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大学入学共通テスト世界史B2023解説

はじめに

今回は2023年1月14日(土)に実施された「大学入学共通テスト世界史B」の解説をしていきます。
難化したと言われている今回の入試ですが、どういったところに着目して読めばよいか、どのような思考や着眼が求められているかについても解説していければと思います。

参考:大学入試センター 世界史B 正解と配点
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?d=428&f=abm00003319.pdf&n=R5_%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2B_%E6%9C%AC%E8%A9%A6%E9%A8%93%E3%81%AE%E6%AD%A3%E8%A7%A3.pdf

第1問 歴史の中の女性

A 女性参政権

問1 空欄( ア )の国の歴史について述べた文として最も適当なものを一つ選べ。
 共テの世界史は最初は空所補充ですね。空所補充の設問は、まず空欄を含む1文を読んでください。それだけでわからない場合は範囲を広げましょう。今回の場合は、次のような文となっています。

フィンランドは19世紀に当時帝国だった( ア )の領土になりました

 フィンランドは、ナポレオン戦争中の1809年にロシアの支配下に入り、1917年にロシア革命を機に独立したという歴史をもつ国です。そのため、空欄( ア )はロシアのことを指すと考えられます。「帝国」というフレーズからも連想できると良いですね。
 次に選択肢の検討をしよう。検討する際のポイントは、まずロシアについて書かれている文はどれか、文に書かれている出来事があっているか(事実の内容や年代)の2点だ。

① ピョートル1世が北方戦争でイギリスを破った。
② プロイセンとの戦いで、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国を失った。
③ 第一次世界大戦後に、ピウスツキの独裁が行われた。
④ 21世紀に入ると、中国などとともにBRICS(BRICs)と呼ばれた。

 4つの選択肢のうち、①と④がロシア、②はデンマーク、③はポーランドに関する記述だと推測できます。更に①と④の正誤を確認すると、①は北方戦争でロシアを破ったのがスウェーデンではなく、イギリスと書かれているため、誤りだとわかりますね。したがって、④が正解です。

問2 下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 これは、センター試験タイプの正誤問題です。単純な知識の確認です。下線部を確認しなくても解けるので、さくっと選択肢の正誤の判断をしましょう(選択肢が絞り込めなければ、年代が誤っていないかを疑ってください)。

① オスマン帝国が、協商国側に立って参戦した。
② フランス軍が、タンネンベルクの戦いでドイツ軍の進撃を阻んだ。   
③ イギリスが、インドから兵士を動員した。 
④ レーニンが、十四か条の平和原則を発表した。

①は、オスマン帝国は、「協商国」ではなく「同盟国」側で参戦したので誤り。
②は、フランス軍が、タンネンベルクではなくマルヌの戦いのことなので誤り。なお、タンネンベルクの戦いは、ロシア軍にドイツ軍が勝利した戦いのことで、ヒンデンブルクが英雄となったことで知られます。
④は、レーニンが発表したのは「平和に関する布告」なので誤り。「十四カ条の平和原則」はウィルソンが発表しました。
したがって、③が正解。

問3 生徒たちがまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①~⑥のうちから一つ選べ。

3つの文章の正誤組合せ問題。慌てずに、一文ずつ正誤の判断をしていけばよいでしょう。

まず室井さんのメモから

ニュージーランドでは、自治領となった後に女性が全国レベルの参政権を獲得した。

 この文には「イギリス植民地の自治領化」と「女性参政権獲得」という2つのテーマ史の要素が含まれています。まず「自治領化」。ニュージーランドが自治領となったのは1907年。イギリス植民地の自治領化の時期は、2023年のラグビーワールドカップで時事として出題されたのかなと思います。

【確認】イギリス植民地の自治領化
1889 カナダ
1901 オーストラリア
1907 ニュージーランド
1910 南アフリカ

 一方、女性参政権の獲得は1893年。世界で初めて女性参政権が認められたことで知られている。

 この2点が理解できていれば、自治領となる前に、女性参政権が獲得されているとわかるため、誤りだとわかります。

次に渡部さんのメモを確認しましょう。

 第一次世界大戦で女性が社会に進出したことが、女性参政権の実現を促し、イギリスでも、1918年に初めて女性参政権が認められた。

 これは第4次選挙法改正のこと。この時に、21歳以上の男性の選挙権と30歳以上の女性の選挙権が認められた。同じように、大戦後には1919年のドイツ、20年のアメリカと女性参政権を獲得した国が増えてきます。

さて最後に佐藤さんのメモを見てみましょう。

 アメリカ合衆国では、第一次世界大戦末期のキング牧師による公民権運動をきっかけに初めて女性参政権が認められた。

 キング牧師の公民権運動は、1960年代に行われた黒人の法的平等と政治参加を求める運動なので、年代が異なり誤り。

したがって、渡部さんのメモのみが正しいため、②「渡部さんのみ正しい」が正解となります。

B 中国史の中の女性

問4 文章中の空欄( イ )に入れる語句として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

これも先ほどの空欄補充と同様にまず、空欄前後の文を抜き出してください。

山口:中国には…女性が国や家の事に口出しするのは禁忌であったと聞きます。資料の後半に書かれているように、女性が活発な状況が現れた背景は、いったい何でしょうか
藤田:著者の推測に基づくなら( イ )に由来すると考えられます。

