蜜をペロリ
「書く」という行為は、私にとってまるで蜜を味わうようなものだ。
甘い蜜を求めて、私は今日もまた、キーボードの上を指で滑らせる。
「書く」という行為にふけるようになったのはいつからだろう?
小学生の頃から、私は何かと紙に書きなぐる癖があった。 ただの日々の出来事を単に思ったことを形にするのが好きだったのかもしれない。
それがいつしか、心の奥底にあるものを言葉にして吐き出す行為へと変わっていった。 まるで、自分の中に溜まった澱を、言葉というフィルターを通してゆっくりと濾過しているような感覚だ。
特に、受験勉強中、私は文章を書くことに没頭した。 膨大な量の知識を詰め込むだけでなく、それらを自分の言葉で表現し、マインドマップを描いていくことで、関連付け、より深く理解を深めることができた。指にタコができないように手袋をして英単語のツリーを書いて覚えていったことも懐かしい。
模試の記述問題や小論文に向き合い、限られた文字数の中でいかに自分の考えを明確に伝えるか、試行錯誤を重ねた。 あの頃の経験は、私にとって「書く」ことの楽しさ、そして難しさを教えてくれた。
書くことは、私にとって自己理解の手段であり、心の整理整頓の作業でもある。制約の中でできないことを「やりたいことノート」へ箇条書きにしていった、受験が終わったあとで、ひとつずつ潰していった。
大好きだったあの人に告白してフラれたこともそのひとつだ。
最近では、SNSで言葉が人の心を傷つける凶器になりうることを痛感している。 安易な言葉の投げかけが、誰かの心を深く傷つける。
そんな出来事を目の当たりにするたびに、私は言葉の持つ力を改めて認識させられる。 だからこそ、私は言葉を選び、慎重に文章を紡ぎたい。
書くことは、私にとって表現の手段であると同時に、リスクとチャレンジングな行為でもある。
では、なぜ私はこんなにも「書く」ことにこだわるのか?
それは、言葉には、人の心を動かす力があるからだ。
美しい言葉は、人の心を温め、勇気を与える。
そして、心に響く言葉は、人の心に深く刻まれ、忘れられない記憶となる。
私は、そんな言葉を生み出したい。
あなたと私の心に、少しでも温かい光を灯せるような言葉。
あなたと私の心に、少しでも勇気を与えられるような言葉。
あなたと私の心に、少しでも忘れられない記憶を残せるような言葉。
そんな言葉に出会うために、私は今日もまた、キーボードに向かう。
もちろん、書くことは楽しいことばかりではない。
あなたに届かないことの方が多い。
それでも、私は書き続ける。 それは、書くことが私にとって、食べることと同じくらい大切であるからだ。
書くことは、私にとって、蜜であり、心の栄養源であり、悦びなのだ。
これからも、私は言葉と向き合い、「なんのはなしですか」という路地裏を歩いていきたい。 たとえ、記事の回収が終わってしまう日が来たとしても、2024年夏の経験は、私の中に残り続けるだろう。
そして、私は、この言葉の持つ力に感謝したい。
わたしのミッション、ビジョン、バリュー(価値観)を追記したい。