デジタル社会の不確実性
デジタル全盛の世の中、すべてのデータは脆く、壊れやすい。
あなたがスマホやデジカメで撮った写真、何年先まで残せるだろうか。あなたが投稿したTwitterやInstagramの投稿、いつまで残っているだろうか。
世の中は生々流転、諸行無常と言ってしまえば、それで議論が終わりなのは確かだ。
ただ、何十年先までとは言わなくても、5年や10年くらいは残っていて欲しくないだろうか。
写真や動画の「バックアップ」は大事だが、それも一瞬で消えてしまうリスクは常に抱えている。安全・安心を謳うクラウドサービスも、いつ何時、サービス終了や大規模障害が起こるとも限らない。
重要なデータについては、さらに一歩進んだ、「アーカイブ」的な考え方が重要になってくる。
単なるバックアップではなく、より安全、かつ、確実で、長期的にデータを残せる方法が、必ずあるはずだ。
ただ、その方法や答えは一つではなく、完璧な正解も存在しないのも確か。それに掛かるコストも勘案しなくてはならない。
いつまでも過去を引きずって生きるのは決して褒められることではないが、美しい思い出や記録を残したいと思うのは、決して悪いことではないはず。
こうした不確実なデジタル全盛の時代だからこそ、自分の思い出、記録としてのアーカイブを残すことが大事だと考えるのは自然なことだろう。
この理想の「アーカイブ」の探求は、深く、果てしなく広大だ。
これまで、そしてこれからも、ITという仕事に関わり続けている私にとって、ライフワークの一つになるのかもしれない。
(最後に)
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