 今回は空欄を含む文とその前の一文を引用しました。
 この2つの文から空欄( イ )は
 ・女性が活発な状況が現れた背景
 ・著者の推測に基づく
 ということがわかります。そこで、資料を読み、藤田さんが背景と考えた根拠にあたる筆者が推測を述べた箇所を探してみましょう。

 では資料を見てみましょう。
 前半の段落:南方の女性
 後半の段落:北方の女性
 この資料の最後に、「これらは、平城に都が置かれていた時代からの習わしであろうか」という一文があります。そのため、ここが筆者の推測を述べた箇所と考えられます。現代文で学習していると思いますが、筆者の推測を表す文末表現に注目することが重要です。
 したがって、空欄( イ )に入るのは「平城に都が置かれていた時代」と同じ意味ないし近い意味の言葉が入ると推測できるでしょう。その上で選択肢を見てみましょう。

① 西晋を滅ぼした匈奴の風習
② 北魏を建国した鮮卑の風習
③ 貴族が主導した六朝文化
④ 隋による南北統一

 平城に都が置かれていたのは北魏のことなので、②が正解。
 ちなみにまずは作問者が意図しているだろう解法で解いてみましたが、必ずしもここまで丁寧に読む必要はありません。先に選択肢を吟味すれば、時間を短縮できますね。6世紀後半という年代から、①と④は最初から削ることができ、空欄の内容が、北方の女性が活発な状況の背景だとわかれば、資料を全部読まなくても答えは②にたどりつきます。共通テストでは、いかに読む量を減らしていくかが重要になります。

問5 文章中の空欄( ウ )に入れる文として最も適当なものを一つ選べ。

この問題も空欄補充。先ほどの対話文の続きを見てみましょう。

中村:あっ!ひょっとして、この時代の北方の状況が、中国に女性皇帝が出現する背景となったのでしょうか?
教授:中村さんがそのように考える根拠は何ですか?
中村:ええと、それは( ウ )からです。

 教授の問いかけから、( ウ )には、中村さんが「中国に女性皇帝が出現する背景」と考えた根拠を入れればよいとわかりますね。中国に女性皇帝が出現したのは、唐代の則天武后のことだとわかりましたか?中村さんの発言は、直前の「北魏の影響により、北方では女性が活発な状況が現れた」という発言を受けたもので、中村さんは中国に女性皇帝が出現する背景にも北朝・北魏が関係すると考えたと推測できますね。
したがって、唐と北魏の関係を指摘した選択肢が正解となります。選択肢を見ると、

① 唐を建てた一族が、北朝の出身であった。
② 唐で、政治の担い手が、古い家柄の貴族から科挙官僚へ移った
③ 隋の大運河の完成によって、江南が華北に結び付けられた
④ 北魏で、都が洛陽へと移され、漢化政策が実施された。

①が正解。
このように問4と問5はいずれも対話文から思考プロセスを丹念に読み取ることが求められる問題です。新傾向ですね。

問6 下線部bについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

下線部bは、「この時代以降の儒学」とあるため、魏晋南北朝期より後の儒学について書かれた選択肢を選べばよいことになります。

① 世俗を超越した清談が流行した。
② 董仲舒の提案により、儒学が官学とされた。
③ 寇謙之が教団を作り、仏教に対抗した。
④ 『五経正義』が編纂された。

したがって、①は南朝、②は前漢、③は北魏なので誤り。④が正解。

第2問 世界史上の君主の継承

A フランス王家の家系図と紋章

問1 前の文章と家系図を参考にしつつ、前の図について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

この設問も読まなければいけない情報量が多い。まずは、選択肢を見て、選択肢に書かれた根拠を資料から探そう。

① 右の図柄は、クレシ―の戦いにおける鷹の図柄と同じである。
② 左の図柄は、アンリ4世がカペー朝とつながりがあることを表している。
③ フランス王家とイングランド王家との統合を表している。
④ アンリ4世が父からナバラ王位を継承したことを表している。 

たとえば、①の選択肢の場合、右の図柄に関する記述、またクレシ―の戦いに関する記述を、前の文章から探そう。
①:先生の発言から「金の鎖の図柄で、アンリ4世の母方の家系で使用されていた図柄」とあるため誤り。
②:左の図柄は後藤さんの発言から「ユリの図柄」だとわかる。また先生の発言から、「ユリの図柄は、アンリ4世が前の王朝とつながっていることを明確に表して」おり、この前の王朝はルイ9世、すなわちカペー朝だとわかるので、この文は正しい。
③そのような事は資料から読み取れず、事実とも異なるため誤り。
④家系図と先生の発言からナバラ王位は「母」から継承したことがわかるため誤り。
したがって、②が正しい。

問2 下線部aに関連して、ヨーロッパ各地におけるプロテスタントについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
久しぶりのセンター試験タイプの正誤問題。下線部は確認する必要はない。

① サン=バルテルミの虐殺により、多くの犠牲者が出た。
② ドイツ農民戦争が、ツヴィングリの指導の下で起こった。
③ ヘンリ7世が、国王至上法(首長法)を制定した。
④ イグナティウス=ロヨラが、イエズス会を結成した。

②は、ツヴィングリはトマス=ミュンツァーの誤り。③のヘンリ7世はヘンリ8世の誤り。これはカトリックの動きなので誤り。したがって①が正解。

問3 文章中の空欄( ア )に入れる人物の名あ・いと、空欄( イ )に入れる文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
これは軽めの設問。先に選択肢を見ると、あ・Yとい・Xの組合せしかない。

