※note創作大賞2024「お仕事小説部門」応募作品_お仕事ショートストーリー【営業課長の心得帖】005「ビジネス書籍はどうやって選んでいますか?」
「……到着、っと」
肩に掛けたトートバッグを持ち直しながら、星田敬子(ほしだけいこ)はひとり呟いた。
ここは、駅前のターミナルビルに隣接する大型書店。書店員さんと趣味が合っているのか、自分好みの本が沢山置いてあるため、会社帰りには相当なペースでここに通い詰めている。
小さい頃から読書好きだった彼女は、これまで幅広いジャンルを読み漁ってきたが、最近は某ファンタジー系の小説にハマっている。
お気に入りの紅茶と共に、ものがたりの世界に想いを馳せるそのときが、彼女にとっては至高の時間であった。
目当ての短編集を見つけて手に取った敬子は、ふと今朝上司が朝礼で話していたことを思い出した。
『……来月から、会計システムの変更があるのは皆さん聞いてますよネ。そこで、営業現場の混乱を最小限にするため、総務部主催の勉強会を行うことにしましタ』
(ふぅん、結構大掛かりなシステム変更だから、サキちゃんとか大変そうだなぁ……)
『勉強会の推進リーダーは、星田サン、宜しくネ』
『はあ……って、え!私ですかっ?』
他のことを考えていた敬子は、思わぬ大役の任命に、慌てて上司に問いかけた。
『日頃の星田さんの丁寧な仕事ぶりを見て、営業部署から是非あなたにお願いしたい、とリクエストがあったのヨ』
自慢の部下を褒められた上司は、その場で即答しようと思ったのを何とか踏み留まり「本人の許可を得た上でならお受けしますワ」と、オトナな返答をしたとのこと。
『……会計知識は何とかなりますが、私、人前で話すの苦手なんですよぉ』
『そこは何事も挑戦してみてって奴デ。お願いケイコちゃん、私もフォローするからァ』
姉のように甘えてきた上司の姿を見て、敬子は深いため息を吐いて小さく頷いたのだった。
先ほどまで、彼女の耳元ではハイエルフの美青年【エクセリオン】が、間断なく甘い言葉を囁いていた(妄想)のだが、会計勉強会のことを思い出した途端、一気に憂鬱な気持ちが蘇って来た。
「……とりあえず、勉強会について少しでも知識を得ないと」
そう思った彼女は、普段は殆ど足を向けることのない、ビジネス書籍のコーナーに向かうことにした。
「あれ、京田辺課長?」
ビジネス書籍の新刊平積コーナーで腕組みをして立っているサラリーマン、京田辺一登課長を見かけた敬子は、軽く会釈をした。
「ん?総務部の星田さんか。ここで会うのは珍しいね」
横文字満載のタイトルが記された、分厚いハードカバーの本を棚に戻した京田辺は、少し不思議そうに尋ねてくる。
「はい、今度総務部主催の会計勉強会をやることになったので、その下調べにと」
「ああ、営業メンバーのために開催して貰えるんだね。忙しいのに有難う」
柔らかく微笑んだ彼の、子どものような表情にドキリとした敬子は、ファンタジー短編集を後ろ手に持ち替えながら、慌てて答える。
「まだ設計段階手前なので、クオリティは未知数ですが、精一杯頑張ります。それでは失礼いたします」
「ああ、それじゃあね」
京田辺に見送られた敬子は、少し頬を赤くしながら書棚の奥に向かった。
「ええと……ジャンル毎に分かれているからこの辺かな……あった」
『会議・ファシリテーション』コーナーで足を止めた敬子は、はたと行き詰まってしまった。
(本の数が、もの凄く多い…)
同ジャンルだけで、数十冊のビジネス書籍が書架に並んでいた。それだけ多くの人が、会議や勉強会の運営に頭を悩ませていることの裏返しなのだが、彼女にとってはどの本が自分にマッチするのか、全く見当が付かなかった。
「風の精霊【スーリオン】(妄想その2)に尋ねても、ジャンル違いだ、と何も応えてくれないし……」
ブツブツと少し危ない台詞を呟いていた敬子は、該当の書架をひと眺めした後、くるっと踵を返した。
「……京田辺課長っ!」
