母性の強さ vol.2

わたしは、母性が強いです。そして、人間的なものに対する興味関心を深めてきたタイプなので、「乳幼児期のこども」との関わりは、特に「得意」です。

↑関連記事です。よかったら読んでみてください。

わたしの「母性の強さ」について。

「乳幼児期に困ったらMAIちゃんにお願いしたい。相談にのって欲しい」と、娘から言われることは、
娘から唯一「頼られること」であり。
わたしが自分でも「誇らしく」感じていることの一つ。
わたしの大切な「信念」のひとつ、とも言えます。

その「母性の強さ」の、現れの1つとして、
ある現象があります。


わたしには、こどもが寄ってきます。

特に、こどもたちが小さかった頃。
公園に行くと、だいたい、8割くらいの頻度で、
「知らないこども」が寄ってきていました。

話しかけてきたり、じーーっと見てきたり。
近くまで寄ってこられるので、わたしの方から話しかけたり。
自然な流れで、わたしが見守る中、
うちのこどもたちに混ざって一緒に遊ばせてあげたり。
わたしと子供たち「3人でやっている遊び」に、混ぜてあげたり。

そういうことが、「当たり前」でした。

母親のそういうことに慣れていたタイミングでは
もう、娘も息子も「なんとも思わない」感じになっていましたが。

最初の頃は、さすがに娘も息子も「え、なんで?知らない子、混ざってんの?」と。ちょっと止まっていました。ビックリする。

だけど、「こども同士」って、すごいんですよね。
「楽しい」を共有できたら、意外とスムーズに「仲良く遊べる」のです。

もちろん、長く一緒に過ごしていると、
だんだん「個性」が目立ってくるので、色々と出てきますが。
ちょっと、一緒に「遊ぶ」くらいは、すぐにできてしまいます。
幼児期のこどもたちって、「そんなもん」だと思います。わたしの感覚では。

そんなこんなで、公園にいくと、
そういう感じによくなっていました。

水族館、動物園。そういう場所に行っても「同じ」でした。
なんとなく、「障害がある」(多動な子)が、
お母さんたちから離れて、わたしの方に寄ってきたり、話かけてきたり。

そういうことも、よくありました。

こどもたちが小学生になり。
公園にさほど行かなくなってからは
必然的にそういう機会もグッと減りましたが。

「母性の強さ」ということで
とても印象的な出来事が1度あります。

それは、
娘が小2の時のこと。
わたしが自分の問題から、こどもたち2人共、児童擁護施設にお願いした頃の話です。

わたしの場合、
「虐待」や「児相の(強制的な)判断」で
こどもたちと離れたわけではないので。
児相と施設の方達と話した上で、
最低月に1回は、こどもたちに会いに施設に面会にいくことを決めていました。

こどもたちの幼稚園・学校のイベントにも、積極的に参加して。
「こどもたちとの関係性」は密にとれるよう、努めていました。

その印象的な出来事について、
娘は「ぜんっぜん、覚えてないわ」と言っていましたが
わたしにとっては、けっこう「印象深い」出来事だったのです。

その出来事があったのは、
息子の幼稚園行事に参加した日のこと。

息子は当時、幼稚園の年長さんでした。
施設には、息子と同い年の子が1人いて、その子と息子は「仲良し」でした。
わたしが面会で施設に行くと、だいたいいつも
その子は玄関までわざわざ出てきて。
いつも「関わりたそう」にしているというか。
恥ずかしそうにしているけど、にこにこして、
息子よりも嬉しそうに、わたしを出迎えてくれました。
そんな姿に、純粋に「可愛いな」と、わたしは思っていました。
その男の子が、息子と同じ幼稚園だったので、
その幼稚園行事でも「会う」ことになりました。

その行事のプログラムの合間合間で、「親と一緒に過ごしても大丈夫」
という感じだったので、息子は、けっこう長い時間、わたしのところに居ました。施設のスタッフさんからも「一緒に過ごしてもらっていいです」と言われていたので、フルに居た感じです。

そして、息子と仲が良いその男の子は、
その日ご両親は参加していなかったようで。
本来だったら「施設のスタッフと一緒に居る」はずだったのですが。
その子は息子と一緒に、わたしの側に居ました。

そして、息子よりも、わたしの近く。隣にきて、
思いっきり、身体を寄せてきていました。
要は、わたしに「甘える」を、していました。

ご両親が来ていないこともあるし。
普段、どれくらい会えていたり、交流できているか
わたしはよく知りませんでした。

ただ、
いつもわたしが面会に行くと「アピール」していることも
感じていたし。「気にしている」ところがあったので。
やっぱり「寂しい気持ち」は、あるんだと思いました。

環境はもちろん、
そもそも、まだ5歳です。息子も、そうだけど。
親の事情で、「そういう環境」で過ごすことになっているだけで、
まだまだ、本当は「甘えたい時期」です。

息子は、その子と比べて、親(わたし)と会う頻度は高かったし。
わたしがメンタルトレーニングをしていることもあり、
精神的なところで、同じ環境の子たちと比べて「満たされている」ことはあったはずです。

だからだと思いますが
息子は、わたしに「特別甘える」というようなこと、
特に「身体をつかって」甘えることは、
その頃もう、ありませんでした。

なので、
息子の同級生のその男の子の、環境、心情。
わたしは、こころを寄せる余裕があり。
だから、
男の子が、わたしに身体を寄せて、甘えてくるのを
否定したり、拒絶したりせず。
わたしは、ごくごく自然に、受け入れました。

優しく、受け止める。
「大丈夫だよ」と、非言語で伝える。
そういう感覚で、接していました。

そういうことは、
わたしにとっては「減るもの」じゃないし
全く「負担ではない」ことで。

わたしの「得意」であり、「できること」でした。

息子は、そういうわたしの姿をみても
何も言ってこなかったですが。

ただ、
娘は違いました。
当時、小2の娘。

「なんで、『わたしのお母さん』なのに、○○にそんなことするの!?」

と。
ちょっと、怒り気味で、そう言われました。

嫉妬と、不満。
それらを、娘はその時ぶつけてきたと思います。

たぶん、わたしが無意識のうちに
「娘に無理をさせる」や「娘は『大丈夫だろう』」と。
そういう態度対応になっていることが、あったんだと思います。

その時、そう言ってもらえて
わたしにとっては「気づくこと」がありました。

ただ、
わたしの「していること」として
娘には、ちゃんと話したのです。

同じ環境でも、あなたたちは「親と、会えている」「親と楽しい嬉しいコミュニケーションが取れている」こと。
未就学という年齢で、まだ「甘えたい」時期でもあること。

そして、わたしが「与えられる」「できること」であること。

ちゃんと、落ち着いて話すと
「確かにな」という。
娘は、まだちょっと不服そうだったけど。
確かに、そうだな。と、納得せざるを得ないような表情をしていました。

小2の娘に対して、
そういう内容が、早かったか、遅かったか。
伝えることが、正しかったか、間違っていたか。
それは分からないけれど。

あの時のわたしの「選択」には「わたしらしさ」が、出ていたことで。
わたしは、娘に、ちゃんと「伝えたい」と思うことだったのです。


わたしの感覚としては、

大切な人に、大切なことを伝えた。

そんな感覚のことだった。

あれから6年経ち。

娘がその時のことはもう憶えてないけれど。
「そういうのって、MAIちゃんらしいよね」
「MAIちゃんなら、できるから」
「お願いしたい」

と。
信頼してくれることの1つになっていることは、
わたしとしては、とても嬉しいことで。


自分の「母性の強さ」に
誇りを感じられることでもあります。










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