( ア )に入れる人物の名
 あ ルイ14世  い ルイ16世
( イ )に入れる文
 X ネッケルによる財政改革が進められていました。
 Y 度重なる戦争によって戦費が膨れ上がっていました。

その上で、空欄の箇所を見ると次のように書かれている。

宰相マザランが死去した後、親政を始めた( ア )…。当時( イ )

ここから、空欄( ア )は宰相マザランの死後に親政を始めた国王が入るので、ルイ14世が正しい。したがってあ・Yの②が正解。

B ファーティマ朝のカリフの正統性

問4 文章中の空欄( ウ )の王朝が10世紀に支配していた半島の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

 まずは空欄を含む文を確認しよう。

しかし10世紀にファーティマ朝や( ウ )の支配者もカリフと称し

 10世紀にアッバース朝と並び、カリフと称したのはファーティマ朝と後ウマイヤ朝の2つ。後ウマイヤ朝が支配していた半島はイベリア半島だとわかる。そのため、あとはイベリア半島の歴史に関する正誤問題として、選択肢の正誤の判断を行えばよい。

 ① トルコ系の人々が、この半島においてルーム=セルジューク朝を建て た。
 ② ムラービト朝が、この半島における最後のイスラーム王朝となった。
 ③ ベルベル人によって建てられたムワッヒド朝が、この半島に進出した。
 ④ この半島で成立したワッハーブ王国が、ムハンマド=アリーによって一度滅ぼされた。

 まずはイベリア半島かどうか、そして選択肢の内容自体を確認する。すると、①はアナトリア、④はアラビア半島なので誤り。残った②と③のうち、②はムラービト朝ではなく、ナスル朝なので誤り、したがって③が正解。

問5 下線部bの歴史について述べた文として最も適当なものを一つ選べ。 
 
下線部bは資料1から「カリフ」とわかるので、あとはイベリア半島の歴史に関する正誤問題として、選択肢の正誤の判断を行えばよい。

① 預言者ムハンマドが死亡すると、アブー=バクルが初代カリフとなった。
② アブデュルハミト2世がカリフ制を廃止した。  
③ ブワイフ朝の君主はバグダードに入った後、カリフとして権力を握った。
④ サファヴィー朝が、アッバース朝のカリフを擁立した。

②はカリフ制が廃止されたのは20世紀のトルコ共和国成立後なので誤り。
③はカリフではなく、大アミールなので誤り。
④はマムルーク朝のことなので誤り。
したがって①が正解。

問6 資料1・2を参考にしつつ、ファーティマ朝の歴史とそのカリフについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

「資料1・2を参考にしつつ」という表現がある時は、資料1・2も読んで正誤判断を行おう。とはいえ、基本的にはこういう時も読む量を減らすために、選択肢の中で知識で正誤が判断できないかを確認するのが先。

① ファーティマ朝はアッバース朝成立以前に成立した王朝であり、資料1は伝聞や逸話に基づいてそのカリフの正統性を否定している。
② ファーティマ朝はスンナ派の一派が建てた王朝であり、資料1と資料2はともに系譜を根拠としてその支配者がカリフであると認めている。
③ ファーティマ朝はカイロを首都としたが、資料2はシリアやエジプトを取り戻せないという無能力によってカリフの資格がないと判断している。
④ ファーティマ朝はアッバース朝の権威を否定しているが、資料2はアッバース朝カリフの手紙を証拠としてファーティマ朝のカリフをアリーの子孫だと認めている。

この問題の選択肢はファーティマ朝に関する基本的な知識+資料から読み取れることとなっている。まずは前半部分だけ4つの文を確認してみよう。
 ①:アッバース朝は750年、ファーティマ朝は909年成立なので誤り
 ②:ファーティマ朝はシーア派が建てたので誤り
 ①と②が誤りが含まれるため、除外できる。そこで、③と④の後半部分を見ると、いずれも資料2に関する記述なので、資料2のみを読めばいいことになる。
 資料2の2段落目には、アッバース朝カリフの手紙を証拠としてファーティマ朝のカリフをアリーの子孫だと認める記述(はっきりと証明という表現)があり、④の記述と一致しており、④が正解。

第3問 歴史知識に対する疑問や議論を通じた歴史への理解

A ナポレオンについて

問1 図の出来事が起こった際に、フランスを統治していた国王について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

まずこの問題はナポレオンの話をしていることに気づこう。その上で、図についての対話文の記述を見てみよう。

先生:例えば、次の図を見てください。ここには、彼が追放されていた地中海の島から奪取し、フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます。

このことからナポレオンがエルバ島から帰還する時の絵だとわかる。その際のフランス国王はルイ18世なので、そのことについて書かれた選択肢を選ぼう。

① アルジェリアを占領した
② 恐怖政治を敷いた
③ 国外逃亡を図り、ヴェレンヌで捕らえられた
④ 王位に就いて、ブルボン朝が復活した

①はシャルル10世、②は国王ではなく、ロベスピエール、③はルイ16世のことなので誤り。したがって④が正解。

問2 文章中の空欄( ア )と( イ )に入れる地域の位置と、その位置を示す次の図中のa~cとの組合せとして正しいものを、後の①~⑥のうちから一つ選べ。

まずは空欄を含む文を見てみよう。

岡村:トゥサン=ルヴェルチュールが指導する( ア )の独立運動
先生:図の出来事の後、彼は権力の座に返り咲きましたが、その支配は長続きせず、ついには対仏同盟軍に敗れて( イ )に流され、そこで没しました。

