【情報】あふれかえる偽りの絶望と潜んでいる無数の希望
人間には好奇心が備わっています。
また優越心にひたるために、他人の不幸を見聞することを喜びます。
もちろん、それらのことを表に出す人はあまりいません。
社会通念上の倫理観に背く感情だからです。
また、人には嫉みの気持ちが備わっています。
なので、誰かがうまくいっているニュースが内心面白くないという人も、少なからずいます。
そして、人は未来を見通せないがゆえに
絶えず不安な気持ちに陥っています。
明るいニュースを読んでも、それを信じることができません。
むしろ、暗いニュースに触れて、不安な気持ちについて
「あぁ、やっぱり私の不安感には根拠があるのだな」
と確信をもちたがります。
そららの人間の特性から
ネットにはとかく人の醜聞や不幸を吹聴する記事があふれることになります。
国や人類の将来について、絶望的なニュースばかり増えてしまいます。
仕方ありません。
多くの人々が、自身の劣情を満たすために、そんなニュースを求めているからです。
ですが、リアルの世界を先入観なしに観察してみると
グッドニュースや明るい事象がたくさんあり
昔に比べれば飛躍的に人間が生きる環境は良くなってきています。
統計的には、児童の死亡数は100年前に比べて、大幅に減少しています。
極度な貧困に陥っている人達の数も減ってきています。
電気が使えて文明化が進んでいる地域も増えており
伝染病に備えて予防接種を受けられる人たちも多くなってきています。
なにより…これが一番大事だと思いますが…大きいのは
社会的に悲惨な状況があったとしても
そのニュースは、瞬く間に多くの人々が知ることができる…ということです。
昔に比べれば、悲惨な出来事が闇に葬られる…ということも少なくなったでしょう。
明らかに人類はよりよき生を営めるようになってきています。
それらを促進するための活動や、その結果について
多数の善きニュースがあるのですが
それらは多くの有象無象な悪しきニュースによって
埋もれてしまっているようです。
こんなにネガティブな情報に囲まれていると
近いうちに、人類にとって破滅的な出来事が起きるのではないかという
あらぬ不安感を煽り立てられてしまいます。
無論、そのような出来事が起きることは十分考えられますが
それはどの時代でも同じことでしょう。
たちの悪いことに、先進国においては、昔に比べて
生活が便利になって、時間を持て余している人も増えているので
そんなニュースにかかりっきりとなる人も多いという事実があります。
余暇を持て余して、多くの悪しき情報を摂取した人達は
さらに多くの人々に、その情報を広げていくでしょう。
人間はメンタルの傾向が行動にも多大な影響を及ぼすので
多大な不安感は、日々の生活や行いに悪しき影響を与え
本当にその人にとってよくないことが起きることもあり得ます。
そんな人達が増えてくれば、負の心理や行いが連鎖して
自分たちの手で、不安の源になるような事象を起こしてしまう可能性もあります。
というより、多くの人々のネガティブな思いや行動は、暗い風潮を巻き起こし
悪い事件が起きたり、歪んだ思想が蔓延する原因ともなります。
どうすればよいのでしょうか。
昔は、情報をつかみ、それを流すことができる機関は限られていたので
情報は過少になりがちで、民衆は自分たちが知るべき情報に触れることができないことも多々ありました。
ですが、今は逆に情報過多の時代です。
本当にその人にとって得るべき情報にたどりつく前に
無数のどうでもよい情報を潜り抜けなければなりません。
しかも、それらの少なくない情報には、不必要なネガティブな因子が含まれていたりします。
ある程度、情報を遮断するのも良いでしょう。
ただ、こんなに多くの情報に囲まれていると
どうしても、そのフィルターを潜り抜けてくる情報もあると思います。
また、今の時代は生活にせよ仕事にせよ
情報の海に飛び込まなければならない場面も多いと思います。
人の劣情を満たすために、厭わしき情報があふれ
それでも無数の情報に囲まれながら生きるしかありません。
それならば、様々な情報に右顧左眄して心を痛めないように
情報に触れる主体の心構えを変えるのです。
月並みなアドバイスとなりますが、
わき目もふらず、自身の望みに忠実に生きるということができれば
情報の悪影響を気にしなくて済むかもしれません。
そもそも、人々が過多な情報に触れ、それに振り回されるということは
その人が、人生に退屈していて、やることがないから…ということも原因にあると思います。
私は、自分の願いのために真剣に生きている人が
情報を漁りたいがゆえに、ネットサーフィンをする…という図をどうしても思い浮かべることができないのです。
また、そんな真摯な生き方をする人が
どうでもいい情報に振り回されるということが有りうるでしょうか。
逆に言えば、心の奥から「果たしたい」という願いや勤めを持ってなく
それを叶えるために、日々を邁進することができない…そんな人こそが
諸々の情報に振り回され、
思いや行いまでもが、自分の望んでいないように、情報から支配されるのではないのでしょうか。
この一瞬とは、二度と得られる時。
その重みや価値を真に理解して、真剣に生きることこそが、情報社会に生きる人間たちに、求められている気がします。