【小説】「straight」089
大西稔流(おおにしみのる)
前社長、大西征五郎の長男。
次期社長が有力視されていたが、straight事件により専務から平取締役まで降格させられた。
それから半年間、会社の表舞台から全く姿を消し、社員の間では隠居説まで流れていたのだ。
その男が今、一地方支店の営業課長と向き合っている。
全身の毛穴から一気に汗が噴き出した課長は、当初の疑問に立ち返っておそるおそる尋ねた。
「それで、こちらにはどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」
彼の質問に、暫く黙って考えていた稔流は、ゆっくりと答えた。
「うむ、強いて言えば、応援だな」
「応援?」
予想外の言葉に、課長は虚を衝かれる。
「または、救いに来たとも言える」
稔流は、言葉に重みを付けて話を続けた。
「救い? 誰をですか」
訳の分からない課長に、彼はにやっと含み笑いをして言った。
「君の優秀な部下、澤内悠生君をだよ」
駅前の大型テレビに、鮮血に染まった真深の姿が映し出されている。
多くの通行人達が足を止め、彼女の力走に拍手を贈っていた。
「まったく、無茶しやがって」
笑顔でタオルを被った彼女の映像を眺めながら、悠生は深く息を吐いた。
「あとは、柚香と光璃か」
画面に向かって一歩踏み出そうとした彼は、ふと足を止めた。
「……俺が会場に姿を見せると大騒ぎになる、あいつらはもう大丈夫だろう」
そう確信した彼は、改札口に向かって踵を返そうとした。その足が、はたと止まる。
彼の脳裏に、すがる様な少女のつぶやきが蘇ってきた。
『途中でいなくなったら……イヤですよ』
「……光璃」
彼の心の中は、もはや誤魔化しきれない高揚感で一杯になっていた。
その時、先程とは別の悪戯っぽい問い掛けが聞こえて来る。
『それで、おまえはどうするんだ?』
答えは、すでに悠生の心の中にあった。
返事の代わりに小さく微笑んだ悠生は、何か考えがあるのか、そのまま百貨店の中に飛び込んでいった。
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