見出し画像

【心得帖SS】心から「シアワセ」を願う(中編)

静まり返った個室内に、炭火が弾けるパチパチとした音が響いていた。


四条畷紗季の告白が始まる少し前から目を閉じて思考の底に沈んでいた京田辺一登は、ゆっくりと目を開けて言った。

「有難う、こんな自分に好意を抱いてくれて。気持ちとしてはとても嬉しい…でも」
唇をキュッと結んだ紗季の顔を正面から見据えて、京田辺は返事を返した。


「私は君のことを、恋愛の対象として見ることはできない。本当に申し訳ない」


「…そうですか」
頭を下げた彼の耳に、思ったより冷静な紗季の言葉が聞こえてきた。
「ここで言うのが適切かどうか怪しいけれど、随分と落ち着いて見えるのは間違いかな?」

「いえ、自分でも驚くほど冷静です」
淡々とした口調で紗季は話を続ける。
「この感情に名前が付いてから、この日のやり取りは何千回、何万回とシミュレーションしてきました。先ほどの返事も想定の範囲内でしたので」


「そうか…」
紗季の本気度が伝わって来た京田辺は、持ち得る限りの誠意を以って彼女に向き合うことを決めた。


「もしかしたら聞いているかも知れないけれど、僕には結婚を約束していた婚約者が居たんだ」
「…はい、伺っています」
「彼女は本当に最高のパートナーだった。このまま2人で一生共に歩んでいくと誓った日の夜、彼女…松井茜は帰らぬ人となった」

拳をグッと握りしめて、京田辺は話を続ける。
「突然のことで思考が追いつかず、半年は廃人のような生活を送っていた。当時は慎司や麗子さんに随分と迷惑を掛けた。特に麗子さんは、無二の親友を亡くしたにも関わらず、その恋人である僕の面倒を見てくれたんだ」


(忍ヶ丘課長…)
その時の麗子の心中を察して、紗季は胸が痛くなった。


「それ以後、僕の気持ちは止まったまま。再び新しい恋を始めようという気持ちにもならなくなった」
何とも言えない表情を浮かべて、京田辺はやや自虐的に言った。
「四条畷さんは魅力的な女性だと思うよ。夢を見た話のときにも言ったけれど、近くに居てここまで自然体になれる人はそうそう居ないと思う」
でも、と言葉を続ける。
「この感情は、どちらかと言えば【家族愛】に近いもので、四条畷さんのことは恋愛対象として見ることはできないんだ」


「…京田辺課長なら、そう仰られると思っていました」
これも想定内です、と付け加えた紗季は、凛とした表情で言った。
「いまの課長のお気持ちは分かりました。それでも私は、貴方のことを想い続ける気持ちを大切にしていきます」
膝の上でキツく握りしめた両方の拳が白くなっている。


「失恋という言葉を言い訳にして、これまでの感情を全て否定してしまったら、その時の私が可哀想ですから」

「…そうか」

その後、砂を噛むような味しかしない食事を終えて、会はお開きとなった。


会計を済ませて店を出た瞬間、紗季は予備動作無く京田辺の背中に抱き付いた。

「つっ…四条畷さん!」
「お願いです…今夜だけで良いので、私を」
彼を抱く腕に力を込めて、彼女は背中に顔を埋める。

天を仰いだ京田辺は目を閉じて深呼吸をしたあと、固くなっていた紗季の手を優しく解いて正面に向き直った。
「ごめん四条畷さん、それはできない」
「私に…魅力が無いからですか?」
「刹那的な感情に身を任せてしまえば、お互いを不幸にしてしまう…」
彼は優しく、諭すように言葉を重ねる。


「僕は、貴女自身が幸せになることを、心から願っているのだから」

(ああ…この人は、こんな時でも言葉選びがイケメンなんだなぁ)

数段上の返しをされた気持ちになった紗季は、身体の熱が急速に冷めて行くのを感じながら、思わず彼の手を握り締めた。
「…課長は、ここでもわたしを甘やかすのですね」
彼女の瞳から、はらはらと涙が流れる。
「部下としても、ひとりの女としても」
「いや、決してそういう訳では…」
珍しく狼狽える京田辺を他所に、彼女の涙はとめどなく流れ始めた。

「ひぐっ、うっ、うわああああああああんっ!」

これまで必死に押さえ込んできた感情のタガが外れ、紗季は声を上げて泣き叫んでいた。
新人時代に大量在庫の件で精神的に追い詰められた時以来の大号泣に驚いた京田辺は、慌てて彼女の頭を抱え込むように優しく撫でる。
「ごめん…ごめんね、四条畷さん」
「またそうやって子ども扱いするぅ…うええええん」


泣いている紗季の様子を見て、通行人が何事かと思いながら眺めていく。
そんな彼女をコートの裾で庇いつつ、京田辺は精一杯の誠意を伝えることにした。

「沢山泣かせてしまって本当に申し訳ない。先ほども話した通り、貴女に魅力が無い訳ではないんだ。むしろ自分には勿体ない女性だと思っている」
「…そんなこと、ないです」
「但し、10年前から僕の時間が止まっていることも本当なんだ。だから…いまは貴女の気持ちに応えることはできない」


(…ん、いまは⁈)


京田辺が言った最後の言葉に、紗季はピクッと反応した。


「…とても傷つきました。許せません」
「うっ、ではどうすれば…」

「ひとつ、お願いを聞いてください」

まだ瞳に涙を溜めたまま、それでも少し微笑みを見せた彼女は、悪戯っぽい口調で応えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?