価値観にとらわれない声を。
集団の行く末をにない
未来の責任をかつぐのは
王だけではない。
その責任は一人一人が相応に担い
朗らかで曇りのない瞳で
天を仰げる思いをもって
皆で歩いてゆかなければならない。
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