記述から( ア )はハイチ、( イ )はセントヘレナ島だとわかる。あとは地図を見て、その位置を答えればOK。地図を見ると、aがカリブ海のハイチ、bはエルバ島、cがセントヘレナ島なので。アがa、イはc。したがって②が正解。

B 科挙に関する授業

問3 文章中の空欄( ウ )の学問について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
空欄を含む文を見てみよう。

先生:宋代には私立学院の書院が各地にでき、新しい学問である( ウ )も書院の活動のなかで生まれました。

宋代に生まれた新しい学問という記述から、( ウ )は宋学(朱子学)だとわかる。あとは宋学に関して述べた選択肢を選べばよい。

① 科挙が創設された時代に、書院を中心に新しい学問として興った。
② 金の支配下で、儒教・仏教・道教の三教の調和を説いた。
③ 臨安が都とされた時代に大成され、儒学の経典の中で、特に四書を重視した。
④ 実践を重んじる王守仁が、知行合一の説を唱えた。

①は科挙が創設されたのは宋ではなく隋唐なので誤り。②は全真教の説明なので誤り。④は王守仁は明代に活動したので誤り。共通テストでは、王陽明ではなく王守仁という表記で出題されるのが慣例なので注意。
したがって、正解は③

問4 文章中の空欄( エ )に入れる文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

空欄を含む文を見てみよう。今回は一文ではなく、話のまとまりごと抜き出してみる。

先生:17世紀の顧炎武は、官立学校の学生身分を持つ者が増えすぎて社会問題になっていると論じています。
高木:学生が増えたのが社会問題となったのはなぜでしょうか。
先生:王朝の交替を目の当たりにした顧炎武は、多くの学生が政治上の争いに加担したことを問題として挙げていますが、それには、彼が同時代のこととして見聞した、書院を拠点とした争いが念頭にありました。
高木:それは( エ )ことではないでしょうか。
先生:そうです。…

 ( エ )は、先生の以下の発言内容を具体的な歴史上の出来事で言い換えたものだと考えられる。
 その出来事は、
  顧炎武が同時代のこととして見聞していた。
   →顧炎武は17世紀の人物と上に書かれている。
  書院を拠点とした争いである。
という情報が読み取れる。

その上で選択肢を見ると

 ① 宗教結社の太平道が、黄巾の乱を起こした。
 ② 和平派の秦檜らと主戦派の岳飛らとが対立した。
 ③ 土木の変で、皇帝が捕らえられた。
 ④ 東林派の人々が、政府を批判した。

 ①~③の出来事は年代が異なるので誤りとわかる。内容からも年代からも④が正解。
 このように、抽象化された記述から具体的な歴史上の出来事を連想する力を問う力は非常に重要であり、日ごろから簡潔にまとめられた教科書の記述から、歴史上の出来事に具体化したり、逆に具体的な出来事を抽象化してまとめる訓練を行う必要がある。

問5 下線部aについて述べた文あ・いと、前の文章から読み取れる朝鮮や日本で見られた人材登用制度に関する考えについて述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
まず文章を見て、下線部aを確認しましょう。

中国で科挙の開始より古い時代に行われた人材登用制度

 科挙より以前の官吏登用法とは、漢代の郷挙里選、魏の九品中正のこと。この登用法についての選択肢あ・いを見ると、

下線部aについて述べた文
あ 地方長官の推薦による官吏登用が行われ、結果として豪族が政界に進出するようになった。
い 人材が9等級に分けて推薦され、結果として貴族の高官独占が抑制された。

あは郷挙里選、いは九品中正についての記述だとわかるが、いの後半部分、九品中正の結果、貴族の高官独占が抑制されたとあるため誤りだとわかります。実際は門閥貴族化が進んだ。

次に、朝鮮や日本で見られた人材登用に関する考え。これは文章の中にXとYと同じ内容がないかを探してみよう。

X 朝鮮の知識人が、科挙を採用せず広く人材を求めない日本を批判した。
Y 日本の儒学者が、周の封建制を否定的に考え、科挙の導入を提唱した。

朝鮮についての記述を見ると、Xと同じような記述が見られる。

先生:例えば江戸時代の日本を訪れた朝鮮の知識人の一人が、日本には科挙がないので官職が全て世襲で決まり、埋もれた人材がいると書き残しています。日本の儒学者とは反対の意見です。

一方、日本についての記述では、Yと異なる記述が見られる。

先生:江戸時代の儒学者の中には、科挙は文才を重視しすぎて実際の役に立っていないとして、むしろ中国で科挙の開始より古い時代に行われた人材登用制度を参考にすべきだという意見がありました。日本の社会には中国で理想とされる周代と共通する要素があると考え、周代の制度を参考にして、文才ではなく人柄を重視しようとしたのです。

ここまでの検討から、あとXが正しい組合せなので、①が正解。

C 中国における書籍分類の歴史

問6 文章中の空欄( オ )に入れる語と、( オ )を編纂した王朝について述べた文との組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
まずは、空欄を含む文を確認しよう。

