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【宗教】信仰と無神論のはざま

世界には様々な宗教があります。

その中には、人々が生きていく上で必要な「生活圏」に寄与することを目的としたものもあります。

「生活圏」に属している宗教ということですね。



それは「圏」にとらわれない真なる宗教とは異なるものです。

こう書くと真なる宗教が「生活圏」を軽んじているように聞こえるでしょう。

ですがそうではありません。



偶像を大切にする宗教があります。

その偶像に祈ったり、触れたりすれば

病気が治り、生活苦から逃れられ、悩みから解放される…

とされています。



偶像を崇めることによって「神様の不思議な力」によって、我々が守られると信じられているのです。

幸せになりたいと心底願っているのです。

自分達の「生活圏」を大切にしたいのです。



その宗教は所謂「俗世」の宗教と区分されます。

ただ、どんな宗教にせよ「俗世」のご利益を多かれ少なかれ期待されます。

真なる宗教でも、それは同じことです。



地上の苦悩から解き放たれ、幸福のまま生きたい…

自分が住まう「生活圏」の発展と平穏を願う…

そんな切なる気持ちを無碍にはできません。



それと同時に、神が「生活圏」のためにだけあるのなら、

それこそ神とは人の妄想だったということになるでしょう。



無神論者の方は、世界や己の「生活圏」を顧みて神のことを考えた場合、以下のような思いを抱くでしょう。

「この世には多くの社会的悲惨があり、数え切れないほどの残虐な事件も起きている。

不正を働くものが繁栄して、真面目な正直者が虐げられている。

多くの悪がはこびっているのに、神とやらは何もしない

この事実こそが神の不在の証明であり、地上には人間のみが存在するのだ」

と。



「だからこそ、人は自分達だけの手で平和な世界を築いていかなければならない」

神はいないと確信している人たちが、真剣に世界のことを考えたとしたら

以上のような結論に至ると思います。



とても真摯で切実な思いですが…

その思いの根底には、宗教への無理解があります。



無神論者の方が言っている神とは、ご利益宗教の神です。

ただひたすらに、自分達の「生活圏」だけを守る神です。



先程述べた、無神論者の方の考え方を、神がいることを前提にしたものとしたらどうなるでしょうか。

「この世は神の慈悲で見守られており、多くの幸福で満ちあふれ、人々は誰しもお互いを慈しみあっている。

真面目な正直者が栄えて、不正を行うものは正しく罰せられる。

神が導いてくれるおかげで、多くの善きことがなされている。

この事実こそが神の存在の証明であり、この地上には神と人間がいる」

と。



「だからこそ、人は一切合切を神に任せて、自分達はただ幸せを享受すればよいのだ」



これはまさしく理想郷でしょう。

ですが、これは空想であり、現実とあまりにもかけ離れています。



隣人の苦しみから目を背け、現実を見ることもせずに、

自分達の「圏」に閉じこもり、ただひたすらに神におねだりをすることが信仰ではありません。

それでは御心は果たされません。



神は目に見えることはありませんが、確かに存在します。

しかし、その御心を地上で行うのは、他ならぬ人間です。



地上で起きている数え切れない惨禍は、人間が起こしたものです。

その悲惨を自分達の力で阻止しようともせずに、

「すべては神がやってくれる」と指をくわえて何もしないのが人間ではありません。




真なる宗教は、一個人の小さな「生活圏」から

「生活圏」を超えて果たされるべき御心についてまで、

肉から霊に至るまで不可分なくつながっています。



地上で苦しみに塗れて生きる人間が

「どうか御心に適うことが行われますように」

と祈り



「生活圏」の中で生きながらも、その「圏」を超えた果てなき神の世界に思いを馳せる時

人は突き抜けることができるのです。



泥臭く地上の苦悩に向き合いつつも

すべてをあるがままに受け入れて

私の願うことではなく、御心に適うことが行われるように祈りたい。



そんな決意を自然に抱くようになるのです。

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