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【心得帖SS】「定点観測」してますか?
「前回は急にバチ切れしてごめんなさい…」
四条畷紗季は、深々と頭を下げた。
「いえ、いいんですよ。何だか新鮮でしたし」
あまり気にしていない風の祝園由香里が手を横に振る。
「それより先ほどの商談で、私かなり話し過ぎていませんでしたか?」
「大丈夫。バイヤーさんも喜んでたよ」
「私、商品のことになるとついついスイッチが入ってしまって…」
「そこが良かったのよ。あのバイヤーさん、以前PB(プライベートブランド)商品の開発に関わっていたこともあるので、そっち系の話が大好きだから」
(ああ、それで紗季さんは私をこの商談に同行させてくれたのか)
彼女の暖かさに触れた気がした由香里は、鼻の奥がツンとして来たのを誤魔化した。
「これからどうしますか?まだお時間ありますよね」
手元のスマートウォッチを確認した由香里。
本日彼女はこの近くに宿を取っており、晩は紗季と隣課の大住有希との3人で食事会を予定していたのだ。
「うん、それなんだけど」
紗季は営業車のキーをくるんと回しながらニャっと笑った。
「お嬢さん、これからワタシの【行きつけのお店】に行かないかい?」
「えっ、ヤダカッコいい❤︎」
「…と思った私は、紗季さんにまんまとハメられました」
「人聞きの悪いコト言わないでよ」
守衛室で入館手続きを行なっていた紗季が、由香里の抗議は心外だという態度を見せた。
「だって、あの流れだとオシャレなバーにエスコートして貰える流れじゃないですか。せっかくおめかしして来たのにガッカリですぅ」
「真っ昼間からそんなトコ行く訳ないでしょ」
「分かってますよ」
「…ぷっ」
「ふふふっ」
2人は声を上げて笑い始めた。
元々このような軽快なノリがお互い気に入って仲が良くなったのだ。由香里もすっかり以前のペースを取り戻していた。
「それで、このお店が紗季さんの【定点観測店】なのですね」
「そうなの。情報収集だけでなくこちらからもお店にとって有用になる提案をさせて貰ったり、色々お手伝いしたりしているのよ」
「お手伝い?」
「あ、ヒナタさぁ〜ん」
豆腐売場に差し掛かったとき、紗季は通りの向こう側から商品在庫が積まれた台車を引いて来た女性を見付けて声を掛けた。
「あらサキさん、今日は」
由香里より少し年下に見えるその女性は、温度差だろうかやや曇った眼鏡を外してレンズを拭きながら微笑んだ。
「今日は新商品のご提案ですか?」
「いえいえ、⚫︎⚫︎バイヤーとの商談があったので立ち寄らせていただきました。少々お時間大丈夫ですか?」
「ええ、いまは比較的品出しも落ち着いているので大丈夫よ」
「有難うございます。あと、ウチの商品開発部期待のホープを連れて参りました」
「はじめまして、商品開発部の祝園と申します」
「あ、せっかくなので事務所でお話をお伺いしましょうか」
名刺を取り出した由香里に、彼女はクスッと笑って言った。
「三山木日向です。一応チーフやってます」
食品事務所の一角に設けられた商談スペースにて名刺交換を終えた由香里は、受け取った名刺を見てほえーっとなった。
「チーフって部門の実務責任者と伺いました。凄いですね」
「そうそう、ヒナタさんは凄いんだよ!」
「何故サキさんが私の返事を横取りしてるの…学生時代からアルバイトしていたので無駄に経験があるだけですよ」
紗季の謎ドヤ顔にやれやれという表情で応える日向。
「ふふっ、お2人は友達みたいに仲が良いんですね」
「まあ、サキさんが御社に入社されたときからのお付き合いですので」
「もう7年になるよねぇ」
嬉しそうな顔をして応える紗季。
「当時はまだ私も学生アルバイトでした。懐かしいです、サキさんが半泣きになって『発注ミスして在庫が大変なのぉ』って飛び込んで来た…痛い痛い、無言で頭を叩かないでください」
ニヤニヤした表情の日向を、紗季は真っ赤になりながらポカポカと叩いている。
そこに年月を重ねた信頼関係を感じた由香里は、先ほどの疑問を言葉にしてみた。
「あの、こちらのお店で紗季さんがお手伝いしていることって何ですか?」
「ああ、もしかして」日向が彼女の問い掛けに答えた。「例の【食育イベント】のことかしら」
「食育…ですか?」
「ウチのお店は食育推進店舗に指定されていてね。歴代店長がイベント好きだったこともあって、毎月何かしらの催し物をやっているの」
机の引き出しからパンフレットを取り出した日向が言葉を続ける。