内藤:18世紀の中国で編纂された( オ )の「四」という数字はどういう意味ですか。

 ( オ )は18世紀の中国で編纂された、「四」がつく書物だとわかる。選択肢を見ると

① 『四書大全』-皇帝に権力を集中させるため、中書省を廃止した。
② 『四書大全』-漢人男性に辮髪を強制した。
③ 『四庫全書』-皇帝に権力を集中させるため、中書省を廃止した。
④ 『四庫全書』-漢人男性に辮髪を強制した。

選択肢から、空欄の書物は、清朝の乾隆帝期に編纂された『四庫全書』だとわかる。また清朝の説明を選べばよいので、辮髪強制を選べばよい。
したがって正解は④。
 なお、この18世紀と四庫全書を結びつけるパターンは、2021年度共通テストでも出題されている。〇世紀と中国王朝をリンクさせる学習は共通テスト対策で必須と言えよう。また、文献資料を出題する頻度の高い共通テストの文化史問題は、学問や書籍、歴史家や著述家の名前が出題される頻度が高いので、特に重点的な対策が必要。

問7 下の書籍あ・いが『漢書』芸文志の六芸略に掲載されているかどうかについて述べた文として最も適当なものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
あ 『詩経』 い 『資治通鑑』


 少しこれまでとテイストが異なる問題。
 対話文から、漢書芸文志の六芸略にどのような書籍が掲載されているかを読み取ろう。資料2(漢書芸文志の六芸略に掲載されている一部の資料)を見た内藤さんは「高校で習った五経が含まれていますね」と答えている。
 そのため、五経の一つである詩経は掲載されたと考えられ、漢書よりも後の宋代に編纂された資治通鑑は掲載されていないと考えられる。したがって、① あのみ掲載されている が正解と考えられる。

問8 前の文章を参考にしつつ、中国における書籍分類の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
「前の文章を参考にしつつ」とあるので、前の文章を読んで正誤判断を行う必要があるが、まず知識でいける設問がないかを検討する。

① 1世紀には『史記』や『漢書』のような歴史書が既に存在し、史部という分類を定着していた。
② 3世紀から6世紀にかけて、木版印刷の技術が普及したことで、史部に含まれる歴史書の数が増加した。
③ 7世紀の書籍目録において、『史記』と同じ分類に、本紀と列伝を主体とする形式の書籍が収められた。
④ 18世紀までには、宣教師の活動によって西洋の学術が中国に伝わり、四部分類は用いられなくなった。

② 木版印刷の技術は宋代に普及したので誤り
④ 宣教師の活動によって西洋の学術が中国に伝わって、伝統的な学問体系は維持されたので誤り。そもそもそれなら「四庫全書」というタイトルで18世紀に書籍が集大成されないはず。

残った①と③にあたる内容を対話文の中から探していこう。
①については、対話文の最後の教授の発言から、「1世紀には史部という分類自体存在しなかった」とあるので誤り。
③については、対話文を見ると、資料1の7世紀『隋書』経籍志を見た内藤さんが「挙げられたのはいずれも紀伝体の歴史書ですね」と指摘し、教授が「よく知っていますね」と応じているので正しい。
したがって①が正解。

第4問 世界史上の様々な歴史資料

A 東地中海と西アジアの貨幣

問1 貨幣1を発行した国、または貨幣2を発行した王朝について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
対話文の中から、貨幣1と貨幣2に関する記述を探してみよう。

貨幣1
広田さんの発言から
 貨幣1は7世紀前半に、発行国の首都であるコンスタンティノープルで造られた金貨です。ソリドゥスと呼ばれる形式の金貨で…

貨幣2
鈴木さんの発言
 西アジア地域では、以前から貨幣の使用が活発でしたので、ムアーウィアが開いた王朝にも征服地で使用する貨幣の発行が求められたようです。

佐々木さんの発言
 貨幣2は、その王朝が貨幣1を模倣して、7世紀後半にシリア地域で発行した金貨です。貨幣2の表の面には人物像が残っていますが。裏面にはアラビア語の銘文が刻まれ、預言者ムハンマドの名前も見られます。このことからこの王朝の支配者がイスラーム教を信仰していることを主張しているとわかります。

広田さんの発言から、貨幣1の発行国はビザンツ帝国(東ローマ帝国)、鈴木さんと佐々木さんの発言から、貨幣2の発行国はウマイヤ朝だとわかる。その上で選択肢を吟味しよう。

① 貨幣1の発行国では、ゾロアスター教が国教とされた。
② 貨幣2を発行した王朝は、パルティアを征服した。
③ 貨幣1の発行国では、ローマ法の集大成が行われた。
④ 貨幣2を発行した王朝は、バグダードに都をおいた。

①はゾロアスター教ではなく、キリスト教なので誤り。
②は年代が異なるので誤り。
④はバグダードではなく、ダマスカスなので誤り。
したがって、③が正解。ユスティニアヌス帝の「ローマ法大全」を指しているのだろう。

問2 授業の後、生徒たちは授業の内容を基にメモを作成した。前の文章を参考にしつつ、生徒たちがまとめた次のメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①~④のうちから一つ選べ。

佐々木さんのメモ
 貨幣2を発行した王朝は各地で使われていた言語を行政において用いることを認めていたが、貨幣2の発行者はそれをアラビア語に変更するなど、統治制度の改革を進めた。アラビア文字のみが刻まれた独自貨幣の発行も、そのような改革の一例であったと言える。

