“頑張れ”じゃない
彼にがんばれと言われる。元彼女たちと別れた原因が彼女達が夢を追うのを諦めたから。夢がないということは叶えられないと思ってる夢があるということだとも言われた。確かに彼は毎日目の前の仕事をこなしその合間にダーツのプロライセンスを目指す練習と試合を重ねている。取る、と言い切っている。
そしてまた、2人とも働かないとダーツバーに通うお金がなくなってくるのも事実である。彼は気前良く奢ってくれるし懐も広いが、このままだと俺はさんするよ。マチならなんでもできるよ。できるとおもえばできるよ。と、今の快復してきたタイミングで出会わなければ耐えられなかったであろう言葉を毎回言ってくる。私のネガティヴな電話を毎日聞いて辟易していたのだろう。我慢していた分をおしえてくれたのだろう。「それでも最後はマチに甘い俺⭐︎」で締められても、しこりしか残らなかった。
私には確かに叶えられないと思っている夢がある。漫画を描いて成功すること。それが私の往年の夢だった。今ご活躍のOL兼漫画家さんみたいな人の歳の頃私にもその情熱があった。でも医者に間違った薬を出されていたせいで体がついてこず反吐を吐きながら何枚か描いたけど段々やる気がなくなった
ことは言うまでもない。学習性無力感た。それほどに体も頭もふらふらだった。私は精一杯やった。これ以上頑張れない。その苦しみを知らない人に「過去は過去、前を向いて行こう!」と言われると正直なところ少しずつ好きになっていこうという気持ちがずっと冷めてしまった。でも私には依存先が必要だ
自分で自分の身を立てるなんてできない。何とかして一生人のお金でご飯を食べたい。税金だぞって言うけどそういうあんたは働ける状況に感謝してるのか?何で私だけ食わせてもらってることに感謝しなきゃいけないの?好きでやってないのに?自分でも何を言ってるのかよくわからないけれど、
15年私と同じ体調を経験すれば誰でもそう言う思考回路になると思う。そんな人体実験は許されないから現実には誰にもわかってもらえない。働けない惨めさ、それを受け入れないでバイトを検索するだけでぐるぐる回る頭。それらの記憶が急に消えて前向きに慣れると思ったら大間違いだ。
漫画を描きたくないのは今の私じゃない。過去の私だ。手垢でベタベタのジャンルに明るい気持ちで乗り込んでいけるほど状況は温かくない。私は今でも普通に体調が悪い。その場合それよりも描きたいと言う強い意志が必要だ。でもお金になるかわからないことにそこまで本気で思えない。
本気は冷凍保存できない。そして人生の往年になって漫画を描き始めた人の言葉を読んだことがあるのだけど、「体力がない。目も老眼で見えない。若いうちにやっておきなさい(概要)」というもの。そして今私は若い。でもまだ病気で半日はただぼーっとする事しかできない。あとは家事をしたら終わる
生きてるだけでいいと言われたい。いてくれるだけでいいよと。
頑張れじゃなくて今までよく頑張ってきたねと。そんな私でもできる簡単な事なんでできない人が多いの?
みんな頑張ってるに決まってるじゃん。夢を追ってない人にはその人の素行がどんなに悪かろうが何か事情があるかもと考えるべきだと思う。そう言うふうに考えたら自分がしんどいからそんな余裕ないから無意識に避けてるんだろうな。そう。私は人生をたった一度ドロップアウトしただけで人に無意識に距離を置かれる存在になってしまった。年金も2年の期限付きだ。体調が良くもないが悪くもない時点に達したら
誰が、何が私を守ってくれるのだろう。愛してくれる家族は老衰でどんどんいなくなる運命だし。私は働きたくない。働きたくない人をカモにするアホビジネスにも引っかからない。働き始めたとしてそこに喜びを見出せるだろうか。私が収入を得て喜ぶ彼を愛し続けられるだろうか。私は無償の愛が欲しい。