「みんなは、どう生きているんだろう」そんな疑問が常につきまとっていた、精神的に「不安」な小学生時代。

みんなは、どう生きているんだろう。

小学生の頃から、そう思うことが多くて。
周りの人がどう思っているのか、ずっと「周り」を気にして生きていた。

なんで自分は「みんなと違う」のか。

わからない。

わからないけど、そう感じる。


わたしは
経済的には恵まれた家庭に生まれ育ち
親から暴力をふるわれたことはない。

何不自由なく、物を与えられていて
どちらかというと周りから「羨ましがられる」
生活水準の家庭に育った。

けど、
わたしは「こころ」が満たされておらず。
いつも「生きるってなんだろう」という虚無感と共に生きていた。

そう、
わたしはいわゆる過保護で、
親に「与えられる」ことが当たり前な生活で育った。

そのベースとなる「親」はというと、
同居している祖父母と仲が悪く、
その上、うちは自営業で、公私混同な家であった。

お金で困ることはなかったけれど、
「精神的に不自由」な環境が、わたしの全てだった。

今で言うと「精神的虐待」にあたるだろうか。
祖父母が頂点であり、絶対であり。
父と母は「こども」。
つまり「親(祖父母)の言うことを聞くべき人間」であった。

だから、「家族」というカタチではあるけど
そこには「支配とコントロール」が存在していて。

わたしには、
ものすごく「居心地の悪い場所(環境)」であった。

他の家族の日常を知らない。見てないのだから
わたしにとっての「当たり前」が
自分自身でわからないものでもあったけれど、
それでも、「周りと、なにかおかしい」ということは
感覚的に「わかる」ものだ。

わかっているからこそ「不安」。

だけど、
わたしは誰にもその「不安」を言えなかったし
自分でも「話せる」ほど、
色んなことがわかっていなかった。

大人でさえ、
自分のことを的確に言語化することは難しいのに
こどもにとっては、尚更難しい。

自分のことが「客観的にわかる」というのは

結局、自分が
大人にならなければできないことで。

わたしは
その重要性、必要性を
30代になってようやく知ることとなりました。

こどもが2人いる「いい大人」になってから。

それでも
まだ「良かった」と、心からそう思える。

わたしは気づかずに生きていく人生もあった。

けど、
そんな大切なことに気づかせてもらえる
「まともな大人」に出会うことができた。

その出会いが、
わたしの人生の解像度をあげてくれたと思っている。

今、
わたしが「生きている」のは
その人のおかげです。


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