 これは、先生の最後の発言をまとめたものなので正しい。

鈴木さんのメモ
 貨幣2を発行した王朝は、貨幣1を模倣しながらも、十字架の図柄を改変し、コーラン(クルアーン)の言語で刻まれた銘文を採用して、王朝の支配者がイスラーム教を信仰していることを明確に打ち出した。

上述の佐々木さんの発言に加えて、鈴木さんの発言から「裏面で十字架が1本の棒の図柄が変えられている」と指摘されているため、正しい。

広田さんのメモ
 ソリドゥス金貨は、ヴァンダル王国を滅ぼした皇帝によって発行が始められた。それが地中海世界において国や地域を超えて流通しており、その信用性を利用しようとしたことが、貨幣2が貨幣1を模倣して発行された理由の一つだった。

ソリドゥス金貨はコンスタンティヌス帝の治世に創設されたので誤り。
したがって、佐々木さんと鈴木さんの二人のみが正しいため、②が正解。

B 古代ギリシア

問3 文章中の空欄( ア )に入れる語句あ・いと、空欄( い )に入れる人物の名X~Zとの組合せとして正しいものを、後の①~⑥のうちから一つ選べ。

資料1・2はマラトンの戦いについて書かれている。そのことについて、書かれた話のまとまりを見てみよう。

松山:資料1と資料2では、使者の名前が違っています。なぜでしょうか。
先生:明確な理由は分かりませんが、資料が書かれた年代が手掛かりになります。資料1を書いたのは『対比列伝』を著した人物で、資料2は別の文人によるものです。二人とも、五賢帝の時代を中心に活躍しました。
松山:資料1と資料2は、いずれもマラトンの戦いからかなり後になって書かれたので、正確な情報が伝わっていなかったのかもしれませんね。
先生:その可能性はあるでしょう。ただし、資料1で紹介されているヘラクレイデスはアリストテレスの下で学んでいた人物だと言われています。
松山:ということは、( ア )ことになりますね。マラトンの戦いに時代が近い人物が信頼できるとしたら、使者の名前は( イ )というのが、この中では一番あり得そうだと思います。

まず( ア )から考えていこう。

( ア )に入れる語句
あ 資料1・2の著者は二人とも、ヘラクレイデスよりもマラトンの戦いに近い時代に生きていた。
い ヘラクレイデスは、資料1・2の著者たちよりもマラトンの戦いに近い時代に生きている。

太字で示した通り、松山さんの発言から( ア )に入る内容として「あ」は適当ではなく、直前の先生の発言から、松山さんが考察しているので「い」が入るのが適当。
次に( イ )について考えてみよう。( イ )には使者の人物の名前が入る。資料1では使者の名前はテルシッポス、資料2では使者の名前はフィリッピデスと記されている。
ここまでの議論から、松山さんは、マラトンの戦いが起こった時代に近い時代に生きていたヘラクレイデスの記録を資料として引用している資料1の方が、資料2よりも信頼できそうだと考えている。そのため、資料1のテルシッポスが( イ )に入ると考えられる。

( イ )に入れる人物の名
X エウクレス Y テルシッポス Z フィリッピデス

したがって、いとYの組合せが正しく、⑤が正解。
この設問は、史料批判のプロセスを追体験するもので、今回の共通テストの中でも特徴的な設問と言える。

問4 文章中の空欄( ウ )の戦争について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
空欄が含まれる一文を見てみよう。

先生:…マラトンの戦いを含む( ウ )を主題とした紀元前5世紀の歴史家の著作には…

ここから( ウ )はペルシア戦争だとわかるので、あとは選択肢の正誤判断を行うのみ。

① イオニア地方のギリシア人の反乱が、この戦争のきっかけとなった。
② この戦争でギリシア人と戦った王朝は、エフタルを滅ぼした。   
③ この戦争の後に、アテネを盟主としてコリントス同盟(ヘラス同盟)が結成された。
④ ギリシア軍が、この戦争中にプラタイアイの戦いで敗北した。

②:この戦争で戦ったのはアケメネス朝。エフタルを滅ぼしたのはササン朝なので誤り。
③:アテネを盟主としたのはデロス同盟なので誤り。
④:プラタイアイの戦いで、ギリシア軍は勝利したので誤り。
したがって①が正解。

問5 前の文章を参考にしつつ、マラトンの戦いの勝利をアテネに伝えた使者について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
「前の文章を参考にしつつ」とあるので、前の文章を読んで正誤判断を行う必要があるが、まず知識でいける設問がないかを検討する。

① アテネで僭主となったペイシストラトスは、使者の話を知っていた可能性がある。
② 使者の話は、トゥキディデスの『歴史』に記されている。
③ プルタルコスは、使者の名前について異なる説を併記している。
④ 使者についての資料2の記述は、ヘロドトスの『歴史』を正確に反映している。

①:ペイシストラトスはペルシア戦争以前の人物なので誤り。
②:トゥキディデスの『歴史』はペロポネソス戦争の記述なので誤り。
と①と②は除外できる。残りの③と④を文章をもとに判断をする。
まず③。文章中にある「資料1を書いた人物は『対比列伝』を著した人物」という箇所から、プルタルコスが資料1を書いたことがわかる。資料1はテルシッポスとエウクレスという2人の人物についてふれられており、正しい。
一方、④について。ヘロドトスは、資料2にあるフィリッピデスをスパルタに派遣された使者として言及しているため、資料2の記述はヘロドトスの記述を正確に反映していないと言えるので誤り。
したがって③が正解。

