「生きたい」時は、お味噌汁。
食べること。食事。食生活。食にまつわる空間。
「食」
は、
自分の人生を大きく左右する、とても大切な要素で。
「生きること」と深く直結しています。
「生きたい」時は、お味噌汁
と書きました。
わたしは、お味噌汁が嫌いでした。
子供の頃に「嫌い」だったわけでは、ありません。
ただ、大きくなってきて、「飲みなさい」と
一方的に出される味噌汁が嫌いでした。
ご飯が食べられるだけ、ありがたいと思え。
と言われたらそれまでですが。
「お味噌汁」は、悪くないのに
「お味噌汁」に対して、「イヤな気持ち」を
すぐに連想し、くっつけるようになりました。
「お味噌汁」
ああ、イヤ。イヤ。
おばあちゃんに、しつこく、しかも
すごく「イヤな感じ」で、目の前に出されるから。
「強制される」から。
イヤ。イヤ。
お味噌汁、イヤ。
わたしと、「お味噌汁」の関係性は、そうでした。
とても「相性が悪いもの」と。
そういう認識でずっといました。
なので、
大人になって、一人暮らしをしても
わたしの食卓にはお味噌汁は並ばない。
作らない。
自炊はしても、ご飯は炊いても
お味噌汁は作らない。
自動的に、そうなりました。
結婚してからは、どうかというと。
少しだけですが、
お味噌汁を作る機会は増えました。
夫は、食にこだわりのない人で。
自分の嫌いなものさえ出てこなければ
わたしの作るものに
文句や不満はなく。
なので、お味噌汁が食卓に出なくても
特に何も言われませんでした。
献立によっては「絶対、お味噌汁だよね」と
なる日もあるので、それで作っていました。
ただ、毎日白米を食べるからといって
毎日作るもの。毎日食卓に出るもの。
には、なりませんでした。
そんな、お味噌汁。
でしたが、
わたしにとって「大切なもの」になるのは、
それから10年以上経ってから。
わたしは、
離婚して、「親子の問題」「共依存の問題」に
いざ、向き合うこととなり。
色々と「溜め込んでいたもの」が爆発し、
自分の感情がコントロールできなくなり。
自暴自棄になり。
発達特性の「ネガティブさ」も、併せて爆発してしまい。
鬱と、二次的障害を発症しました。
「死にたい」という日々を長く過ごしました。
働けなくなって動けなくなって。
お金も、全財産数百円です。
家賃も払えない。かといって生活保護も受けられない。
家で、ただただ、「泣いて、寝て過ごす」ような日々でした。
こどもたちは、既に児童擁護施設に預けていました。
そのことも、わたしを精神的に追い詰めました。
自分を責めて。責めて。
罰して、罰して。
このまま、寝ている間に
眠ってしまったら、
そのまま死んでしまっていたらいいのに。
そんなことを思って。
ずっと思って。
動けませんでした。
なんで、食べてもないのに。
飲んでもないのに。
トイレに行きたくなるのか。
トイレに行くために
体を起きあがらせることが、苦痛でした。
なんで、「機能しているんだ」と。
わたしの、こんな思いや、気持ち。
そんなこと、関係なしに動いている
臓器たちにさえ、腹が立つ。
そんな、おかしな状態に
ずっと陥っていました。
誰も、
こんな自分のことを
助けられないな。
そう、思いました。
3日ほど
何も食べず。何も飲まず。
布団の中で、ずっと居ました。
眠ったまま、死んでしまいたい。
散々、泣きました。
けど
死ぬことはありませんでした。
何もしなくても
「死ぬ」ことはできない。
呼吸もする。
トイレにも行きたくなる。
カラダは動く。
頭だって、動いている。
感じる。
考えている。
なんなんだろうか。
わたし
なんなんだろうか。
そうやって「虚しさ」を感じて。
感じ切ったとき。
ああ、
お味噌汁をつくろう。
ふと、
そう思いました。
なぜかは、わかりません。
どちらかというと
嫌いだった、お味噌汁。
イヤな印象が強い、お味噌汁。
なんでだかは、
わかりません。
けど
お味噌汁をつくろう。
と、思いました。
重たいカラダを起こして。
ヨタヨタと、歩いて台所に行き。
冷蔵庫にかろうじて残っていた材料で
お味噌汁をつくり始めました。
全然、食べてなかったし。
動いていなかったので、
あまりチカラが入りません。
けど、
ゆっくり。
丁寧に、
お味噌汁をつくりました。
そして
出来上がって。
こたつに入って
温かいそれを、食しました。
ああ、生きている。
わたし、生きているんだ。
お味噌汁って
こんなに美味しいんだ。
人生で、
初めて
お味噌汁に感動しました。
自分が、
自分のために
丁寧につくった
一杯のお味噌汁。
染みました。
涙が止まりませんでした。
わたし、
何やってるんだろう。
って。
生きたい
と、思いました。
お味噌汁に、救われました。
それ以来
わたしは「生きたい」と思うとき
お味噌汁をつくっています。
ふと
お味噌汁を欲するとき。
わたしは「生きたい」んだ、と。
そう
感じるのです。