【人】わきまえて話す
人は己が信じたいことを信じて生きています。
これは例外がありません。
もちろん私もそうですし、どんなに賢い人でもそうです。
なぜなら、人は主観を通してしか世界を眺めることができないからです。
自我の狭い窓から観た世界を自身の思考体系に取り込む
そして、その世界を観察することでしか、客観的な視点を持ちえないのです。
神の視点、つまり完全に世界を俯瞰して、すべてを眺めることができる人間はいません。
よって、人が世界について考えることは、どうしてもどこかに独りよがりなものを含むことになります。
でも、それでも良いのです。
世界のことについて、人々が話し合う時に
「私の意見は、あくまで私の視点から考えたものに過ぎず、そしてそれはあなたも同じである」
という前提を互いに持てば、多種多様な考えが調和されて、客観的にも妥当な意見が結論として出ることもあるでしょう。
問題なのは
「私の考えは絶対に正しい」
と頑なに信じている人間どうしが話し合う時です。
そこに生まれるのは、独りよがりな信念の衝突であり、
調和のもとに何か有意義な考えや思想が生まれることはないでしょう。
お互いに「自分は世界の一部しかとらえることができない」というある種の「わきまえ」を知っていることが
多くの人々が協調して生きていくことに繋がるのではないのでしょうか。