「うわっ!びっくりした」
後ろから急に声を掛けられた京田辺は、持っていたノウハウ本ごと飛び上がる。
そんな様子はお構いなしで、少し顔を赤らめた敬子は、彼にずいっと近寄って言った。
「私に……色々なことを、教えてくださいっ!」
「うん、絶対ワザとやってるよね、君」
「なるほど、勉強会の運営を学びたいと」
事情を聞いた京田辺は、ふむと頷いた。
「星田さんは、【ビジネス書籍の役割】って何だと思うかな?」
「役割……すみません、考えたことありませんでした」
素直に頭を下げる敬子。彼女のこう言った所作が、周りから好感度が高い理由の一つだ。
「ビジネス書籍は、普段接している上司や先輩と同じく、仕事に関する様々なことを示して貰える先生のようなもの、と考えているんだ」
「せんせい、ですか?」
「あくまで個人の見解だけど……」
そう前置きした京田辺は話を続ける。
「リアルに出会うことが出来る人には限りがあるよね?その点書籍だと、既に鬼籍に入られた方も含めて、無限の人達から学びを得ることが出来るんだ」
「なるほど、そう考えると、先生っていう呼び名がしっくり来ますね」
自分には無かった発想で、認識が上書きされている感覚を持った敬子。
「可能性は無限に拡がっている。星田さんはその中から、自分に合った一冊を選ぶ方法が知りたいんだね?」
「はい、是非課長の選び方を教えてください」
「そうだなぁ……例えばここ」
京田辺は、手にしたビジネス書籍の最新の部分を開いた。
「はじめに、というパートで筆者がこの本を書いた狙いや目的、読書に期待すること等が記されているので、【イメージの擦り合わせ】を行うことができるんだ」
「擦り合わせ……ですか?」
またもや謎ワードが出てきた敬子は、目をパチパチさせる。
「この書籍から何を習得したいのか、読了後にどのような自分がイメージできるのか。はじめに、のパートと照らし合わせて違和感を覚えないものを、おススメの一冊に位置付けていく」
「イメージ……イメージ」
「あとは、事実に基づく事例や数値が文章の中に多いとか、付箋を付けたくなるようなキーワード・パワーワードが多いことなど挙げられるけど、やはり最初の印象で大体決まることが多いかな」
徐々に話が乗ってきた京田辺から、その後30分ほど、彼がセレクトした書籍達の話が続いた。元々本好きな敬子は全く苦にならなかったが、興味のない人には大変な状況だったと思う。
(わたしが、本当に学びたいことは……)
改めて該当のコーナーに戻った敬子は、スッと一冊の本を手にした。
「無事に選べたみたいだね」
先に会計を済ませていた京田辺は、敬子が手元に抱えた書店袋を見て、優しく微笑んだ。
「はい、色々とご教示いただき、有難うございました」
「少し難しい話をすると、投資に見合っただけのリターンを得ることができたか。読み進めていくうちに分かってくる瞬間があるんだ」
「所謂、当たり外れ、ですね」
「そうそう。でもね、仮に少し残念な書籍に出会ってしまったとしても、筆者の人となりや想いを感じることができれば、この本を選んで良かったなぁ、と思うことにしているんだ」
彼が続けたその言葉は、敬子の胸にふわりと響いた。
「素敵な考えですね。何だか良く分かります」
ランチタイムなど、親友の四条畷紗季から事あるごとに尊敬する上司の話を聞かされていた彼女は、ここで京田辺一登の評価ランクを上げることに決めた。
「これからもご指導宜しくお願いします。京田辺老師(センセイ)」
「おい誰が老師(ろうし)だ。俺はまだ30代だぞっ!」
「ええっ……何故、話し言葉だけで【老師(せんせい)】という当て字を察知したのですかっ!」
思わぬ反撃に焦った敬子。
彼女が手にした書店袋からは、先ほど一緒に購入した短編集の表紙に描かれた、樫の杖を持つ白髭の老人が顔を覗かせていた。
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