C ブリテン島の修道士であったベーダが731年頃に執筆した著作の一部

問6 文章中の空欄( エ )に入れる語句と、資料1と資料2が示す「アングル人」について述べた文あ・いとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。
空欄に関わる部分を見てみよう。

 資料1は( エ )と呼ばれる歴史的出来事に関する記述である。

資料1には「有力なゲルマン」とあるため、歴史的出来事は「ゲルマン人大移動」だとわかる。次に資料1と資料2が示す「アングル人」について述べた文は、それぞれどちらの資料を説明した文かを選べばよい。

あ 大陸から渡来してきた民の一つで、サクソン人やジュート人(ユート人)と並置される集団のことである。
い サクソン人やジュート人(ユート人)をも含めた、共通の言語を話す集団の総称である。

資料1を見ると民族の移動が書かれており、資料2はブリテン島の言語について書かれている。そのため、資料1が「あ」、資料2が「い」に関する記述だとわかる。したがって、正解は③

問7 資料1~3で記されている出来事や事柄の年代が、古いものから順に正しく配列されているものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。

まずは資料を丁寧に見て、年代の特定に役立つヒントを探していこう。

資料1は注1からカルケドン公会議を開いた皇帝が即位した年とある。カルケドン公会議は451年なので、資料1は5世紀の出来事だとわかる。

資料2は「私ことベータが執筆している今のブリテン島」とあるため、前文から執筆したのは「731年」とわかるため、8世紀前半だとわかる。

 資料3は、教皇グレゴリウス1世が出てくる。教皇グレゴリウス1世の治世は590年から604年であるから、若き日の頃であっても6世紀のことだろうと推測できる。

したがって、資料1→資料3→資料2と並べられる。しかし、考えてみれば、歴史書を執筆する際に、最も新しい時代となるのは筆者の同時代なので、教皇グレゴリウス1世がいつの時代かわからなくても、資料3が資料2よりも古いと判断できるはずだ。
そういった意味で非常に練られた良問だと言える。これに気付けるかどうかがこの問題を解くのに大きな分かれ道だと言える。

問8 下線部aに関連して、キリスト教が社会に与えた影響について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
ここで小休止のように登場するセンター式設問。さくっと解いてしまおう。

① クローヴィスの改宗によって、フランク王国は、先住のノルマン人の支持を得ることができた。
② 聖職者(司祭)のジョン=ボールが「アダムが耕しイヴが紡いだとき、だれが貴族(領主)であったか」と説教し、農民一揆を指導した。
③ コンスタンティヌス帝は、勢力を増したキリスト教徒を統治に取り込むために、統一法を発布した。
④ ボニファティウス8世の提唱した第1回十字軍に、ヨーロッパ各地の諸侯や騎士が参加した。

①はローマ系住民の誤り。試行調査で出題済みのテーマ。③はミラノ勅令の誤り。④はウルバヌス2世の誤り。したがって、②が正解

第5問 社会経済史

A 東南アジアの植民地経済

 最近はやりのアジア間貿易を出題。
問1 下線部aの歴史について述べた文として最も適当なものを一つ選べ。
イギリスの設問。やはり最終大問は少し軽め。

① シンガポールを獲得して、東南アジアにおける交易の拠点とした。
② 19世紀後半に、自国の東インド会社の貿易独占権を廃止した。
③ 清との間に、公行の廃止を定めた北京議定書を結んだ。
④ オタワ会議により、スターリング=ブロックを廃止した。

②は19世紀前半。③は南京条約。④は廃止したのではなく形成したので誤り。したがって①が正解。

問2 文章中の空欄( ア )に入れる国の名あ・いと、下線部bの背景として最も適当な文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。

この問題も軽め。胃もたれしそうな第4問を抜けた後に、少しほっと一息つける設問が続くか、このあたりは時間との戦いである。
さて、表を見ると、フィリピンの輸出先で( ア )は圧倒的な1位となっていること。また、下線部bには「統計が取られた時点で、( ア )においてゴムの需要が高まっていたことから、自動車の大量生産を行い、普及が進み、フィリピンの宗主国であったアメリカ合衆国だとわかる。

( ア )に入れる国の名
あ ドイツ い アメリカ合衆国
下線部bの背景として最も適当な文
X 大量生産方式により、自動車の普及が進んだ。
Y アウトバーンの建設が進んだ。

とはいえ、そもそもアウトバーンが、1930年代のドイツのヒトラー政権で年代も異なるから間違えにくい問題。

問3 前の文章を参考にしつつ、1929年当時の東南アジア各地の経済と貿易について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
「前の文章を参考にしつつ」とあるので、前の文章を読んで正誤判断を行う必要があるが、まず知識でいける設問がないかを検討する。

① コーヒー栽培が進められたインドネシアは、宗主国向けの輸出額の割合が4地域の中で最も低かった。
② ゴムプランテーションの労働者として移民が流入したマラヤは、インドシナの輸出額上位5地域の中に入っていた。
③ フィリピンでは強制栽培制度による商品作物生産がなされており、アジア向けの輸出額は全体の2割以下であった。
④ インドシナの輸出額において最大であった地域は、インドシナと同じ宗主国の植民地であった。