「これは先月の親子クッキング。まず食材を売場から見つけることがスタートになるので、お子さんは宝探し感覚で楽しんで貰えるの」
海賊船が描かれたパンフレットを見て、由香里はため息を吐いた。
「もの凄く作り込まれていますね。こちらも三山木さんが?」
「さすがに全部は無理なので、販売促進部に居る同期に手伝って貰いました」
ペロッと舌を出す日向。そのチャーミングな仕草にドキッとしながら再び紙面を眺める。
「パッケージ工作教室も開催されているのですね。ん?この『あの某メーカーのお姉さんが電撃参加⁈』ってまさか」
「うん、これ私ね」
あっけらかんと答える紗季。
「メーカー担当者が何故スペシャルゲスト扱いなのですか?しかもキャッチコピーを見るに何回も参加しているみたいですねっ」
「サキさんの登場回はかなり人気あるんですよ」
微笑みをキープして日向が応える。
美人と可愛いの絶妙な立ち位置にある紗季が一生懸命に取り組んでいる姿を見て、皆が魅かれているのだろう。
「定点観測というより、お気に入りのお店で紗季さんがとことん楽しんでいる感じですね」
「だから最初に言ったでしょ、【行きつけのお店】だよって」
「なるほど、納得しました」
そのやり取りが面白かったので、日向も入れた3人は事務所の中で大爆笑した。
「…猫の手マグネットクリップ、ですか?」
時間が経過して、ここは由香里が泊まっているホテル近くのイタリアンバル。
サングリアが入ったグラスを傾けた彼女に、大住有希が鞄をゴソゴソやり始めた。
「そ、これです」
「うわ、可愛いですね」
自社のロゴを前面にあしらった猫の手型のマグネットクリップは、サイズも手頃でノベルティとしても重宝されている。
「そう言えば日向さんのお店のホワイトボードにも貼ってありました」
「実用的で結構目立つから、良い宣伝になるのよね」
この紗季のひと言で、由香里はピンときた。
「もしかしてこのマグネットクリップ、紗季さんが作ったのですか?」
「正確にはツール会社さんとの共同開発だけれどね」
「デザインを起こしたのはサキ先輩じゃないですかぁ」
謙遜している紗季に、辛口のランブルスコと海老のアヒージョを堪能していた有希が反論する。
「やっぱりクリエイターの才能ありますって」
彼女の提言を聞いて、紗季は首を横に振る。
「ゼロからイチを生み出すのは苦手なのよ。有りモノの手直しやカイゼンで何とかカタチを整えているだけ」
「それも含めて才能だと思いますけどねぇ」
2人の間では何度も議論されていた内容のため、若干の余韻を残しながら有希が引き下がる。由香里はふと思い出したことを聞いてみた。
「大住さんは、商品開発部を目指していらっしゃると伺いましたが」
「ユキでいいですよー。私の方が年下ですし」
「じゃあ、有希…ちゃん?」
「何この先輩可愛すぎじゃないですか⁈」
ちょこんと小首を傾げる由香里に思わず興奮してしまった有希は、こほんと咳払いをして言った。
「商品開発…してみたいです。でも今の私ではスキルも経験もそのレベルに届いていない。だから目の前のお仕事を頑張っているんです」
「何この後輩めっちゃ前向き!好き」
口元を覆った由香里は瞳を輝かせる。
「おわっ、めっちゃグイグイ来ますね。私も好きになりましたよ、ユカリ先輩」
2人はカチンとグラスを合わせた。
「届かないとは思っていない、か…」
モスコミュールの銅製マグカップに入った氷をカラカラしながら、紗季は独りごちている。
そんな様子に気付いた由香里と有希は、顔を寄せてコソコソと話し出す。
「紗季さん、乙女の顔になってるね」
「ユカリ先輩なかなか鋭いっすね。この間からたまーにこうなるんですよ」
「…聞こえてるわよ。二人とも」
ジト目になった紗季は、彼女達を睨み付ける。
それに怯むことなく、アルコールが進むと切れ味が良くなるタイプの由香里はド真ん中の豪速球を投げ込んだ。
「紗季さん、いま恋してますねっ!」
「ここここここ恋なんて、ししししししてないわよォ」
「うっわ、わっかりやすぅ」
グラスを開けた有希が爆笑する。
「そそそういう由香里ちゃんだって、御幣島チーフといい感じだって温泉行ったとき言ってたじゃない!」
「わ、あ、あれはたまたま学会が終わったあと食事に行っただけで、そんなんじゃないですからぁ」
「食事⁈それってデートじゃん!」
「デっ⁈」
「ほう…こちらも色々掘り起こしがいがありそうですなぁ」
「ひいいっ!」
自身は突っ込まれるほどの恋バナを持っていない有希が、ギラリと瞳を輝かせて由香里に迫ってくる。
様々な思いを乗せて、彼女達の夜は更けて行くのだった。