【心得帖SS】「マルチタスク」と「シングルタスク」
「おケイ、タスクが全然減らないの〜どうしよぉ〜」
店に入った瞬間、四条畷紗季は同期の星田敬子に泣きついていた。
「大きな赤ちゃんかサキサキは。ほらメニュー、先に注文する」
敬子ママが彼女の手にメニューを握らせて、自身は濃厚ハイボールを注文した。
「うっ…ぐすっ…カシスソーダひとつ」
涙声で店員に注文している紗季を見て、敬子はこれが社内では超絶優秀な若手女性セールスと同一人物なのか、と苦笑していた。
「それで?忙しいのは今に始まった話じゃないでしょ」
幾分落ち着いてきた紗季に、敬子は話を切り出した。
「本当に仕事が回らないんだったら、京田辺課長に言って業務の調整を…」
「それは絶対にヤダ」
頬をぷくっと膨らませて、紗季は即否定した。
「いまの仕事は必ずやり遂げる。そのために私がやるべきことをおケイに相談したいの」
「ふうん、急にドボンしたりサキサキが倒れてしまったら、却って京田辺課長に迷惑掛けると思うんだけどなぁ」
ただでさえプロジェクトチームや外部研修などのプラス業務が増えているんだから、と嗜める敬子だったが、紗季の決意は固かった。
「わたし、一点集中タイプだから、複数のタスクが同時に襲ってくるとあたふたしてしまって作業効率が落ちている実感があるの。外部から仕事がどんどん舞い込んでくる総務部のおケイに良きアドバイスを貰いたいわ」
「ふむ…」
一杯目のハイボールを飲み干した敬子は、ゆっくりと話し始めた。
「まずは【マルチタスク】と【シングルタスク】の特徴について話そうかしら」
マルチタスクとは、短時間で切り替えながら複数の作業を行なっていくこと。
シングルタスクとは、1つの業務だけ集中的に作業を進めることである。
どちらが良い悪いではなく、向いている業務と向いていない業務があるので、上手く使い分けていく必要がある。
「おそらくサキサキは、本来シングルタスクで行わなければならない業務をマルチタスクにしてしまっているので、頭が混乱しているのではないかしら?」
「確か、頭を使ってじっくり考える業務がシングルタスクに向いているのね」
以前オンライン講義で学んだ情報を思い出しながら、紗季は最近の自分に当て嵌めてみた。
「でも、じっくり考えるあまりに気が付いたら数時間経過していることもあるのよ」
「それは、サキサキがタスクを細分化出来ていないからじゃないかな?」
敬子は自分のカバンからタブレットを取り出して、彼女との間に置いた。
「企画書の作成と言っても、事前の情報収集から骨組の設計を行うでしょう?更に情報収集は過去の事例を見たり、他社の提案を探したりなどに分けることができる。ひとつひとつの仕事量が小さくなれば、シングルタスクの積み重ねで対応できるよね?」
「ああ、なるほど!」
「更に言えば、細分化したタスクに目標時間を設定しておけば、気が付いたら夜更けということにはならないわ」
ここだけの話、私もマルチタスクは苦手なのよね、と敬子は言葉を付け加えた。
「ウチのボスとか一登課長はマルチタスクの鬼だから、複数の案件を同時に処理しなければならない管理職には必要なスキルなのかもね」
「確かに…ところでおケイ」
少し元気になった紗季は、カシスソーダのお代わりをオーダーしながら表情を全く変えずにこう尋ねた。
「いつからウチの課長のこと、下の名前で呼ぶようになったのかしら?」
その瞬間、店内の温度が数℃下がった。
「や、これは現在進行中の生番組案件でそのように呼び合う決まりとなっていたのでつい…わ、私は元々巻き込まれた立場なので本当は呼ぶのも嫌なんだけれど」
「イヤ…なの?」
「もう、サキサキ圧が強すぎだよォ!」
紗季の瞳の中に燃え盛る炎を見た敬子は、目をバッテンマークにしながら一時間程度弁明することになった。
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