③は強制栽培制度はフィリピンではなくインドネシアなので誤り。
残りの①②④について、文章を見て判断しよう。
まず①
 インドネシアの宗主国はオランダ。21%となっている。
  他の地域と比較してみると
   マラヤ 宗主国イギリス14.3%  
   フィリピン 宗主国アメリカ75.7%
   インドシナ 宗主国フランス22.1%
となり、インドネシアが最も割合が小さいわけでないので誤り。
 次は② インドシナの輸出先上位にマラヤがあるので正しい。
 残った④ インドシナの輸出先1位は香港でイギリスの植民地なので誤り。したがって、正解は②

B 産業革命の歴史統計

問4 文章中の空欄( イ )と( ウ )に入れる文の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
対話文を見ると高橋君が次のように発言している。

髙橋:18世紀後半の時期について( イ )ことが読み取れます。それは、当時のイギリスにおいて、( ウ )ことで食料の供給が安定していたためだと考えられないでしょうか。

下記の選択肢と合わせると、( イ )には表1と表2から読み取った18世紀後半の変化、( ウ )には18世紀の出来事が入る。

① イ 表1を見ると、都市人口比率が上昇している
  ウ 土地が囲い込まれ(第2次囲い込み)、新農法が導入された
② イ 表1を見ると、都市人口比率が減少している
  ウ 鉄道建設が進み、全国的に鉄道の輸送網が完成した
③ イ 表2を見ると、農村農業人口100人当たりの総人口が上昇している
  ウ 農業調整法(AAA)が制定され、農産物の生産量が調整された
④ イ 表2を見ると、農村農業人口100人当たりの総人口が減少している
  ウ 穀物法の廃止により、穀物輸入が自由化された

表1・2を見て、イの選択肢を吟味しても良いが、ウの選択肢で絞り込みを先にした方が効率的には良いだろう。ウの選択肢を見比べると、なんと18世紀後半の出来事は①しかないので、正解は①

問5 文章中の空欄( エ )に入れる文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
空欄が入っている文を確認しよう。

移民の送り出し国や受け入れ国で起こった出来事が移民数の変動に影響しているようですね。グラフを見ると、( エ )と思うのですが

最終的にはグラフの説明としてあっているかどうかの判断だとわかる。
だが、まずは選択肢を知識で削れないか判断。

① 1840年代中頃にアイルランドで大飢饉が発生した後、1840年代後半にはアイルランドからの移民は増加している。
② 1850年代中頃にアイルランドがクロムウェルにより征服され、土地没収が強行された後、1850年代後半にはアイルランドからの移民は減少している。
③ 1870年代初めにアメリカ合衆国で南北戦争が始まった後、1875年のイギリスからの移民は、1870年よりも減少している
④ 1890年代初めにアメリカ合衆国でフロンティアの消滅が宣言された後、1895年のイギリスからの移民は、1890年よりも増加している。

②:クロムウェルの征服は17世紀後半なので誤り
③:南北戦争の年代は1860年代なので誤り。 
①と④まで絞り込める。残った①と④をグラフで判断しよう。
まず①。点線で示されたアイルランドの移民数が、1840年代後半から急激に伸び、1850年前後にピークが来ていることがグラフから読み取れるため、①の説明は正しい。
一方④は、実線で示されたイギリスからの移民数は、1890年から95年にかけて低下していると読み取れるため、④の説明は誤り。
したがって、①が正解。

問6 下線部cについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
対話文より、下線部cは「世界初の産業革命はイギリスで起こりました」とある。あとは選択肢の正誤判断をすればよいだけ。

① 大西洋の三角貿易を通じて、綿製品、茶、アヘンが取引された。
② ダービーによって開発された、コークスを使用する製鉄法が利用された。
③ 選挙権の拡大を目指して、ラダイト運動が発生した。
④ 1833年の工場法の制定によって、大気や水の汚染問題の改善が図られた。

①:アヘンが誤り。
③:ラダイト運動は機械制工場の出現で失業した職人や労働者が起こしたものなので目的が異なり、誤り。
④:工場法は工業労働者の保護を目的とし、9歳未満の児童労働の禁止や9~18歳未満の労働時間の制限を決めたものなので誤り。
したがって②が正解

まとめ

ここまで共通テストの全設問の解説をしてきました。少し簡単に思ったことを述べます。

まず設問ごとにかかる時間、読む量と考えなければいけない量が大きく異なります。

時間のかかる 
 第1問B 第2問A 第3問B 第3問C 第4問全般
比較的時間がかからない
 第1問A 第2問B 第3問A 第5問
これまでも第1問Aと第5問は比較的軽く、第3問と第4問は重いという傾向がありました。もしかすると解く順番を変えたり、時間がかかっている場合、飛ばす・後回しにするなどの手段が有効かもしれません。

今回は抽象的な問題が減り、基本的には対話文や資料読解での思考が求められました。その分、全体的な読む分量が増え、所要時間も大幅に増えました。
これまでにも増してどこを読み、どこを読まずに解くかの判断が重要となってくるでしょう。設問文の中身自体は洗練され、共通テスト特有のパターンは確立しつつあると言えるので、過去問から設問の文形式を見て、どのように解くのかを瞬時に判断できるようにはしたいものです(今回の解説ではそのパターンわけも意識的に行っていました)。

最後に
日々の歴史学習での取り組みが重要なのは言うまでもありません。歴史理解は語句の暗記だけではなく、日々の学習の中で疑問をもったら調べ、地図や資料をもとに理解を深め、教科書の記述がなぜそのように書かれているかを考えるというところに尽きると思います。

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